●平井和子『日本占領とジェンダー』推薦の言葉
女性史が女性の痛覚に根ざすものだとすれば、日本の女性史研究には大きな欠落があった。もっとも痛苦にみちた売買春問題について、当事者女性の目線にたった研究が極めて少ないからである。それは日本近代における<生殖=母性>と<快楽=娼婦>という女性の分断を、研究者自身も内面化していたからではないだろうか。
本書において著者は、揺るぎないジェンダー視点に立つことでその分断を乗り越え、占領下の「パンパン」や基地売春を検証している。その結果本書は、日本女性史の欠落を埋めるだけでなく、歴史認識の問い直しをも迫るものとなっている。
その1つは日本占領の評価である。これまでアメリカの占領政策は日本の「民主化」「女性解放」への意義を評価されてきた。しかし著者は、占領軍の性政策が戦力維持のための性病コントロールを中心とし、暴力的な女性の刈り込み等がくり返されていたことを明らかにする。「女性解放」はこうした女性の犠牲の上に成り立っていたともいえるのだ。
こうした歴史認識の問い直しは現在的な問題でもある。現在の「イスラム国」問題は21世紀に入ってのアメリカのイラク攻撃に端を発するが、著者が言うように、それは日本占領を「民主化」成功のモデルとしてなされたのだ。著者の歴史をみる姿勢には、つねにアクチュアルな視点が貫かれている。
第2に、売春防止法体制の問い直しである。占領軍の性政策には、日本の女性リーダーたちもかかわっていた。彼女たちは「パンパン」取締りを推進する一方、米兵のための「母の家」設置につとめるものもいた。ここには<母性>による<娼婦>差別がある。それは1956年制定の売春防止法にも貫かれ、現在も生きている。本書には売春防止法改正案が具体的に提起されている。
3つ目は「慰安婦」問題における日本特殊性論の否定である。これには危険がつきまとう。橋下発言にみられるように、軍隊の性問題は日本だけではないとして「慰安婦」問題を否定する声が高まっているからだ。もちろん著者はそうした声には与しない。彼らが前提とする本質主義的な男性性欲論を「神話」として否定し、「軍隊と性暴力」問題としてグローバルな視野で検討することを提起している。
いずれも論議を呼ぶ提起だが、研究方法はあくまで緻密な実証主義にもとづいており、説得力をもつ。かといって冷たいアカデミズム歴史学に堕しているわけではない。当事者女性との直接的な出会いはないものの、周辺からの聞き取りなどにより、痛苦な日常をたくましく生きる女性の姿も浮かび上がる。
著者はシンシア・エンローによって、女同士の分断こそが軍隊を支えるという。本書が売春や「慰安婦」問題における二項対立を解きほぐし、新しい地平を開くことを願う。
(加納実紀代)
●推薦の言葉 『中絶技術とリプロダクティブ・ライツ―フェミニスト倫理の視点から』
塚原久美さんの本は、中絶をめぐる問題にフェミニスト倫理の視点からアプローチする屈指の研究書です。私はこの本を読んで、自分の認識不足を恥じ、塚原さんの誠実な研究姿勢と明晰な分析力に深く感動しました。この本を読むまでは、中絶問題は論じ尽くされたかの感があり、「胎児の生命」対「女性の権利」という二項対立の問いの構図を避けられないものと思っていました。塚原さんは、本書を通じて、この問い自体が、中絶を受けている女性たちの現実の姿や中絶医療の実態を考慮しない抽象論だということを、説得力をもって立証しています。
日本の女性は「安易に」中絶をしているかのように言われてきました。しかし、日本の中絶医療は、リスクの低い吸引中絶(VA)や内科的中絶(MA)ではなく、D&Cやサリン法など「危険な中絶手術」が圧倒的多数で、「ガラパゴス化」しています。それというのも刑法に堕胎罪があり、唯一、母体保護法において指定された医師のみが中絶医療を独占的に実施することを許されてきたからです。塚原さんは、指定医らの都合のみが優先され、女性ケアの観点を軽視した中絶医療が改善されずに長年用いられてきた実態と、この医療分野の遅れを支えてきた法制度上の問題点を、あざやかに描き出しました。
フェミニスト倫理の視点からは、女性たち自ら意思決定しうる「エンタイトルメント意識」が重要ですが、現実には、堕胎罪と母体保護法のダブルスタンダードによって、産む責任を女性に負わせながら、「堕ろす」ことが断罪されてきました。女性たちはスティグマにまみれた中絶に関して「権利」を主張しにくくなり、母体保護法改正反対運動も「実質的な中絶の自由」という最小公約数の要求で法改正を阻止するのみに留まってきたのです。塚原さんは、これに対して、安全な方法でパラメディカルに中絶処置を移行させ、国際的に推奨されている方法を導入することは急務だと指摘します。法的にも、刑法堕胎罪を廃止し、女性自身を罰する条項を削除し、母体保護法に身体的健康上の理由のみならず精神的健康上の理由も加え、経済条項削除の代わりに妊娠初期の中絶を女性の要求に基づき認める条文を追加し、配偶者の同意権要件を削除すべきという構想を示します。
「国家による出産強制」である刑法堕胎罪が廃止されなかった要因は、「胎児対女性」の二項対立論にとらわれてきた従来の中絶論にもあり、これが「中絶を受ける女性は罪深く身勝手」だという見方を広めてきました。そして実は、リブ時代を生きてきた女性たちも、生命倫理学の研究も、この枠組みから抜け出せなかったのではないか。このような塚原さんの指摘は、圧巻です。私たちはそこから脱却するためにも、中絶を受けている女性の現実や中絶医療の実態に目を向ける必要があるのです。
