*飯田敬輔『経済覇権のゆくえ』(中公新書)第5章
前回、学習したように、ギリシャをはじめ南欧の諸国(国名の頭文字をとってP 1 I GSと呼ばれる)の債務は、なかなか減りそうもありません。EUの危機は続きそうです。アメリカとEUが力を落としているような状況で、注目されているのが、今回のテキストにある中国経済です。中国も、先日来の世界株価暴落のきっかけをつくったように、危ういところはあるのですが、それでも、大国で、GDPの大きさでは、群を抜いています。基礎的なところを、頭に入れて、いろいろなニュースに惑わされないようにしたいと思います。
ところで、丸善、紀伊国屋などの大書店に行くと、世界情勢の注目点を表紙に大きく書いた本が、平積みになっていて、つい買ってみたくなります。最近、私の眼についたのが、『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』(文春新書 エマニュエル・ドット著)、『ユーロ破綻そしてドイツだけが残った』(日経プレミアムシリーズ 竹森俊平署)、『押収解体ドイツ一極支配の恐怖』(東洋経済新報礼 ロジャー・プードル著)です。どれもEUのなかでドイツが独り勝ちであり、南欧諸国は財政破綻して、EUは崩壊するという趣旨です。
トッドは、経済にはあまり強くない様子ですが、他の二人は金融・財政には詳しい人です。本当にこの通りになれば、崩れかけているアメリカ、日本、中国の経済も、落ち込んでしまうでしょう。この通りになるかどうかは不明ですが、少なくともその危険性はある、ということではないかと思います。
2015年9月12日土曜日
2015年6月30日火曜日
労農派の歴史研究会第171回例会報告
私がこういう運動をはじめ、世界経済の動向に興味を持ち始めた頃は、一方では、ソ連を中心とする社会主義国一発展途上国の陣営がありましたが、資本主義の世界では、アメリカの優位は圧倒的でした。こんなに早く、アメリカ中心の資本主義世界体制が崩れるなどということは、想像もつきませんでした。
社会、第4章を讒むと、アメリカ中心の経済・金融秩序が崩れるのは、1めようのない
流れでした。アメ!Jヵの経済力と政治・軍事力がともに突出していたので、圧倒的な力に
見えました。そのアメりカの、累積債務が大きくなり始めても、アメリカの力の強大さが
揺らいだようには見えませんでした。
しかし、アメリカの力の低下は、経済においては防ぎようのないものでした。今でも、
アメリカ資本の力は強大です。しかし世界の金融秩序は、もはやアメリカが絶対的な中心
ではなくなりました。卩本の経済・金融における力が、相対的に大きくなっているのは事
実です。しかし日本には、世界の経済・金融秩序を扣っていくような人材がいるよ引こは
見えません。言い複えれぱ、金持ちではあるが人材に乏Lい国が、中心に座ったらどうな
るか。嬖するに、世界の秩序は不安定にならざるをえないのです。これを呼んでの、率直
な感想です。
もちろん、世界の金嫐秩序を動かしていくような人材は、必要に応じて、育つことも事
実でしょう。しかし、数十年間、アメリカの顔色をうかがいながら世界の政・財界で生き
てきた日本の官僚と財界人の中に、世界を視野に入れながら必要な秩序をこなしてゆける
人材が育つようには見えません。これからどうなるのでしょうか?
社会、第4章を讒むと、アメリカ中心の経済・金融秩序が崩れるのは、1めようのない
流れでした。アメ!Jヵの経済力と政治・軍事力がともに突出していたので、圧倒的な力に
見えました。そのアメりカの、累積債務が大きくなり始めても、アメリカの力の強大さが
揺らいだようには見えませんでした。
しかし、アメリカの力の低下は、経済においては防ぎようのないものでした。今でも、
アメリカ資本の力は強大です。しかし世界の金融秩序は、もはやアメリカが絶対的な中心
ではなくなりました。卩本の経済・金融における力が、相対的に大きくなっているのは事
実です。しかし日本には、世界の経済・金融秩序を扣っていくような人材がいるよ引こは
見えません。言い複えれぱ、金持ちではあるが人材に乏Lい国が、中心に座ったらどうな
るか。嬖するに、世界の秩序は不安定にならざるをえないのです。これを呼んでの、率直
な感想です。
もちろん、世界の金嫐秩序を動かしていくような人材は、必要に応じて、育つことも事
実でしょう。しかし、数十年間、アメリカの顔色をうかがいながら世界の政・財界で生き
てきた日本の官僚と財界人の中に、世界を視野に入れながら必要な秩序をこなしてゆける
人材が育つようには見えません。これからどうなるのでしょうか?
2015年5月25日月曜日
労農派の歴史研究会第170回例会報告
1980年代、90年代にはしぱしば、「日米経済摩擦」が、新聞、雑誌をにぎわしていた。
当時は、徹底した合理化でコストを下げて生産した商品を売りまくっていた日本の立場で
の報道が多かりたと思います。この第3章は、日本の商品を売りまくられて困っているア
メリカの対応について、いろいろ書かれていました。圧倒的な経済覇権国だったアメリカ
の工場での、生産性が日本の工場にくらべて、劣ってきてしまった結果です。
覇権というものは、永久に続くものではないのですが、アメリカの生産者たちは、そん
なことを達観しているわけにはいかなかりたでしょう。政治家や国家機関に陳情・要請(アメリカでは「ロビー活動」と言われる)をして、その圧力を受けた者が、日本との交渉にあたったわけです。だから、態度はきわめて強気でした。口本側の交渉肖事者の後ろにも、生産者の圧力があるので、弱気を見せるわけにはいきません。
GATT,WTOなどの閥際機関と言うのは、そういう人たちが活動する場です、だから、国際交渉の場に出る人間というと、英語やフランス語のうまい奴だろうと思われています。外国語の知識も重要ですが、それよりも大事なのは、そのときの議題に関わる業界の事情を良く理解していることです。F押し一本槍」で決裂してもいけないので、的確な「落とし所」をさぐることも大切です。そういう交渉を続けながら、だいたい双方の力関係に見合うように、国際的な協定が出来上がるわけです。80~90年代の日米の経済関係には、そういう協定の変化がありました。しかし協定というものは、情勢に応じて変化するもので、現在のTPPをめぐる交渉は、アメリカの巻き返し策をめぐる攻防戦です。
当時は、徹底した合理化でコストを下げて生産した商品を売りまくっていた日本の立場で
の報道が多かりたと思います。この第3章は、日本の商品を売りまくられて困っているア
メリカの対応について、いろいろ書かれていました。圧倒的な経済覇権国だったアメリカ
の工場での、生産性が日本の工場にくらべて、劣ってきてしまった結果です。
覇権というものは、永久に続くものではないのですが、アメリカの生産者たちは、そん
なことを達観しているわけにはいかなかりたでしょう。政治家や国家機関に陳情・要請(アメリカでは「ロビー活動」と言われる)をして、その圧力を受けた者が、日本との交渉にあたったわけです。だから、態度はきわめて強気でした。口本側の交渉肖事者の後ろにも、生産者の圧力があるので、弱気を見せるわけにはいきません。
GATT,WTOなどの閥際機関と言うのは、そういう人たちが活動する場です、だから、国際交渉の場に出る人間というと、英語やフランス語のうまい奴だろうと思われています。外国語の知識も重要ですが、それよりも大事なのは、そのときの議題に関わる業界の事情を良く理解していることです。F押し一本槍」で決裂してもいけないので、的確な「落とし所」をさぐることも大切です。そういう交渉を続けながら、だいたい双方の力関係に見合うように、国際的な協定が出来上がるわけです。80~90年代の日米の経済関係には、そういう協定の変化がありました。しかし協定というものは、情勢に応じて変化するもので、現在のTPPをめぐる交渉は、アメリカの巻き返し策をめぐる攻防戦です。
2015年4月18日土曜日
労農派の歴史研究会第169例会報告
*飯田敬輔『経済覇権のゆくえ』(中公新書)第三章通商体制の変遷
アメリカとイギリスは、利害が結構対立しているのに、上手に連携しながら世界をリー
ドしてきました。とくに、ブレトンウッズ体制と言われる、ドルを事実上の基軸通貨とす
