2013年11月12日火曜日

労農派の歴史研究会第154回例会報告

連合発足の後、つまり90年代は、左派の人間にとっては「暗い時代」だった。左派の内部も幾つにも分かれ、批判し合いながら勢力を弱めていた。そういう時期に、自治労が日共系を除けばまとまって連合に入ったこと、総評内の中小企業労働運動(左派の影響力が強かった)が、まとまって連合に入り、内部で労働組合運動を継続する努力を続けたことが救いであった。その後の連合運動のなかでも、中小労働運動の存在が、連合の役割をひきたてていることは、例年の春闘を見れば明らかだろう。

 当時の記憶を掘り起こすと、レポートの中にある「補強五項目見解」を追求した運動の役割が大きかったと思う。総評運動を解体して連合に移行する議論の過程で、はじめの頃には、中小労働運動の幹部・活動家の中には、「連合なんかに行けるか!」という雰囲気が強かった。中小企業の労組を多く抱える単産が連合に入らなければ、連合も社会的影響力も小さくなるし、左派労働運動も分断されてさらに弱体化することが危惧されていた。

 そういう時期に「補強五項目見解」が提起された。(1)国民春闘路線の継承、(2)「反自民」「全野党の協力、共同闘争」、(4)中小企業労組・未組織労働者組織化の援助、等々、連合運動の弱点として指摘されていた問題点を簡潔に表現したものだった。この五項目を富塚総評事務局長が、連合結成にむけての会議で繰り返し主張し、中小労働運動の幹部・活動家たちがそれを支持した。そういう議論がしばらく続いている間に、「連合なんかに入れるか」と言っていて労組幹部・活動家たちの多くが、連合の批判をしながらも、中に入ってこの主張と運動を続けると変った。その経過は、富塚事務局長とその周辺の人たちの、見事な手品のようであった。

 現在でも、自治労と中小労働運動の担い手たちが、多くの仲間たちと協力しながら、連合を少しでも労働組合らしくさせている。そして今は、多くの人に、労働組合(もちろん、
連合外の労組も含めて)の立ち直りが期待されている。

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