(浅倉むつ子 山川菊栄記念会選考委員)
2015年3月7日土曜日
2015年3月6日金曜日
2014年度山川菊栄賞授賞式報告
労働者運動資料室中村ひろ子理事より、2014年度(第34回)山川菊栄賞受賞式報告が届きましたので掲載します。文中にもあるように、山川菊栄賞は今回で終了です。
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2月28日(土)午後、東京神田の韓国YMCAで、第34回山川賞の贈呈式が行われた。最後となる今回の対象者は、平井和子さんと塚原久美さんのお二人である。
平井さんのご本は『日本占領とジェンダー―米軍・売買春と日本女性たち』(有志舎、2014年8月刊)。
加納実紀代さんの推薦の言葉を借りれば、「女性史が女性の痛覚に根差すものだとすれば、日本の女性史研究には大きな欠落があった。もっとも痛苦に満ちた売買春問題について、当事者女性の目線に沿った研究が極めて少ないからである。それは日本近代における<生殖=母性>と<快楽=娼婦>という女性の分断を研究者自身も内面化していたからではないだろうか。本書において著者は、揺るぎないジェンダー視点に立ってその分断を乗り越え、占領下の『パンパン』や基地売春を検証している。その結果本書は、日本女性史の欠落を埋めるだけでなく、歴史認識の問い直しを迫るものとなっている」という画期的なもののようだ。
平井さんの記念スピーチは「日本占領から問う『軍隊と性暴力』の共生関係」というテーマ設定だったが、その研究に至るまでの、平井さんの個人史が圧倒されるものであった。大学では地理を専攻し、地球儀を眺めていれば幸せだったので、地盤整備の会社に就職。仕事が面白くのめり込んで、ロッカーに風呂道具を用意していたほど。あまりに多忙で一度仕事から離れたかったのもあり、夫の郷里、静岡に転居。そこで押し付けられた嫁の役割に疑問を持ち、歴史を学ぼうと、大学院に。アルバイトの際見つけた御殿場町の売買春の実態を記した資料に触発され、研究を開始。同じ資料を男子学生は見過ごしたことも衝撃であり、自分の視点が定まったという。その後の研究の経過もいろいろ話されたが、対象作は15年間の集大成で、博士論文として書かれたものだという。疑問に思ったらすぐに研究に着手され、成果を蓄積されてきた、そのバイタリティのままに話されて、あっという間に時間が過ぎていた。
もう一方の塚原さんのご本は『中絶技術とリプロダクティブ・ライツ―フェミニスト倫理の視点から』(勁草書房、2014年3月刊)。
浅倉むつ子さんが「日本の中絶医療は、リスクの低い吸引中絶(VA)や内科的中絶(MA)ではなく、D&Cやサリン法など『危険な中絶手術』が圧倒的多数で、『ガラパゴス化』しています。それというのも刑法に堕胎罪があり、唯一、母体保護法において指定された医師のみが中絶医療を独占的に実施することを許されてきたからです。塚原さんは、指定医らの都合のみが優先され、女性ケアの観点を軽視した中絶医療が改善されずに長年用いられてきた実態と、この医療分野の遅れを支えてきた法制度上の問題点を、あざやかに描き出しました」と絶賛されている。
記念スピーチ「中絶のスティグマを超えてー中絶問題と日本のフェミニズム」も、塚原さんの個人史を展開された。ご本人からの手記をいずれ『社会主義』に掲載するので、詳細はそれに譲りたいが、「人生を充実させよう」「死ぬ瞬間に満足していたい」という姿勢には圧倒された。翻訳を仕事とする中で出会った中絶に関係する文献を追いかけ続けて、これだけの大著にまとめあげられたのである。そしてそれは産婦人科学会で報告されるほどの、学識に裏打ちされているのだが、これから先の改革は医療者が取り組むことであり、自分は中絶した女性たちのフォロー、メンタルヘルスをやりたいと心理学の大学院に入りなおし研究をされている。またその方面での研究成果が楽しみだと思ったのは私だけではないだろう。
さて、私、中村は、今回、以下のような事情で、受賞作品を事前に入手し、目を通していなかったことをお詫びしたい(このところの受賞作は大作のため、読んでも理解したと言えないものが多かったのだが…)。
山川菊栄記念会を設立した田中寿美子さんが亡くなって20年、命日の3月15日にブックトークを開催する。そのブック、井上輝子監修『田中寿美子の足跡―20世紀を駆け抜けたフェミニスト』(女性会議発行)を先日ようやく刊行することができた。本務の合間の編集に追われた4ヵ月だったが、監修の井上輝子さんは自ら執筆する傍ら、他の執筆者の原稿を読み、アドバイスされ、資料検索もされ、その合間に、この山川賞の選考に携わられていたのだから、頭が下がる。
なお、田中さんの足跡の一つに、売春防止の取り組みがあるが、今回の受賞者平井さんが、田中さんの労働省婦人少年局婦人課長時代のメモ資料を発掘され、関東学院大学図書館の厚意で、それに基づいて足跡をたどってくださっていることも付け加えておきたい。
いずれにせよ、山川賞の最後を飾るにふさわしい研究書であり、贈呈式だった。お二人とも、山川菊栄賞は目標だった、これまでの受賞作品に触発されて長年研究を続けてきたと話され、自分たちの研究成果のご本が、「最後に間に合った」と喜んでおられた。
でも、お二人のように、目標にされていた方は他にもおられたことだろう、というのが頭をよぎったのも事実であり、残念だとも感じています。