る通商、経済の運営は、うまくやってきました。
その象徴的な人物として、コーデル・ハルが紹介されています。Fハル・ノート」という
日米開戦を語る際にしぱしぱ出てくる文書の署名者です。ローズベルト政権での国務長官
です。このハルのもとで、ブレトンウッズ体制といわれる。ドルだけが金と結びっき、他
の通貨はドルとの繋がりで信用・安定を保障されるという体制ができました。戦後の世界
経済は、このブレトンウッズ体制の下で維持されたわけです。
ご承知によ、うにアメリカは、強い軍事力とCIAという強力な諜報(陰謀)機関を駆使
して、世界に君臨してきました。しかし経済においては、裏方の役割も果たして、世界経
済の混乱を防いできたのも事実です。そういうことのできる人材も、アメリカは供給して
きたのです。経済力の落ちているイギリスも、この体制をつくるのに貢献したそうです。
ケインズが、その準備に参加しました。その呼び討議に、2年間かけたと書かれています。
GATT(貿易と通商の一般協定)も同様に、この両国がリードしながらつくられまし
た。アメリカの圧倒的な経済力をテコに、世界の通商の秩序を維持してきたわけです。そ
のアメリカの経済力も、年々、落ちてきています。まだ世界第一位ではありますが、第二
位との差は、詰まってきています。
次はどうなるか、知りたいわけですが、その具体案を考える前に、もう少し、この通商
秩序の混迷ぶりの進化の過程を、次回に学習します。
アメリカとイギリスは、利害が結構対立しているのに、上手に連携しながら世界をリー
ドしてきました。とくに、ブレトンウッズ体制と言われる、ドルを事実上の基軸通貨とす
る通商、経済の運営は、うまくやってきました。
その象徴的な人物として、コーデル・ハルが紹介されています。Fハル・ノート」という
日米開戦を語る際にしぱしぱ出てくる文書の署名者です。ローズベルト政権での国務長官
です。このハルのもとで、ブレトンウッズ体制といわれる。ドルだけが金と結びっき、他
の通貨はドルとの繋がりで信用・安定を保障されるという体制ができました。戦後の世界
経済は、このブレトンウッズ体制の下で維持されたわけです。
ご承知によ、うにアメリカは、強い軍事力とCIAという強力な諜報(陰謀)機関を駆使
して、世界に君臨してきました。しかし経済においては、裏方の役割も果たして、世界経
済の混乱を防いできたのも事実です。そういうことのできる人材も、アメリカは供給して
きたのです。経済力の落ちているイギリスも、この体制をつくるのに貢献したそうです。
ケインズが、その準備に参加しました。その呼び討議に、2年間かけたと書かれています。
GATT(貿易と通商の一般協定)も同様に、この両国がリードしながらつくられまし
た。アメリカの圧倒的な経済力をテコに、世界の通商の秩序を維持してきたわけです。そ
のアメリカの経済力も、年々、落ちてきています。まだ世界第一位ではありますが、第二
位との差は、詰まってきています。
次はどうなるか、知りたいわけですが、その具体案を考える前に、もう少し、この通商
秩序の混迷ぶりの進化の過程を、次回に学習します。
2015年3月15日日曜日
労農派の歴史研究会第168回例会報告
テキスト・・『覇権経済のゆくえ』(飯田啓輔、中公新書)第一章
覇権と言うと、強いものが全体を牛耳るというイメージがわくと思います、事実、実質
はそのとおりなのですが、鰹済のいろいろな面には、それぞれに国際機関があり、一定の
ルールに基づいて、人がその期間を動かします。商品の生産、販売に強くても、それらの
期間を上手に動かす人材を育てないと、経済の秩序は保てませんし、覇権を握っていると
いう評価にはなりません。
この本では、通商、通貨、金融、開発の四つの分野について、統括する機構を見ていま
す。全体として現在、「アメリカの覇権が衰えつつある状態である」ということは、多くの
人が一致していますが、それぞれの分野ごとに見るとどうなのか。日常的には、なかなか
そこまでは、分析できません。この著者は、アメリカの力の衰え、二番手、三番手の成長
ぶりを見ながら、-一応の評価をしています。
経済力がつけば、政治(優れた政治家や官吏の育成)にも有利ですし、軍事力の強化に
もつながります。アメリカの圧倒的な力は、圧倒的な経済力に裏付けられていました。こ
れからは、第二次大戦後のアメリカのような圧飼的な力をもつ国家は、なかなか現れない
でしょうが、そこに近づく国はでて来ます。中国がそうなるかどうか、この著者は疑問符
をつけています。
覇権国にならなくても、経済の国際的な機構を動かす人材を多く育てることは、それぞ
れの国にも有利になることですから、日本がそのための取り組みを強めることも、無駄で
はないと思います。いずれにしても、国際経済を動かす際に必要な諸機構の役割を知り、
そこで役に立つような知識の地区制、人材の育成には、ちゃんと予算を配分しておいたほ
うが良いのではないかと思われます。
2015年2月20日金曜日
労農派の歴史研究会第167回研究会報告
この報告をまとめた「日本再建イニシアティブ」というシンクタンクは、この報告と『福
島原発事故独立検証委員会調査・検証報告書』で実績をつくり、世界のシンクタンクラ
ンキングで24位になったと、「おわりに」に書かれている。日木では、国家・各省庁や企
業から独立したシンクタンクというのは少ないから、こういうものができるのは良いこと
である。
ただ、気になるのは、肝心の民主党がここで書かれているような反省点を、どこまで自
覚しているかということである。たとえば、政策を出しても、それを実行する際の実務に
ついても理解し、細部について優先順位を理解しながら実行に移すような能力を持った政
治家と実務者を育てなかったら、どんな良い政策も現実政治に生かされない。自民党政権
は、戦後一貫してその点は官僚に頼ってきたのだが、民主党はどうするのか。さきの政権
では、「官僚でなく、政治家が決める」と宣」’して政権の座について、挫折した。同じ失敗
を繰り返さないようにする準備は、できるのだろうか。それができそうだと周囲か判断で
きれば、民主党への支持がまた徐々に高まるだろう。民主党だけでなく、杜民党も、ある
いは政界再編があれば新たにできる政党も、同じである。
現在、東京の都心部の本屋さんでは、フランス人のピケティの苦書(『21世紀の資本』
『新一資本論』好調に売れている。資本主義の中枢にいる大びとがパこのまま行けるのか」
に疑問を持っているから、そういう現象が起こるのではないかと思われる。そういう状況
だから、政治の変化も必ず起こるだろう。そのときに力を発揮できるためには、いろいろ
な準備が必要であり、政権担当能力もその一つであるだろう。
島原発事故独立検証委員会調査・検証報告書』で実績をつくり、世界のシンクタンクラ
ンキングで24位になったと、「おわりに」に書かれている。日木では、国家・各省庁や企
業から独立したシンクタンクというのは少ないから、こういうものができるのは良いこと
である。
ただ、気になるのは、肝心の民主党がここで書かれているような反省点を、どこまで自
覚しているかということである。たとえば、政策を出しても、それを実行する際の実務に
ついても理解し、細部について優先順位を理解しながら実行に移すような能力を持った政
治家と実務者を育てなかったら、どんな良い政策も現実政治に生かされない。自民党政権
は、戦後一貫してその点は官僚に頼ってきたのだが、民主党はどうするのか。さきの政権
では、「官僚でなく、政治家が決める」と宣」’して政権の座について、挫折した。同じ失敗
を繰り返さないようにする準備は、できるのだろうか。それができそうだと周囲か判断で
きれば、民主党への支持がまた徐々に高まるだろう。民主党だけでなく、杜民党も、ある
いは政界再編があれば新たにできる政党も、同じである。
現在、東京の都心部の本屋さんでは、フランス人のピケティの苦書(『21世紀の資本』
『新一資本論』好調に売れている。資本主義の中枢にいる大びとがパこのまま行けるのか」
に疑問を持っているから、そういう現象が起こるのではないかと思われる。そういう状況
だから、政治の変化も必ず起こるだろう。そのときに力を発揮できるためには、いろいろ
な準備が必要であり、政権担当能力もその一つであるだろう。
2014年4月30日水曜日