選考委員の皆さん、ほんとうに長い間ご苦労様でした。これからは選考委員会ではなく、山川菊栄記念会として、顕彰活動を続けていくことになっています。それらも随時報告していければと思っています。
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2月28日(土)午後、東京神田の韓国YMCAで、第34回山川賞の贈呈式が行われた。最後となる今回の対象者は、平井和子さんと塚原久美さんのお二人である。
平井さんのご本は『日本占領とジェンダー―米軍・売買春と日本女性たち』(有志舎、2014年8月刊)。
加納実紀代さんの推薦の言葉を借りれば、「女性史が女性の痛覚に根差すものだとすれば、日本の女性史研究には大きな欠落があった。もっとも痛苦に満ちた売買春問題について、当事者女性の目線に沿った研究が極めて少ないからである。それは日本近代における<生殖=母性>と<快楽=娼婦>という女性の分断を研究者自身も内面化していたからではないだろうか。本書において著者は、揺るぎないジェンダー視点に立ってその分断を乗り越え、占領下の『パンパン』や基地売春を検証している。その結果本書は、日本女性史の欠落を埋めるだけでなく、歴史認識の問い直しを迫るものとなっている」という画期的なもののようだ。
平井さんの記念スピーチは「日本占領から問う『軍隊と性暴力』の共生関係」というテーマ設定だったが、その研究に至るまでの、平井さんの個人史が圧倒されるものであった。大学では地理を専攻し、地球儀を眺めていれば幸せだったので、地盤整備の会社に就職。仕事が面白くのめり込んで、ロッカーに風呂道具を用意していたほど。あまりに多忙で一度仕事から離れたかったのもあり、夫の郷里、静岡に転居。そこで押し付けられた嫁の役割に疑問を持ち、歴史を学ぼうと、大学院に。アルバイトの際見つけた御殿場町の売買春の実態を記した資料に触発され、研究を開始。同じ資料を男子学生は見過ごしたことも衝撃であり、自分の視点が定まったという。その後の研究の経過もいろいろ話されたが、対象作は15年間の集大成で、博士論文として書かれたものだという。疑問に思ったらすぐに研究に着手され、成果を蓄積されてきた、そのバイタリティのままに話されて、あっという間に時間が過ぎていた。
もう一方の塚原さんのご本は『中絶技術とリプロダクティブ・ライツ―フェミニスト倫理の視点から』(勁草書房、2014年3月刊)。
浅倉むつ子さんが「日本の中絶医療は、リスクの低い吸引中絶(VA)や内科的中絶(MA)ではなく、D&Cやサリン法など『危険な中絶手術』が圧倒的多数で、『ガラパゴス化』しています。それというのも刑法に堕胎罪があり、唯一、母体保護法において指定された医師のみが中絶医療を独占的に実施することを許されてきたからです。塚原さんは、指定医らの都合のみが優先され、女性ケアの観点を軽視した中絶医療が改善されずに長年用いられてきた実態と、この医療分野の遅れを支えてきた法制度上の問題点を、あざやかに描き出しました」と絶賛されている。
記念スピーチ「中絶のスティグマを超えてー中絶問題と日本のフェミニズム」も、塚原さんの個人史を展開された。ご本人からの手記をいずれ『社会主義』に掲載するので、詳細はそれに譲りたいが、「人生を充実させよう」「死ぬ瞬間に満足していたい」という姿勢には圧倒された。翻訳を仕事とする中で出会った中絶に関係する文献を追いかけ続けて、これだけの大著にまとめあげられたのである。そしてそれは産婦人科学会で報告されるほどの、学識に裏打ちされているのだが、これから先の改革は医療者が取り組むことであり、自分は中絶した女性たちのフォロー、メンタルヘルスをやりたいと心理学の大学院に入りなおし研究をされている。またその方面での研究成果が楽しみだと思ったのは私だけではないだろう。
さて、私、中村は、今回、以下のような事情で、受賞作品を事前に入手し、目を通していなかったことをお詫びしたい(このところの受賞作は大作のため、読んでも理解したと言えないものが多かったのだが…)。
山川菊栄記念会を設立した田中寿美子さんが亡くなって20年、命日の3月15日にブックトークを開催する。そのブック、井上輝子監修『田中寿美子の足跡―20世紀を駆け抜けたフェミニスト』(女性会議発行)を先日ようやく刊行することができた。本務の合間の編集に追われた4ヵ月だったが、監修の井上輝子さんは自ら執筆する傍ら、他の執筆者の原稿を読み、アドバイスされ、資料検索もされ、その合間に、この山川賞の選考に携わられていたのだから、頭が下がる。
なお、田中さんの足跡の一つに、売春防止の取り組みがあるが、今回の受賞者平井さんが、田中さんの労働省婦人少年局婦人課長時代のメモ資料を発掘され、関東学院大学図書館の厚意で、それに基づいて足跡をたどってくださっていることも付け加えておきたい。
いずれにせよ、山川賞の最後を飾るにふさわしい研究書であり、贈呈式だった。お二人とも、山川菊栄賞は目標だった、これまでの受賞作品に触発されて長年研究を続けてきたと話され、自分たちの研究成果のご本が、「最後に間に合った」と喜んでおられた。
でも、お二人のように、目標にされていた方は他にもおられたことだろう、というのが頭をよぎったのも事実であり、残念だとも感じています。
選考委員の皆さん、ほんとうに長い間ご苦労様でした。これからは選考委員会ではなく、山川菊栄記念会として、顕彰活動を続けていくことになっています。それらも随時報告していければと思っています。
2015年3月5日木曜日
2014年度山川菊栄賞選考経過報告
2014年度山川菊栄賞選考経過の報告
2015年2月28日
井上輝子
すでにお知らせしてありますように、今日は山川菊栄記念婦人問題奨励金(通称山川菊栄賞)の最後の贈呈式となります。山川賞の選考を打ち切るに至った事情や、今後の山川菊栄記念会のあり方等については、この会の最後にやや詳しくお話することにして、今は今年度第34回山川賞の選考経過についてお話したいと思います。
今回は、2013年8月から2014年8月までの期間に刊行された著作物を対象として、昨年8月に、各種新聞に掲載を依頼すると共に、ハガキ送付やメーリングリストなどを通じて、広く推薦作品を募集しました。その結果、別刷リストにありますように、自薦・他薦を含め、45点の作品をご推薦いただきました。
このリストを基に、記念会では昨年9月23日と11月1日の2回にわたって選考委員会を開催し、慎重審議の結果、平井和子さんの『日本占領とジェンダー―米軍・売買春と日本女性たち』と、塚原久美さんの『中絶技術とリプロダクティダクティヴ・ライツ―フェミニスト倫理の視点から』の2作品に、今年度の奨励金をさしあげることに決定しました。決定に至るまでの選考委員会での議論の経過と、今年度の推薦作品の傾向、また特に注目された、いくつかの作品について、ここで簡単にご紹介させていただきます。
リストにありますように、今年度も多方面な分野の、しかもレベルの高い研究が数多く寄せられました。中でも例年になく今年度目立った研究領域を、2つほど紹介したいと思います。1つは、女性の性と生殖に関わる領域の研究が多かったことです。奨励金をさしあげるお二人の研究もそうですが、ほかにも15.小浜正子・松岡悦子編『アジアの出産と家族計画-「産む・産まない・産めない」身体をめぐる政治』、16荻野美穂『女のからだ―フェミニズム以後』、21角田由紀子『性と法律―変わったこと、変えたいこと』、また12非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ+長沖暁子『AIDで生まれるということ』も、この領域の作品に入れてよいと思います。
第2の領域として、セクシュアル・マイノリティ問題の研究があります。5三部倫子『カムアウトする親子―同性愛と家族の社会学』、11Gay Japan News 共同代表 山下梓『レズビアン・バイセクシュアル女性、トランスジェンダーの人々からみた暴力―性的指向・性別自認・性別表現を理由とした暴力の経験に関する50人のLBTへのインタビューから』、22クレア・マリー『「おネエことば」論』などがあります。また23大越愛子・倉橋耕平編『ジェンダーとセクシュアリティ―現代社会に育つまなざし』は、今挙げた2つの領域にまたがる論文集です。
このほか、例年同様、歴史分野の作品も数多く推薦されました。平井さんの作品もそうですが、6関口すみ子『菅野スガ再考―婦人矯風会から大逆事件へ』は、菅野スガのイメージが、男を惑わす「妖婦」として仕立て上げられていった過程を明らかにしたすぐれた言説分析です。同じ著者による7『良妻賢母主義から外れた人々』、8伊藤セツ『クラーラ・ツエトキン―ジェンダー平等と反戦の生涯』も、歴史研究です。18榊原千鶴『烈女伝-勇気をくれる明治の8人』は、山川菊栄の母青山千世に始まり、山川菊栄に終わる興味深い人選です。19伍賀偕子『敗戦直後を切り拓いた働く女性たち―『勤労婦人聯盟』と「きらく会」の絆』は、戦後の女性組合運動の貴重な記録です。その他、28進藤久美子『市川房枝と「大東亜戦争」』、29吉良智子『戦争と女性画家―もうひとつの近代美術』、30加藤千香子『近代日本の国民統合とジェンダー』、32松村由利子『お嬢さん、空を飛ぶ』、34松原宏之『虫喰う近代―1910年代社会衛生運動とアメリカの政治文化』、38森杲(たかし)『アメリカ<主婦>の仕事史』、39大森真紀『世紀転換期の女性労働』、43三成美保・姫岡とし子・小浜正子『歴史を読み替える―ジェンダーから見た世界史』、44安川寿之輔『福沢諭吉の教育論と女性論』など、歴史研究が数多くノミネートされました。
このほか、選考委員会で話題になった作品として、2園部裕子『フランスの西アフリカ出身移住女性の日常的実践―社会・文化的仲介による「自立」と「連帯」の位相』、これはフランスの旧植民地西アフリカ出身の移民女性たちのライフヒストリーと参与観察に基づく精緻な研究で、最近のフランスにおけるモスレム差別の問題などを考える上で、参考になる本です。また、3すぎむらなおみ『養護教諭の社会学―学校文化・ジェンダー・同化』は、経験的に多くの養護教諭が感じてきた、学校の中での被差別体験や学校の中での微妙な地位を読み解いた作品です。
さらに今年度特筆しておきたいのは、24高良留美子『世紀を超えるいのちの旅―循環し再生する文明へ』、45堀場清子『鱗片 ヒロシマとフクシマと』など、フェミニズムの大先輩たちが、新たに素晴らしい本を刊行されたことです。
この調子で紹介していくと、なかなか贈呈作品に行きつかないので、先を急ぎますが、いかに多様な素晴らしい作品が昨年度刊行されたかということがわかっていただけると思います。45点の作品の中から、第1回選考委員会では、