労農派の歴史研究会第157回例会報告
レポートをし、勉強会でいくらか議論した後で言うべきことではないのかもしれません
が、「強いのだか、弱いのだか判らない」というのが、率直な感想です。労働組合の組織率
は高くないし、ナショナルセンターにあたる組織が、幾つにも割れている。日本の物差し
で測れば、「弱い」という答えがでます。しかし労組側は弱気になってはいないし、労働時
間や年休の権利などは、きっちりと確保しています。ずるずると譲らされるという状況で
はありません。
フランスの資本家階級は、フランス・ブルジョア革命のときには激しく封建勢力と闘い、
ドイツとの戦争の際にも、ドイツ軍と闘った。どちらの場合も労働者階級と共闘した。そ
ういう歴史の中で、資本家も労働者も、自らの主張は明確に主張するようになったように
見えます。 ドイツの人に聞いても、「フランス人は活発だ」「主張がはっきりしている」と
言います。ドイツとの戦争には連敗しているので、「フランス人は弱い」という感じもあり
ますが、個人の権利の主張は弱くありません。
日本人と比べると、かなり違います。「日本の兵士は勇敢だった」と言われます。そうだ
ったのかもしれません。しかし先日、千葉県の野田地区の9条連で鴨さんが講演した時の
話を聞きました。「ほとんどの人が、解雇されて、それを認めてしまってから相談に来るの
で、闘いになりにくい。」と嘆いていたそうです。たぶんフランス人なら、解雇通告をされ
ても、それを認めないで相談にくるでしょう。「1人で闘え」といっても難しいでしょうが、
せめて、解雇通告を受けたままの状態(拒否して闘わなくても、承認もしない)で相談に
来れば、闘いになる可能性があります。ブルジョア的権利が確立しているフランスと、ブ
ルジョア革命をせずに、封建制時代の残存勢力、その後継勢力に抑えられている日本人と
の違いであるような気がします。
が、「強いのだか、弱いのだか判らない」というのが、率直な感想です。労働組合の組織率
は高くないし、ナショナルセンターにあたる組織が、幾つにも割れている。日本の物差し
で測れば、「弱い」という答えがでます。しかし労組側は弱気になってはいないし、労働時
間や年休の権利などは、きっちりと確保しています。ずるずると譲らされるという状況で
はありません。
フランスの資本家階級は、フランス・ブルジョア革命のときには激しく封建勢力と闘い、
ドイツとの戦争の際にも、ドイツ軍と闘った。どちらの場合も労働者階級と共闘した。そ
ういう歴史の中で、資本家も労働者も、自らの主張は明確に主張するようになったように
見えます。 ドイツの人に聞いても、「フランス人は活発だ」「主張がはっきりしている」と
言います。ドイツとの戦争には連敗しているので、「フランス人は弱い」という感じもあり
ますが、個人の権利の主張は弱くありません。
日本人と比べると、かなり違います。「日本の兵士は勇敢だった」と言われます。そうだ
ったのかもしれません。しかし先日、千葉県の野田地区の9条連で鴨さんが講演した時の
話を聞きました。「ほとんどの人が、解雇されて、それを認めてしまってから相談に来るの
で、闘いになりにくい。」と嘆いていたそうです。たぶんフランス人なら、解雇通告をされ
ても、それを認めないで相談にくるでしょう。「1人で闘え」といっても難しいでしょうが、
せめて、解雇通告を受けたままの状態(拒否して闘わなくても、承認もしない)で相談に
来れば、闘いになる可能性があります。ブルジョア的権利が確立しているフランスと、ブ
ルジョア革命をせずに、封建制時代の残存勢力、その後継勢力に抑えられている日本人と
の違いであるような気がします。
2014年2月4日火曜日
労農派の歴史研究会第156回例会報告
本文の中に、「企業内にあるのは共同決定法にもとづく従業員評議会であって、日本のような労組の「下部組織」は存在しないということは、昔、聞いたことがあるような気がするが、改めて日本との違いについて、驚かされた。 ドイツでは、労組が企業の外にあり、その労組の組合員が企業と契約を結んで働く、という仕組みになっている。企業に所属する労働者が結びついて労働組合をつくるというのではない。だからドイツの労組では、企業と労働組合幹部が癒着するという事態にはなりにくい。双方とも、結ばれた契約にもとづいて行動するのである。癒着もないが、労使交渉が妥結した後で職場闘争でより有利な条件を認めさせるというような行為もしない。労働条件を変えるには、改めて交渉をし直すしかない。そういう歴史をふまえた、労働組合運動なのである。
日本の労働運動が活発であった頃には、日本の運動ほうがよく見えた。労使交渉が終って協約が結ばれても、職場闘争の成果として、それ以上の労働条件を獲得することが、たいへん立派な階級闘争だと思われた。しかし、現在の日本では、労使交渉で何か決めても、職場では、サービス残業が横行している、つまり労使交渉で決めたことが守られていない職場が多い。有給休暇は、西欧では100%使うことが当たり前だが、日本では活動家でも100%はなかなか使わない。執筆者の村田さんは、日本の労働組合運動も体験しているので、この違いが良く判っていて、書いたのだと思われる。
労働組合運動の成立、その後の発展の経過が違うので、組織のあり方についてどちらが良いかは、簡単には言えない。どちらかが良いと思っても、簡単に選択、変更できるわけではない。しかし、ドイツをはじめとする西欧の労資関係において、双方が交渉の結果を大事にしている(もちろん、交渉の結果を守らなければペナルティーが大きい)ということは、日本の労働運動ももっと学んで良いのではないだろうか。
日本の労働運動が活発であった頃には、日本の運動ほうがよく見えた。労使交渉が終って協約が結ばれても、職場闘争の成果として、それ以上の労働条件を獲得することが、たいへん立派な階級闘争だと思われた。しかし、現在の日本では、労使交渉で何か決めても、職場では、サービス残業が横行している、つまり労使交渉で決めたことが守られていない職場が多い。有給休暇は、西欧では100%使うことが当たり前だが、日本では活動家でも100%はなかなか使わない。執筆者の村田さんは、日本の労働組合運動も体験しているので、この違いが良く判っていて、書いたのだと思われる。
労働組合運動の成立、その後の発展の経過が違うので、組織のあり方についてどちらが良いかは、簡単には言えない。どちらかが良いと思っても、簡単に選択、変更できるわけではない。しかし、ドイツをはじめとする西欧の労資関係において、双方が交渉の結果を大事にしている(もちろん、交渉の結果を守らなければペナルティーが大きい)ということは、日本の労働運動ももっと学んで良いのではないだろうか。
2013年12月24日火曜日
労農派の歴史研究会第155回例会報告
レポートを聞きながら、GMが倒産しそうになった頃のことを思い出しました。レポートの中でも言われましたが、GMが危うくなったとき、労組が年金・退職者医療で大幅に譲歩すれば、なんとかなるかもしれないと報道されていました。日本の労資関係であれば、労組は必要なだけの譲歩をして、倒産を回避しようとしたでしょう。日本の風土では、そうせざるをえないのです。
ところがGMの労組は、倒産の回避に動きませんでした。自分が損をするような譲歩はしないのが当然、というわけです。退職者の権利を、守ったのです。そしてアメリカでは、この点で労組を非難する声は、無かったようです。少なくとも、日本で報道されることはありませんでした。
たぶん、日頃の労使交渉でも、同様の態度だと思います。右より、労資協調思想といっても、交渉の場に出れば、やたらに譲歩しないのです。この点では、日本の労働運動、それを取り巻く周囲の眼と、かなり違います。 日本では、かなり左よりの執行部をもつ労組でも、交渉では、非妥協ではいられません。とくに倒産の危機が指摘されるような状況では、「お互いに譲り合って危機を回避せよ」という圧力がかかります。それを無視すると、後々の運動に差し障りが大きいので、最後は譲り合うという形で終ることが多いのです。
この違いは、それぞれの国の風土によるので、指導部が思想的に右よりの組合も、左よりの組合も、どちらもその風土を無視できません。もちろん、交渉決裂というケ-スもありますが、非常に少ないと思われます。