4平井和子さん、14塚原久美さん、29吉良智子さんの3作品について、第2回の選考委員会で詳しく検討することにしました。なお、言い忘れましたが、作品番号は、推薦が届いた順番にナンバーをつけたもので、評価とは関係ありません。これからお話いただくお二人の順番も、この作品番号の順にお願いしてありますので、念のため。
吉良さんの作品は、従来ほとんど知られていなかった、近代日本の女性画家たちの足跡をたどり、日本の美術史をジェンダー視点で読み解いた労作です。戦争中、女性画家も「女流美術奉公隊」を結成して戦争に協力しましたが、その総力を結集して描き上げた巨大な「大東亜戦皇国婦女皆働之図」を詳しく分析しています。とても興味深い本ですので、美術史に関心のある方には、ぜひ一読を薦めたいと思います。この作品で、吉良さんは、第29回青山なお賞を受賞されたと聞いています。
吉良さんの作品も、新しい分野に挑戦した価値あるご研究だと思いますが、選考委員会では、今日おいでくださっている4平井和子さんの『日本占領とジェンダー』と、12塚原久美さんの『中絶技術とリプロダクティダクティヴ・ライツ』の2作品に、今年度の奨励金をさしあげることに決定しました。お二人の作品については、この後、加納さんと浅倉さんから、それぞれ詳しい推薦の言葉がありますので、私の方からは、ごく簡単に、2作品の内容を紹介させていただいて、選考経過の報告を終わりにしたいと思います。
平井さんのご本は、敗戦後の占領軍向けの「慰安所」と米軍基地売春の実態を、膨大な史料や聞き取り調査に基いて詳しく分析した研究です。特に、米軍によって接収された東富士演習場近くの御殿場をフィールドとした、地方都市における、行政・業者・警察・地元民と「パンパン」との関係の具体的描写は圧巻です。平井さんは、日米合作で、被占領女性への徹底した性管理と性病対策等がなされた事実を明らかにする一方で、1956年成立の売春防止法制定過程や売春防止法の枠組みに批判的なメスを入れておいでです。
塚原さんのご本は、1970年代以後の中絶技術の進展によって、欧米諸国ではすでに
妊娠初期の中絶方法として、吸引と中絶薬が一般化しているにもかかわらず、日本では今でも拡張掻爬術が主な中絶手段となっているという衝撃的な事実を紹介した意欲的な作品です。塚原さんは、日本における「遅れた技術」が、中絶の残虐性イメージや中絶罪悪視の原因となっており、刑法堕胎罪の規程を補完していることを指摘し、現行法体制の抜本的改革と、当事者である女性たち自身の中絶についてのフェミニスト倫理の構築を訴えておいでです。
お二人とも、女性の身体やセクシュアリティの権利と健康に迫るテーマで、今私たちが考えるべき課題を提起しておいでです。ぜひ多くの皆さんに読んでいただきたいと思います。お二人のスピーチの後、会場の皆さんを含め、お二人の話に対する感想や、女性の身体やセクシュアリティをめぐって、取り組むべき課題などについて、活発な討論ができればうれしく思います。
平井さん、塚原さん、おめでとうございます。
2014年11月5日水曜日
2014年度山川菊栄賞決定
山川菊栄記念会からの連絡によれば、2014年度山川菊栄賞が下記のように決定しました。
平井和子『日本占領とジェンダー―米軍・売買春と日本女性たち』(有志舎)
塚原久美『中絶技術とリプロダクティヴ・ライツ―フェミニスト倫理の視点から』( 勁草書房)
今年は2作が選ばれました。
贈呈式
2015年2月28日(土) 13:30~ 韓国YMCA9階ホール
贈呈式では選考経過報告、お2人の記念スピーチが行われます。
平井和子『日本占領とジェンダー―米軍・売買春と日本女性たち』(有志舎)
塚原久美『中絶技術とリプロダクティヴ・ライツ―フェミニスト倫理の視点から』( 勁草書房)
今年は2作が選ばれました。
贈呈式
2015年2月28日(土) 13:30~ 韓国YMCA9階ホール
贈呈式では選考経過報告、お2人の記念スピーチが行われます。
2014年3月12日水曜日
第33回(2013年度)山川菊栄賞授賞式報告、推薦の言葉
*本年3月1日に行われた山川菊栄賞授賞式報告が、当資料室中村ひろ子理事より届きました。また推薦の言葉も届きましたので、併せて掲載します。中村理事の報告はもっと早く届いていたのですが、管理人が中国に行っていたため(中国では当ブログは読めない)、掲載が遅れました。 早々に原稿を寄せていただいた中村理事にお詫びいたします。
第33回山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の贈呈式が、3月1日、江の島にある神奈川県立かながわ女性センターで行われました。
まず選考委員長の井上輝子さんから、今回は41冊が推薦され、その中から3冊に絞られ、丸山里美さんの『女性ホームレスとして生きる―貧困と排除の社会学』に決まった経過が説明されました。そして、この本が選ばれた理由を次のように話されました。
野宿者を問題にするとき、かつては福祉の対象者として扱い、近年は主体的存在として扱うようになってきたが、丸山さんは「女性のホームレスが少ないのはなぜ?」と掘り下げていき、簡易宿泊所等に入っているのも、住み込みで働くのもホームレスと定義した。多くの対象者に接する中で、野宿か施設かを決めるのは「自立した存在」とする男性の視点では女性ホームレスが見えてこない。人は、特に女性は最初から自立した存在ではなく、他者との関係で主体形成ができる、のだと気づき、女性ホームレスの実態を描き出すことに成功した。