レーガンが大統領になった直後に、航空管制官のストに直面しました。レポートにあるように、この時は双方非妥協で、大統領は航空管制官全員を解雇しました。労組はもちろん打撃を受けたのですが、大統領の行為もやり過ぎであったようです。レーガンの政治を誉める人は時々いますが、この争議への対応について誉める人は、あまりいません。アメリカの風土でも、いつでも非妥協で交渉するのが良いわけではないようです。
ところがGMの労組は、倒産の回避に動きませんでした。自分が損をするような譲歩はしないのが当然、というわけです。退職者の権利を、守ったのです。そしてアメリカでは、この点で労組を非難する声は、無かったようです。少なくとも、日本で報道されることはありませんでした。
たぶん、日頃の労使交渉でも、同様の態度だと思います。右より、労資協調思想といっても、交渉の場に出れば、やたらに譲歩しないのです。この点では、日本の労働運動、それを取り巻く周囲の眼と、かなり違います。 日本では、かなり左よりの執行部をもつ労組でも、交渉では、非妥協ではいられません。とくに倒産の危機が指摘されるような状況では、「お互いに譲り合って危機を回避せよ」という圧力がかかります。それを無視すると、後々の運動に差し障りが大きいので、最後は譲り合うという形で終ることが多いのです。
この違いは、それぞれの国の風土によるので、指導部が思想的に右よりの組合も、左よりの組合も、どちらもその風土を無視できません。もちろん、交渉決裂というケ-スもありますが、非常に少ないと思われます。
レーガンが大統領になった直後に、航空管制官のストに直面しました。レポートにあるように、この時は双方非妥協で、大統領は航空管制官全員を解雇しました。労組はもちろん打撃を受けたのですが、大統領の行為もやり過ぎであったようです。レーガンの政治を誉める人は時々いますが、この争議への対応について誉める人は、あまりいません。アメリカの風土でも、いつでも非妥協で交渉するのが良いわけではないようです。
2013年11月12日火曜日
労農派の歴史研究会第154回例会報告
連合発足の後、つまり90年代は、左派の人間にとっては「暗い時代」だった。左派の内部も幾つにも分かれ、批判し合いながら勢力を弱めていた。そういう時期に、自治労が日共系を除けばまとまって連合に入ったこと、総評内の中小企業労働運動(左派の影響力が強かった)が、まとまって連合に入り、内部で労働組合運動を継続する努力を続けたことが救いであった。その後の連合運動のなかでも、中小労働運動の存在が、連合の役割をひきたてていることは、例年の春闘を見れば明らかだろう。
当時の記憶を掘り起こすと、レポートの中にある「補強五項目見解」を追求した運動の役割が大きかったと思う。総評運動を解体して連合に移行する議論の過程で、はじめの頃には、中小労働運動の幹部・活動家の中には、「連合なんかに行けるか!」という雰囲気が強かった。中小企業の労組を多く抱える単産が連合に入らなければ、連合も社会的影響力も小さくなるし、左派労働運動も分断されてさらに弱体化することが危惧されていた。
そういう時期に「補強五項目見解」が提起された。(1)国民春闘路線の継承、(2)「反自民」「全野党の協力、共同闘争」、(4)中小企業労組・未組織労働者組織化の援助、等々、連合運動の弱点として指摘されていた問題点を簡潔に表現したものだった。この五項目を富塚総評事務局長が、連合結成にむけての会議で繰り返し主張し、中小労働運動の幹部・活動家たちがそれを支持した。そういう議論がしばらく続いている間に、「連合なんかに入れるか」と言っていて労組幹部・活動家たちの多くが、連合の批判をしながらも、中に入ってこの主張と運動を続けると変った。その経過は、富塚事務局長とその周辺の人たちの、見事な手品のようであった。
現在でも、自治労と中小労働運動の担い手たちが、多くの仲間たちと協力しながら、連合を少しでも労働組合らしくさせている。そして今は、多くの人に、労働組合(もちろん、
連合外の労組も含めて)の立ち直りが期待されている。
当時の記憶を掘り起こすと、レポートの中にある「補強五項目見解」を追求した運動の役割が大きかったと思う。総評運動を解体して連合に移行する議論の過程で、はじめの頃には、中小労働運動の幹部・活動家の中には、「連合なんかに行けるか!」という雰囲気が強かった。中小企業の労組を多く抱える単産が連合に入らなければ、連合も社会的影響力も小さくなるし、左派労働運動も分断されてさらに弱体化することが危惧されていた。
そういう時期に「補強五項目見解」が提起された。(1)国民春闘路線の継承、(2)「反自民」「全野党の協力、共同闘争」、(4)中小企業労組・未組織労働者組織化の援助、等々、連合運動の弱点として指摘されていた問題点を簡潔に表現したものだった。この五項目を富塚総評事務局長が、連合結成にむけての会議で繰り返し主張し、中小労働運動の幹部・活動家たちがそれを支持した。そういう議論がしばらく続いている間に、「連合なんかに入れるか」と言っていて労組幹部・活動家たちの多くが、連合の批判をしながらも、中に入ってこの主張と運動を続けると変った。その経過は、富塚事務局長とその周辺の人たちの、見事な手品のようであった。
現在でも、自治労と中小労働運動の担い手たちが、多くの仲間たちと協力しながら、連合を少しでも労働組合らしくさせている。そして今は、多くの人に、労働組合(もちろん、
連合外の労組も含めて)の立ち直りが期待されている。
2013年9月25日水曜日
労農派の歴史研究会第153回例会報告
男女雇用機会均等法が成立した頃、労働組合でもその他の団体でも、女性の役員は非常に少なかった。それから十数年たって、最近は少し増えたように見える。しかし、個人で仕事をする職業、学者、評論家、弁護士など、に比べると、まだ労働組合役員は少ないのではないかと思う。
この章の執筆者も、ずいぶん苦労をしたのではないかと思う。学者、評論家、弁護士などで活躍する女性たちを見れば、男性と「能力の差」がないことは判る。しかし、日本ではまだ、企業や労働組合の中で、「女性が男性の上の地位に立つ」というのは、心理的な抵抗がある。だから、実現しているところは少ない。
数年前、トヨタがアメリカで問題を起して、アメリカ・トヨタの経営者たちの写真が報道されたとき、アメリカの視聴者の第一印象は「男だけ!日本人ばかり!」であり、かなり印象を悪くしたそうである。そのために問題の解決が遅れて、たぶん、金銭的にもマイナスが大きくなっただろう。アメリカやEU諸国の企業でも、報道に出てくる会長、社長はほとんど男だからこの点ではあまり違わないと思うが、その他のポストには女性の役員がもう少し多いのだろう。男女平等の点で先進国である西欧の社会でもその程度だから、発展途上国である日本では、改善がゆっくりとしか進まないのは、やむを得ない。
この章に書かれているように、国際的な改革に引っ張られながら、日本でも女性の権利、女性の活躍の場の実現が、進んできた。私は、国家でも、社会でも、その中のいろいろな団体でも、その中の女性の能力を十分に生かす方が、全体の利益になると思う。ただ、その事が実現する過程は、ゆっくりとしたものであり、また行きつ戻りつ、という場合もあると思う。
しかし、現在の若者たちのなかでは、男女の権利の均等化は、進んでいると思う。それは労働者の権利全体の確立に、プラスになると思われる。
この章の執筆者も、ずいぶん苦労をしたのではないかと思う。学者、評論家、弁護士などで活躍する女性たちを見れば、男性と「能力の差」がないことは判る。しかし、日本ではまだ、企業や労働組合の中で、「女性が男性の上の地位に立つ」というのは、心理的な抵抗がある。だから、実現しているところは少ない。
数年前、トヨタがアメリカで問題を起して、アメリカ・トヨタの経営者たちの写真が報道されたとき、アメリカの視聴者の第一印象は「男だけ!日本人ばかり!」であり、かなり印象を悪くしたそうである。そのために問題の解決が遅れて、たぶん、金銭的にもマイナスが大きくなっただろう。アメリカやEU諸国の企業でも、報道に出てくる会長、社長はほとんど男だからこの点ではあまり違わないと思うが、その他のポストには女性の役員がもう少し多いのだろう。男女平等の点で先進国である西欧の社会でもその程度だから、発展途上国である日本では、改善がゆっくりとしか進まないのは、やむを得ない。