こうした評価は、有賀夏紀さんの「推薦の言葉」に詳しいので参照してください。
その後、丸山里美さんが「貧困女性の声を聞く」というテーマで記念スピーチをされましたが、その訥々とした話口は誠意が籠ったものであり、当事者の声を聞く際に、警戒心を持たせることなく、心の内を吐露させるのに力があったんだろうなと感じられました。
大学時代、西成を訪れ、週1の炊き出しボランティアをしながら卒論をまとめた。一方的に好意を示す人がいて、恐怖から西成に行けなくなった。女性であることを痛感するとともに、救済対象者だからということで躊躇した面もあったのだが、とにかく「研究は失敗」と自分を責めた。やがて、私は行かないことで済むが、そこから逃げられない人はどうするのだろうという問題意識を持った。野宿者の3%しか女性がいないというが、なぜか、というのも疑問だった。さらに、研究者が社会病理から見て「改善する客体」と見ていたり、逆に「ホームレスだって一所懸命働いている」としたりすることにも違和感があった。「働くことが期待されていない」女性はどうしているの?女性野宿者に聞いてみたい、と再び路上生活者に接点を持ち始めた。最初の一年は、何も聞けないまま、ボランティアをした。次の一年はいろいろ聞いてみたものの、よくわからなかった。…ホームレスが生まれる社会構造、どう生きているのかの事例、なぜ女性が排除されているのか、をまとめた。アメリカのエスニック研究者が「男性は可愛そうと思われず街頭に残されるが、女性は施設に入れる。反抗的な女性だけが路上に」と分析しているが、ジェンダーを実践としてとらえないと、間違える。「女性ホームレスはこういう人たちです」というのも間違いだ。
この後、事例にあげた女性との関わりにふれて、話はおわりましたが、研究にたどり着いた経過をこのように赤裸々に語った人を始めてみたので、びっくりしました。
推薦の言葉 有賀夏紀
丸山里美『女性ホームレスとして生きる』はユニークかつ重要な研究であり、三つの点で大きな成果を上げている。第一は女性ホームレスという、社会でも研究の上でも無視されてきた人々の実態を明らかにしていること、第二は女性ホームレスに焦点を当てることで、従来のホームレス研究の男性中心の枠組みを問い直していること、さらに第三に、これまでの研究の前提となってきた人間の「主体」の概念を覆していることである。極言すれば私たちがこれまで考えてきたような「主体」の否定は、ホームレス研究だけでなく、私たちの生き方、研究にも大きな影響を及ぼすだろう。非常にスケールの大きい研究である。
女性ホームレスの実態は、学生時代から14年もの間ボランティアとして、また研究者としてホームレスないしその周辺の人々と共に過ごした丸山さんにしかつかみ取れなかっただろう。彼女たちの話や丸山さんの観察・経験をまとめ、一人一人の心の中にまで入り込んで描き出す記録は貴重であると同時に、感動的で読み応えのある物語になっている。
本書はなぜ女性ホームレスが日本では少ないのだろうという問いから発し、ホームレス研究にメスを入れていく。まず「ホームレスの定義」。野宿だけでなく施設や簡易宿泊所居住、住み込みなど野宿との行き来が行われる形態も含め広義にとらえ直すことによって女性ホームレスが見えてくる。また、日本の労働市場や近代家族が女性世帯形成を難しくし、家なし女性を少なくすることを指摘する。そのとき、福祉制度の再検討も行っている。
女性ホームレス研究の不在の重要な要因となってきた、男性中心のホームレス研究の「自立した主体」を前提とする枠組をとりあげ、この枠組が女性ホームレスを不可視化してきたと論じる。この主体性の議論が本書の核心と言えるだろう。
ジュディス・バトラーのジェンダー論やキャロル・ギリガンの「ケアの論理」をホームレス研究に適用し、主体性に関する議論を鮮やかに展開している。野宿か否かを選択するに際して個人としての自立した主体を前提にするのでは女性ホームレスをりかいすることはできないと、丸山さんは言う。選択は主体的な個人が行うのではなく、他者との関係や次官の中で変化していくプロセスとして存在し、朱値はこのプロセスにおける実践を通して現れるというのである。このことはホームレス女性たちの生々しい事例によって検証される。
ホームレスを客体としての人間ではなく主体としての人間としてその抵抗や自立に注目する近年のホームレス研究は一定の評価はできるものの、男性の視点からの研究であり女性ホームレスの存在を隠すか、あるいは実態の把握を阻むことになる。この視点が、また売春婦が自立したセックス・ワーカーと規定する議論につながるとも指摘する。本書における、他者との関係において形成されるとする主体、自立、選択の論理は広く他の問題にも有効に使うことができるのではないだろうか。
第33回山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の贈呈式が、3月1日、江の島にある神奈川県立かながわ女性センターで行われました。
まず選考委員長の井上輝子さんから、今回は41冊が推薦され、その中から3冊に絞られ、丸山里美さんの『女性ホームレスとして生きる―貧困と排除の社会学』に決まった経過が説明されました。そして、この本が選ばれた理由を次のように話されました。