この章に書かれているように、国際的な改革に引っ張られながら、日本でも女性の権利、女性の活躍の場の実現が、進んできた。私は、国家でも、社会でも、その中のいろいろな団体でも、その中の女性の能力を十分に生かす方が、全体の利益になると思う。ただ、その事が実現する過程は、ゆっくりとしたものであり、また行きつ戻りつ、という場合もあると思う。
しかし、現在の若者たちのなかでは、男女の権利の均等化は、進んでいると思う。それは労働者の権利全体の確立に、プラスになると思われる。
2013年8月27日火曜日
労農派の歴史研究会第152回例会報告
連合香川の運動の歩みと発展についての報告を受けた。確実にやるべきことを実行して、
現在では、活発に活動しているほうの県連合だそうである。私も一度、学習会に参加した
ことがある。自治労をはじめとする官公労の参加者が多かったのはもちろんだが、民間・
中小の労働者も参加していた。役員の方に、どういう取り組みが良かったのか聞いてみた
ら、いろいろな会合で素直に発言したことが、ゼンセン同盟をはじめ|日同盟の労組役員に
良い印象をもたれた原因ではないか、と言っていた。発言を遠慮したのではなく、積極的
に発言した方が良かったというのであった。もちろん、発言する以上、他の発言者が言う
ことを良く聞くということもあっただろう。社民党、民主党の「すみ分け」による選挙協
力も、行なわれている。
話は変わるが、現在、国際政治においても冷戦時代のような、固定した対立・対峙の関
係は、表面化していない。たとえば、米中両国とも、相手の国とは対決でなく協力の関係
にあると言っている。腹の中がどうかは知らないが、少なくとも公式の発言では、協力関
係にあると言っている。欧米の人々は、そう言いつつも、自分の見解ははっきり主張する。
その点では、強調となると自分の意見を言わなくなる傾向の強い日本人とは、かなり違う。
香川の連合の活動をしている人たちの気持ちを聞いたことはないが、欧米流の民主主義に
近いのではないかと感じられる。
ともかく、われわれもこれまでに学んできた労働運動論を捨てないし、同盟運動で育っ
てきた人たち、その後継者たちも多分そうだろう。それでも組織内の対話が進み、相互理
解が進むという例を、香川の運動の中に見ることができるのではないか。
現在は、労働運動全体が低調である。この運動を上向きにしていくためには、連合内外
の者のすべてが、協力し合うことが重要であると思われる。それは中央より、県、地区の
連合運動の中で、実行し易いのではないか。
現在では、活発に活動しているほうの県連合だそうである。私も一度、学習会に参加した
ことがある。自治労をはじめとする官公労の参加者が多かったのはもちろんだが、民間・
中小の労働者も参加していた。役員の方に、どういう取り組みが良かったのか聞いてみた
ら、いろいろな会合で素直に発言したことが、ゼンセン同盟をはじめ|日同盟の労組役員に
良い印象をもたれた原因ではないか、と言っていた。発言を遠慮したのではなく、積極的
に発言した方が良かったというのであった。もちろん、発言する以上、他の発言者が言う
ことを良く聞くということもあっただろう。社民党、民主党の「すみ分け」による選挙協
力も、行なわれている。
話は変わるが、現在、国際政治においても冷戦時代のような、固定した対立・対峙の関
係は、表面化していない。たとえば、米中両国とも、相手の国とは対決でなく協力の関係
にあると言っている。腹の中がどうかは知らないが、少なくとも公式の発言では、協力関
係にあると言っている。欧米の人々は、そう言いつつも、自分の見解ははっきり主張する。
その点では、強調となると自分の意見を言わなくなる傾向の強い日本人とは、かなり違う。
香川の連合の活動をしている人たちの気持ちを聞いたことはないが、欧米流の民主主義に
近いのではないかと感じられる。
ともかく、われわれもこれまでに学んできた労働運動論を捨てないし、同盟運動で育っ
てきた人たち、その後継者たちも多分そうだろう。それでも組織内の対話が進み、相互理
解が進むという例を、香川の運動の中に見ることができるのではないか。
現在は、労働運動全体が低調である。この運動を上向きにしていくためには、連合内外
の者のすべてが、協力し合うことが重要であると思われる。それは中央より、県、地区の
連合運動の中で、実行し易いのではないか。
2013年7月20日土曜日
労農派の歴史研究会第151回例会報告
連合春闘が始まった90年代というのは、ソ連が崩壊して、資本主義内部の競争が残った時代であった。当時はそういうことはあまり意識しては考えなかったが、資本主義内の競争ということは、コスト削減をめぐる競争が厳しくなるということであった。したがって、賃金闘、争は非常に取り組みにくくなるということであった。
連合、各産別、というよりその実権を握る個別大企業の労資は、賃金闘争をやりたくないのは当然である一一企業としては、他の企業の労働者が賃上げをして、製品を買ってくれるのは歓迎だが、自分のところはその分だけコスト削減をしたいのがホンネだー-だから春闘を継続しようとする人たちは、様々に工夫しながら、単産、単組に働きかけていたようだ。ところが、この章に、ていねいに書かれているように、そうやって苦労しても、獲得できた賃上げは、その前の時代に比べると、額も率も小さい。だから実際に現場で苦労していない人は、「だから連合はだめだ!」と批判したがっていた。
私(山峙)も、最近になってとくに強く感じるようになったのだが、60年代、70年代のように、企業も高度成長するが労働者も大幅賃上げが当たり前というのは、資本主義のなかでも条件の整ったところでだけ実現するのだ、ということである。そのなかで誰が偉いとか、立派だということではなく、そういう特殊な条件にある資本主義で起こる現象なのである。現在、「成長政策」というようなことを言っている人たちは、みんな「うまくやれば60年代、70年代と同じような高度成長をできる」と、本人が思うか、そう思っている人たちに圧力をかけられて、四苦八苦しているのである。
そういう条件を再現できれば良いが、そうならないときは、毎年わずかづつでも賃上げが出来るのなら、それを長期間継続することを考えた方が良いのである。90年代、2000年代と、労組幹部が賃上げに努力して、ささやかな要求でも値切られてしまうようだが、それを継続して、少しでも正当な賃金獲得に近づいてほしい、と考える他ない。
連合、各産別、というよりその実権を握る個別大企業の労資は、賃金闘争をやりたくないのは当然である一一企業としては、他の企業の労働者が賃上げをして、製品を買ってくれるのは歓迎だが、自分のところはその分だけコスト削減をしたいのがホンネだー-だから春闘を継続しようとする人たちは、様々に工夫しながら、単産、単組に働きかけていたようだ。ところが、この章に、ていねいに書かれているように、そうやって苦労しても、獲得できた賃上げは、その前の時代に比べると、額も率も小さい。だから実際に現場で苦労していない人は、「だから連合はだめだ!」と批判したがっていた。
私(山峙)も、最近になってとくに強く感じるようになったのだが、60年代、70年代のように、企業も高度成長するが労働者も大幅賃上げが当たり前というのは、資本主義のなかでも条件の整ったところでだけ実現するのだ、ということである。そのなかで誰が偉いとか、立派だということではなく、そういう特殊な条件にある資本主義で起こる現象なのである。現在、「成長政策」というようなことを言っている人たちは、みんな「うまくやれば60年代、70年代と同じような高度成長をできる」と、本人が思うか、そう思っている人たちに圧力をかけられて、四苦八苦しているのである。
そういう条件を再現できれば良いが、そうならないときは、毎年わずかづつでも賃上げが出来るのなら、それを長期間継続することを考えた方が良いのである。90年代、2000年代と、労組幹部が賃上げに努力して、ささやかな要求でも値切られてしまうようだが、それを継続して、少しでも正当な賃金獲得に近づいてほしい、と考える他ない。
2013年6月21日金曜日
労農派の歴史研究会第150回例会報告
労働法制についての対応、国の基本政策、政治方針などが前回のテーマでした。この前にも言ったように、総評が無くなり、90年代には社会党も分解してしまうという状況で、労働運動にはたいへん暗い情勢でした。反動化を危惧する発言が、度々出されました。
しかし私としては、連合の議論は、予想していたよりも堅実で、傘下の産業別組織、あるいは単位組合などから出された意見は、それなりに反映されていたと思います。労働運動全体が停滞して弱くなっていたので、反戦・平和の闘いも、労働法制に中いての闘いも強力でなかったのは事実です。しかし、強引な運営で反対意見を抑え込むというようなことは、あまりなかったと思います。
憲法9条や自衛隊・自衛権などについても、きちんと意見集約がされていたようです。UIゼンセン同盟のように、改憲論の労組があるところでの意見集約でしたから、左派の人々が満足するような内容ではなかったのですが、それは労組の現状ですから、我慢しなければなりません。我慢しながら、正しい意見でまとめられるように、影響力を拡大しなければならないのは当然です。
最近の労働組合の話を聞きますと、われわれの仲間たちも含めて、役員の後継者を確保するのに四苦八苦しているそうです。ということは、逆に言えば、後継者をたくさんつくって労組役員に送り込めば、方針、見解についても足りないところを補える、ということです。もちろん、現在はこの点が一番難しくて、どこの団体も四苦八苦しているところです。今は労組の機関で「主導権争い」をするよりも、どの党派、政治潮流も、「後釜不足」が深刻だそうです。
「後釜」を育てるためにも、労組の政策、政治的立場について、若い人々に理解してもらうことが大切です。長期の不況で、労組の奮起を期待する声が大きくなっているこの頃ですから、ぜひこの点での成果を上げましょう。
しかし私としては、連合の議論は、予想していたよりも堅実で、傘下の産業別組織、あるいは単位組合などから出された意見は、それなりに反映されていたと思います。労働運動全体が停滞して弱くなっていたので、反戦・平和の闘いも、労働法制に中いての闘いも強力でなかったのは事実です。しかし、強引な運営で反対意見を抑え込むというようなことは、あまりなかったと思います。
憲法9条や自衛隊・自衛権などについても、きちんと意見集約がされていたようです。UIゼンセン同盟のように、改憲論の労組があるところでの意見集約でしたから、左派の人々が満足するような内容ではなかったのですが、それは労組の現状ですから、我慢しなければなりません。我慢しながら、正しい意見でまとめられるように、影響力を拡大しなければならないのは当然です。
最近の労働組合の話を聞きますと、われわれの仲間たちも含めて、役員の後継者を確保するのに四苦八苦しているそうです。ということは、逆に言えば、後継者をたくさんつくって労組役員に送り込めば、方針、見解についても足りないところを補える、ということです。もちろん、現在はこの点が一番難しくて、どこの団体も四苦八苦しているところです。今は労組の機関で「主導権争い」をするよりも、どの党派、政治潮流も、「後釜不足」が深刻だそうです。
「後釜」を育てるためにも、労組の政策、政治的立場について、若い人々に理解してもらうことが大切です。長期の不況で、労組の奮起を期待する声が大きくなっているこの頃ですから、ぜひこの点での成果を上げましょう。
2013年5月19日日曜日
労農派の歴史研究会第149回例会報告
連合結成の後、90年代に入ると日本経済は長期の停滞期に入りました。多少は景気の波が上向いても、グローバル化で国内の生産・販売は伸びないので、労働者、とくに中小企業労働者には、厳しい状況が続きました。国内の工場、営業所の縮小、撤退が相次いだからです。そのために春闘においても、中小企業労組を多く抱える産別は、苦しい局面に立たされました。
レポートでも強調されたように、93年春闘で「中小連絡共闘会議」が発足し、94春闘では「中小運動センター」が新設され、95春闘では「中小共闘センター」になりました。
2000年代になると、パート、非正規労働者の増加が大きな問題になり、06年には「パート共闘」が設置され、07年には「連合非正規労働センター」「パート共闘」「パート共闘連絡会議」などが出来て、労働条件改善、組織化などに取り組みました。最低賃金の引き上げにもつながりました。
労働組合の力量を高めるために、未組織労働者の組織化にも、力が注がれました。それでも、組織率は上がらず、連合の組織数も徐々に落ちています。連合組織は最高時には800万人を超えたそうですが、リストラの連続で雇用者数が減ったためもあって、現在は700万人が目標です。
労働法制確立の取り組みも継続してきました。なかなか目に見える成果が上がらないのは事実ですが、取り組みの中軸になっているのは連合です。労働戦線再編成の議論が盛んであった90年代には、連合はすべて資本の言いなりになるかのような批判を受けましたが、労働者の意見がそれなりに反映されているのも事実です。問題はその「労働者の声」を、もっと強めることではないかと思われます。
レポートでも強調されたように、93年春闘で「中小連絡共闘会議」が発足し、94春闘では「中小運動センター」が新設され、95春闘では「中小共闘センター」になりました。
2000年代になると、パート、非正規労働者の増加が大きな問題になり、06年には「パート共闘」が設置され、07年には「連合非正規労働センター」「パート共闘」「パート共闘連絡会議」などが出来て、労働条件改善、組織化などに取り組みました。最低賃金の引き上げにもつながりました。
労働組合の力量を高めるために、未組織労働者の組織化にも、力が注がれました。それでも、組織率は上がらず、連合の組織数も徐々に落ちています。連合組織は最高時には800万人を超えたそうですが、リストラの連続で雇用者数が減ったためもあって、現在は700万人が目標です。
労働法制確立の取り組みも継続してきました。なかなか目に見える成果が上がらないのは事実ですが、取り組みの中軸になっているのは連合です。労働戦線再編成の議論が盛んであった90年代には、連合はすべて資本の言いなりになるかのような批判を受けましたが、労働者の意見がそれなりに反映されているのも事実です。問題はその「労働者の声」を、もっと強めることではないかと思われます。
2013年3月13日水曜日
労農派の歴史研究会第147回例会報告
90年代には、国際政治においてはソ連の崩壊があり、国内では五五年体制の解体があり
ました。経済のグローバル化が進行して、労働者の運動にも大きな影響がありました。そ
の時代の日本の政治を、手短にまとめたのがこの章です。
当時、自民党政権はもう長くは続かないということは判っていたのですが、どういう政
権に代わるのかは、必ずしも明確ではありませんでした。この執筆者が言う北欧型社会民
主主義の日本版の実現というのは、もっとも有力な説の一つでした。福祉の充実に、反対
する労働者はいないからです。
49頁以降に書かれているように、09年の総選挙では、非自民勢力の期待がうまく結集
されたと思われます。国民生活重視、人間らしい労働(ティーセント・ワーク)、官僚政治
の打破、政官業癒着の打破、地方分権、環境保護など、ほんとうに期待は大きかったと言
えます。それがご承知のような経過で、短期の首相交代、支持率低下があって、昨年末の
総選挙での、民主党大敗に至ってしまいました。社民党はもう与党ではなくなっていたの
です力八同様の敗北であったと見なければならないでしょう。共産党にも支持が集まって
はいないので、民主党政権と共に[戦後革新]が敗れたと見て良いのではないでしょうか。
レポーターの廣田さんも、「四 生活に密着した国民の要求一北欧型社会民主主義の日本
版を」「五 非核化政策と日米同盟からの脱却」「六 連立政権を支える社民党と労働組合
の役割」について述べています。
90年代には社会党左派も落ち着いた討論ができずに、成り行き任せで分裂し、峰な政策
論議もせずに民主党政権に追随してしまったのですが、今度はもう少しましな対応をしな
ければ、という感じがします。現実にわれわれの周辺に残存している政治勢力を見るとか
なり遠い課題かもしれませんが。
ました。経済のグローバル化が進行して、労働者の運動にも大きな影響がありました。そ