野宿者を問題にするとき、かつては福祉の対象者として扱い、近年は主体的存在として扱うようになってきたが、丸山さんは「女性のホームレスが少ないのはなぜ?」と掘り下げていき、簡易宿泊所等に入っているのも、住み込みで働くのもホームレスと定義した。多くの対象者に接する中で、野宿か施設かを決めるのは「自立した存在」とする男性の視点では女性ホームレスが見えてこない。人は、特に女性は最初から自立した存在ではなく、他者との関係で主体形成ができる、のだと気づき、女性ホームレスの実態を描き出すことに成功した。
こうした評価は、有賀夏紀さんの「推薦の言葉」に詳しいので参照してください。
その後、丸山里美さんが「貧困女性の声を聞く」というテーマで記念スピーチをされましたが、その訥々とした話口は誠意が籠ったものであり、当事者の声を聞く際に、警戒心を持たせることなく、心の内を吐露させるのに力があったんだろうなと感じられました。
大学時代、西成を訪れ、週1の炊き出しボランティアをしながら卒論をまとめた。一方的に好意を示す人がいて、恐怖から西成に行けなくなった。女性であることを痛感するとともに、救済対象者だからということで躊躇した面もあったのだが、とにかく「研究は失敗」と自分を責めた。やがて、私は行かないことで済むが、そこから逃げられない人はどうするのだろうという問題意識を持った。野宿者の3%しか女性がいないというが、なぜか、というのも疑問だった。さらに、研究者が社会病理から見て「改善する客体」と見ていたり、逆に「ホームレスだって一所懸命働いている」としたりすることにも違和感があった。「働くことが期待されていない」女性はどうしているの?女性野宿者に聞いてみたい、と再び路上生活者に接点を持ち始めた。最初の一年は、何も聞けないまま、ボランティアをした。次の一年はいろいろ聞いてみたものの、よくわからなかった。…ホームレスが生まれる社会構造、どう生きているのかの事例、なぜ女性が排除されているのか、をまとめた。アメリカのエスニック研究者が「男性は可愛そうと思われず街頭に残されるが、女性は施設に入れる。反抗的な女性だけが路上に」と分析しているが、ジェンダーを実践としてとらえないと、間違える。「女性ホームレスはこういう人たちです」というのも間違いだ。
この後、事例にあげた女性との関わりにふれて、話はおわりましたが、研究にたどり着いた経過をこのように赤裸々に語った人を始めてみたので、びっくりしました。
推薦の言葉 有賀夏紀
丸山里美『女性ホームレスとして生きる』はユニークかつ重要な研究であり、三つの点で大きな成果を上げている。第一は女性ホームレスという、社会でも研究の上でも無視されてきた人々の実態を明らかにしていること、第二は女性ホームレスに焦点を当てることで、従来のホームレス研究の男性中心の枠組みを問い直していること、さらに第三に、これまでの研究の前提となってきた人間の「主体」の概念を覆していることである。極言すれば私たちがこれまで考えてきたような「主体」の否定は、ホームレス研究だけでなく、私たちの生き方、研究にも大きな影響を及ぼすだろう。非常にスケールの大きい研究である。
女性ホームレスの実態は、学生時代から14年もの間ボランティアとして、また研究者としてホームレスないしその周辺の人々と共に過ごした丸山さんにしかつかみ取れなかっただろう。彼女たちの話や丸山さんの観察・経験をまとめ、一人一人の心の中にまで入り込んで描き出す記録は貴重であると同時に、感動的で読み応えのある物語になっている。
本書はなぜ女性ホームレスが日本では少ないのだろうという問いから発し、ホームレス研究にメスを入れていく。まず「ホームレスの定義」。野宿だけでなく施設や簡易宿泊所居住、住み込みなど野宿との行き来が行われる形態も含め広義にとらえ直すことによって女性ホームレスが見えてくる。また、日本の労働市場や近代家族が女性世帯形成を難しくし、家なし女性を少なくすることを指摘する。そのとき、福祉制度の再検討も行っている。
女性ホームレス研究の不在の重要な要因となってきた、男性中心のホームレス研究の「自立した主体」を前提とする枠組をとりあげ、この枠組が女性ホームレスを不可視化してきたと論じる。この主体性の議論が本書の核心と言えるだろう。
ジュディス・バトラーのジェンダー論やキャロル・ギリガンの「ケアの論理」をホームレス研究に適用し、主体性に関する議論を鮮やかに展開している。野宿か否かを選択するに際して個人としての自立した主体を前提にするのでは女性ホームレスをりかいすることはできないと、丸山さんは言う。選択は主体的な個人が行うのではなく、他者との関係や次官の中で変化していくプロセスとして存在し、朱値はこのプロセスにおける実践を通して現れるというのである。このことはホームレス女性たちの生々しい事例によって検証される。
ホームレスを客体としての人間ではなく主体としての人間としてその抵抗や自立に注目する近年のホームレス研究は一定の評価はできるものの、男性の視点からの研究であり女性ホームレスの存在を隠すか、あるいは実態の把握を阻むことになる。この視点が、また売春婦が自立したセックス・ワーカーと規定する議論につながるとも指摘する。本書における、他者との関係において形成されるとする主体、自立、選択の論理は広く他の問題にも有効に使うことができるのではないだろうか。
2013年11月26日火曜日
2013年度山川菊栄賞決定