の時代の日本の政治を、手短にまとめたのがこの章です。
当時、自民党政権はもう長くは続かないということは判っていたのですが、どういう政
権に代わるのかは、必ずしも明確ではありませんでした。この執筆者が言う北欧型社会民
主主義の日本版の実現というのは、もっとも有力な説の一つでした。福祉の充実に、反対
する労働者はいないからです。
49頁以降に書かれているように、09年の総選挙では、非自民勢力の期待がうまく結集
されたと思われます。国民生活重視、人間らしい労働(ティーセント・ワーク)、官僚政治
の打破、政官業癒着の打破、地方分権、環境保護など、ほんとうに期待は大きかったと言
えます。それがご承知のような経過で、短期の首相交代、支持率低下があって、昨年末の
総選挙での、民主党大敗に至ってしまいました。社民党はもう与党ではなくなっていたの
です力八同様の敗北であったと見なければならないでしょう。共産党にも支持が集まって
はいないので、民主党政権と共に[戦後革新]が敗れたと見て良いのではないでしょうか。
レポーターの廣田さんも、「四 生活に密着した国民の要求一北欧型社会民主主義の日本
版を」「五 非核化政策と日米同盟からの脱却」「六 連立政権を支える社民党と労働組合
の役割」について述べています。
90年代には社会党左派も落ち着いた討論ができずに、成り行き任せで分裂し、峰な政策
論議もせずに民主党政権に追随してしまったのですが、今度はもう少しましな対応をしな
ければ、という感じがします。現実にわれわれの周辺に残存している政治勢力を見るとか
なり遠い課題かもしれませんが。
2013年2月7日木曜日
労農派の歴史研究会第146回例会報告
テキストが判りやすく書かれていたので、内容については、とくに議論はありませんでした。小泉内閣の当時、報道では長期の好況と書かれていましたが、実際、労働者にはその実感はなかったと思います。
その後は、「リーマンショック」以後の欧米の不況と重なってしまったので、日本経済は名実ともに不況に入り、そこからの脱出の出口が見えません。報道ではFアペノミクスの
成功で株価が上がった。もうじき好況に」という、希望をもたせるような解説が多いのですが、世界のニュースを見ると、アメリカ、EUの株価も、日本と同様にこの間に7%前後上がっています。「アベノミクス」がなくても、同じぐらいの株価上昇はあったのです。株価というものは、大気予報と同じように、予想しにくいものなのですが、上昇は必ずしも「安倍のおかげ」ではないようです。
大事なことは、「国民の購買力」を大きくすることではないかと思われます。この点て成果が積み重なってゆけば、国内での商品の売れ行きも、良くなると思われますギジシャやスペインの労働組合は、国の借金が問題にされ、緊縮財政を求める圧力が強いのに、ストをやめません。
日本では、大阪府・市が典型ですが、労働組合が抵抗を控えているのに「労働組合叩き」が執拗に続けられます。労働組合の方では、もっと大声で主張しても良いと思うのですが、そうしていないようです。「孤立するともっと叩かれる」という危惧が強いようです。
状況を変えるには、味方を増やしながら、世論を転換させることができるような陣容を整えなけれ、ばなりません。戦後、1960年代ぐらいまでは、総評の行動にも力がありましたが、味方の勢力、行動は一緒にできないが応援はしてくれる勢力などが、年々、厚みを増していました。学習を重ねながら、そういう状況もつくりたいと思います。
労農派の歴史研究会に戻る
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/rounouha.htm
その後は、「リーマンショック」以後の欧米の不況と重なってしまったので、日本経済は名実ともに不況に入り、そこからの脱出の出口が見えません。報道ではFアペノミクスの
成功で株価が上がった。もうじき好況に」という、希望をもたせるような解説が多いのですが、世界のニュースを見ると、アメリカ、EUの株価も、日本と同様にこの間に7%前後上がっています。「アベノミクス」がなくても、同じぐらいの株価上昇はあったのです。株価というものは、大気予報と同じように、予想しにくいものなのですが、上昇は必ずしも「安倍のおかげ」ではないようです。
大事なことは、「国民の購買力」を大きくすることではないかと思われます。この点て成果が積み重なってゆけば、国内での商品の売れ行きも、良くなると思われますギジシャやスペインの労働組合は、国の借金が問題にされ、緊縮財政を求める圧力が強いのに、ストをやめません。
日本では、大阪府・市が典型ですが、労働組合が抵抗を控えているのに「労働組合叩き」が執拗に続けられます。労働組合の方では、もっと大声で主張しても良いと思うのですが、そうしていないようです。「孤立するともっと叩かれる」という危惧が強いようです。
状況を変えるには、味方を増やしながら、世論を転換させることができるような陣容を整えなけれ、ばなりません。戦後、1960年代ぐらいまでは、総評の行動にも力がありましたが、味方の勢力、行動は一緒にできないが応援はしてくれる勢力などが、年々、厚みを増していました。学習を重ねながら、そういう状況もつくりたいと思います。
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http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/rounouha.htm
2012年12月29日土曜日
労農派の歴史研究会第145回例会報告
教育実践の内容、教育労働間題の学習会を基礎にもつ日教組運動の強さについては、幡野さんの報告で良く判りました。しかしその後も、資本、保守勢力、権力などから目の敵にされ続け九日教組運動は、処分者の多さ、犠牲者救援資金の確保で、苦労を続けてきました。その問題の打開策の一つとして、文部省との「和解」が行われました。この点で幡野さんは、『社会主義』誌の記述に意見を述べました。当事者でないと良く判らないところが多いのですが、客観的にみると、日の丸、君が代の問題など、日教組だけが矢面に立っている状況を変えないと、打開策は出てこないのではないかという感じがしました。
次のテキスト 『連合運動』(労働運動研究会編 えるむ書房)に
次回からは、次回からは、またテキストを決めて学習しようということになって、えるむ書房の『連合運動』に決めました。2009年に書かれた本です。
最近は、労働組合運動について書かれた出版物がめっきり少なくなってしまったのですが、この本は学者と労働運動の役員、活動家が協力してつくられました。読んで、おおいに議論して、労働運動建て直しへの課題を考えたいと思います。
新自由主義の跳梁蹟琶のもとで、どこでも労働組合運動は苦闘しているのですが、お隣の韓国や、経済危機に直面している南欧の国々では、ストライキが行なわれています。その違いは、簡単には判らないでしょうが、考えてみることは必要です。連合、労働組合運動の実情を学びながら、考えてみたいと思います。
最初は、経済情勢、次が政治情勢と改革の課題です。こういう点でも80年代、90年代とは違う特徴が出ていると思いますが、そういうところをはじめに少し勉強してから、労働組み合運動が現実にぶつかっている課題について考えてみたいと思います。
労農派の歴史研究会に戻る
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/rounouha.htm
次のテキスト 『連合運動』(労働運動研究会編 えるむ書房)に
次回からは、次回からは、またテキストを決めて学習しようということになって、えるむ書房の『連合運動』に決めました。2009年に書かれた本です。
最近は、労働組合運動について書かれた出版物がめっきり少なくなってしまったのですが、この本は学者と労働運動の役員、活動家が協力してつくられました。読んで、おおいに議論して、労働運動建て直しへの課題を考えたいと思います。
新自由主義の跳梁蹟琶のもとで、どこでも労働組合運動は苦闘しているのですが、お隣の韓国や、経済危機に直面している南欧の国々では、ストライキが行なわれています。その違いは、簡単には判らないでしょうが、考えてみることは必要です。連合、労働組合運動の実情を学びながら、考えてみたいと思います。
最初は、経済情勢、次が政治情勢と改革の課題です。こういう点でも80年代、90年代とは違う特徴が出ていると思いますが、そういうところをはじめに少し勉強してから、労働組み合運動が現実にぶつかっている課題について考えてみたいと思います。
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2012年11月19日月曜日
労農派の歴史研究会第144回例会報告
はじめに、お詫び。前回、案内状を出すのを忘れたまま、予定していた1 1月1日の研
究会の直前になってしまい、あわてて電話連絡をして済ませてしまいました。そのために
第14 4回学習会の案内状は出されず(学習会は無事終了)、これが次の第14 5回学習会
の案内状ということになります。
幡野さんの報告は、都立高校の職場での、教育労働問題研究会と結びついた日教組運動
の報告でした。勤評に象徴される権力側の日教組つぶしの攻撃に耐え抜いて運動を継続さ
せてきた強さの一面を学ぶことができました。
私自身の記憶では、勤評闘争が始まったとき、小・中・高校で教えを受けた先生だちと
あの激しい闘争とが、なかなか結び付かなかったのですが、組織内部の苦労はたいへん大
きかったのではないかと思われます。勤務評定が始まった5 0年代後半は、労働運動全体
が大きな力をもっていたし、その中で日教組が果たした役割も大きかったのですが、それ
だけに政府・資本の側の攻撃も烈しく、組織の切り崩しも強烈であったと思います。
都高教においては、教育労働運動研究会による学習活動を組織内に浸透させながら闘っ
たという特徴があったことが、良く判りました。組織の中枢にいる幹部が、学習活動にも
熱心であったところが、成功の大きな要因であったと思われます。
以前に、国労や全逓の運動についての話を聞いたときにも、仕事の上でも周囲の人から
一目置かれるような人が権利を主張すれば、当局側も認めざるを得なかったと言われまし
た。仕事の面で中心になるような人たちが権利意識をしっかり持つようになることで、労
働者の権利が定着したわけです。昭和50年代、60年代の労働運動においては、そうい
う人たちが、分会長、支部長をしていたので、強い力を発揮できたと言えます。今は、労
務管理や、コスト削減の圧力が強いので、職場で権利を主張するのも大変だと思いますが、
頑張ってほしいと思います。
労働運動が立ち直るには、まだ前途遼遠でしょうが・・・。
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究会の直前になってしまい、あわてて電話連絡をして済ませてしまいました。そのために
第14 4回学習会の案内状は出されず(学習会は無事終了)、これが次の第14 5回学習会
の案内状ということになります。
幡野さんの報告は、都立高校の職場での、教育労働問題研究会と結びついた日教組運動
の報告でした。勤評に象徴される権力側の日教組つぶしの攻撃に耐え抜いて運動を継続さ
せてきた強さの一面を学ぶことができました。
私自身の記憶では、勤評闘争が始まったとき、小・中・高校で教えを受けた先生だちと
あの激しい闘争とが、なかなか結び付かなかったのですが、組織内部の苦労はたいへん大
きかったのではないかと思われます。勤務評定が始まった5 0年代後半は、労働運動全体
が大きな力をもっていたし、その中で日教組が果たした役割も大きかったのですが、それ
だけに政府・資本の側の攻撃も烈しく、組織の切り崩しも強烈であったと思います。
都高教においては、教育労働運動研究会による学習活動を組織内に浸透させながら闘っ
たという特徴があったことが、良く判りました。組織の中枢にいる幹部が、学習活動にも
熱心であったところが、成功の大きな要因であったと思われます。
以前に、国労や全逓の運動についての話を聞いたときにも、仕事の上でも周囲の人から
一目置かれるような人が権利を主張すれば、当局側も認めざるを得なかったと言われまし
た。仕事の面で中心になるような人たちが権利意識をしっかり持つようになることで、労
働者の権利が定着したわけです。昭和50年代、60年代の労働運動においては、そうい
う人たちが、分会長、支部長をしていたので、強い力を発揮できたと言えます。今は、労
務管理や、コスト削減の圧力が強いので、職場で権利を主張するのも大変だと思いますが、
頑張ってほしいと思います。
労働運動が立ち直るには、まだ前途遼遠でしょうが・・・。
労農派の歴史研究会に戻る
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2012年9月17日月曜日
労農派の歴史研究会第142回例会報告
「Ⅲ 社会党的政治勢力の組織的性格」のなかに労農派マルクス主義について、「革命に行かに接近していくかという移行過程の組織論と政策体系に乏しく、革命の客観的条件が熟するまで学習会を組織し、労働組合を組織し、政治的には当面の改良的政策要求を闘うことが主張されているだけである。」(110頁)という記述があり、報告者も引用していて、若干話題になりました。たしかに、われわれは学習会には熱心で、移行過程の組織論と政策体系の議論には不熱心でした。
社会党や総評の基礎的な組織(支部、総支部、労組の分会、支部など)を強くするには、学習会の継続が一番効果的でした。「移行過程の組織論と政策体系」などに熱心であると、どうしてもメンバーが偏り、広がりませんでした。清水慎三の批判に当たっているところもあったのですが、他方で、社会主義協会員が中心にいる組織が、今でも(かなり小さくはなったが)残り、清水理論の信奉者が、優秀なメンバーをそろえていたのに分解してしまったという事実を、見ておくことも必要です。
もちろん問題は二者択一ではなく、基礎的な学習や組織作りを継続しながら、移行過程の研究・検討もこなすことは必要です。現在の運動では、どちらもきわめて細くなってしまっているので、大事に育てないといけません。このあたりは、次回のテーマでもあります。
清水慎三という人は、50年代に、鉄鋼労連、総評、社会党の役員をし、その後は理論・評論活動に移ったのですが、社会主義協会、労働大学、社青同などとは「近いが、ちょっと違う」という関係でした。80年代以降にどういう考えであったかは、『社会的左翼の可能性』(発行・新地平社、発売・れんが書房新社)で、いろいろ語っています。そのなかで 「中衛(前衛でなく後衛まで後退しない)機能をもった『社会的左翼』を」と言っているので、いろいろと総括したのではないかと思われます。
労農派の歴史研究会に戻る
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/rounouha.htm
社会党や総評の基礎的な組織(支部、総支部、労組の分会、支部など)を強くするには、学習会の継続が一番効果的でした。「移行過程の組織論と政策体系」などに熱心であると、どうしてもメンバーが偏り、広がりませんでした。清水慎三の批判に当たっているところもあったのですが、他方で、社会主義協会員が中心にいる組織が、今でも(かなり小さくはなったが)残り、清水理論の信奉者が、優秀なメンバーをそろえていたのに分解してしまったという事実を、見ておくことも必要です。
もちろん問題は二者択一ではなく、基礎的な学習や組織作りを継続しながら、移行過程の研究・検討もこなすことは必要です。現在の運動では、どちらもきわめて細くなってしまっているので、大事に育てないといけません。このあたりは、次回のテーマでもあります。
清水慎三という人は、50年代に、鉄鋼労連、総評、社会党の役員をし、その後は理論・評論活動に移ったのですが、社会主義協会、労働大学、社青同などとは「近いが、ちょっと違う」という関係でした。80年代以降にどういう考えであったかは、『社会的左翼の可能性』(発行・新地平社、発売・れんが書房新社)で、いろいろ語っています。そのなかで 「中衛(前衛でなく後衛まで後退しない)機能をもった『社会的左翼』を」と言っているので、いろいろと総括したのではないかと思われます。
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