2013年度山川菊栄賞選考委員会が11月23日開催され、下記のように決定したとのことです。本体にも書き込みますが、とりあえずここで紹介します。
丸山里美『女性ホームレスとして生きる―貧困と排除の社会学 』(世界思想社 2013.3)2940円
世界思想社HPの紹介
丸山里美(まるやま さとみ)氏は1976年生まれ、京都大学大学院博士課程単位取得認定退学。博士(文学)。社会学専攻。立命館大学産業社会学部准教授。共著に『フェミニズムと社会福祉政策』(ミネルヴァ書房 2012)ほか。
*『女性ホームレスとして生きる―貧困と排除の社会学 』奥付より。
立命館大学産業社会学部の紹介
贈呈式
日時 2014年3月1日(土) 13:30~16:30
場所 神奈川県立かながわ女性センター 集会室 アクセス
(神奈川県藤沢市江の島1-11-17 電話 0466-27-2111)
受賞者スピーチタイトル 「貧困女性の声を聞く」
山川菊栄賞のページ
丸山里美『女性ホームレスとして生きる―貧困と排除の社会学 』(世界思想社 2013.3)2940円
世界思想社HPの紹介
*『女性ホームレスとして生きる―貧困と排除の社会学 』奥付より。
立命館大学産業社会学部の紹介
贈呈式
日時 2014年3月1日(土) 13:30~16:30
場所 神奈川県立かながわ女性センター 集会室 アクセス
(神奈川県藤沢市江の島1-11-17 電話 0466-27-2111)
受賞者スピーチタイトル 「貧困女性の声を聞く」
山川菊栄賞のページ
2013年3月5日火曜日
2012年度山川菊栄賞推薦の言葉
重藤都
この研究は、大阪府東大阪市の長栄中学校夜間学級に学ぶ在日一世二世の女性達が、自治体に学びの場を保障させ、地域で在日朝鮮人女性が人としての主体確立を求めた運動の克明な記録です.彼女らはさらに運動を発展させ、平等な市民的社会空間の「下位の対抗的な公共圏」である「ウリソダン」などをつくりだして、家庭で女性に負わされてきた支援や介護の機能を社会の機能につくりかえ、加えて、民族文化の世代間交流伝承、多文化交流の場として創り出しました。そのユニークな経過の分析につながります。
在日朝鮮人の集住地である長栄中学夜間学級は、開設まもなく生徒数全国一、そして大部分が中高年の女性となりました。国際識字年の1 9 9 0年頃には生徒数は全日制を上回り、教育委員会は生徒の半数を急ごしらえの近隣校へ移動させようとしたのですが、施設も急ごしらえ、教員数も少なく、女性たちは行政に朝鮮人差別があることを敏;感に受け止め、独立の夜間中学を要求、八年間ものたゆまぬ運動の結果、独立中学をかち取りました。
私は2010年の韓国併合百年に際して、在日ハルモニから女性としての併合百年を伺ったことがあります。兄弟の勉強の横で、文字も教えられず育つ苦しみを聴き、解放後、朝鮮学校づくりに献身した情熱の背景と意味を知ることができました。その民族学校設立の運動は朝鮮人男女一致した運動だったと理解しました。
しかし、この書に登場するのは女性。家業、家族の世話、生活苦を一身に担って、家から出ることなく、駅で切符を買えず、病院で医者の診断の意味が分からず、公衆トイレの男女別が分からず、厳しい差別と無知のなかにおかれた女性です。その彼女らが、子の独立父母の介護卒業を経て、自らの学校へと向かい始めた情熱の強さをこの書で知って圧倒されました。
この研究の魅力は、半世紀にわたる犠牲にも損なわれないハルモニたちの個性、熱意、強い意志が描かれているから、夫の理解を得るねばり強い「交渉」「方法」がむしろユーモラスに描かれているからです。
ハルモニたちの個性は学校の教師を呑み込むばかりです。はじめて本名を呼ばれて、ためらうハルモニに「あんたの名前やがな」と呼びかける教師。それは自己回復の貴重な一歩であったのです:が「あんたの名前やがなって、まいにーち言われました、先生に。あんとき教えてくれはった先生は、そういうことに情熱があったんです。授業よりもね」個性が躍るようなハルモニの記憶です。
二十年を超える運動の記録と評価は、同族である筆者の強い愛情と広い見識に裏打ちされて提供されました。運動の参加者のみならず、私たちもこの労作を感謝とともに受け取りたいと思います。
(しげとうみやこ 山川菊栄記念会選考委員)
この研究は、大阪府東大阪市の長栄中学校夜間学級に学ぶ在日一世二世の女性達が、自治体に学びの場を保障させ、地域で在日朝鮮人女性が人としての主体確立を求めた運動の克明な記録です.彼女らはさらに運動を発展させ、平等な市民的社会空間の「下位の対抗的な公共圏」である「ウリソダン」などをつくりだして、家庭で女性に負わされてきた支援や介護の機能を社会の機能につくりかえ、加えて、民族文化の世代間交流伝承、多文化交流の場として創り出しました。そのユニークな経過の分析につながります。
在日朝鮮人の集住地である長栄中学夜間学級は、開設まもなく生徒数全国一、そして大部分が中高年の女性となりました。国際識字年の1 9 9 0年頃には生徒数は全日制を上回り、教育委員会は生徒の半数を急ごしらえの近隣校へ移動させようとしたのですが、施設も急ごしらえ、教員数も少なく、女性たちは行政に朝鮮人差別があることを敏;感に受け止め、独立の夜間中学を要求、八年間ものたゆまぬ運動の結果、独立中学をかち取りました。
私は2010年の韓国併合百年に際して、在日ハルモニから女性としての併合百年を伺ったことがあります。兄弟の勉強の横で、文字も教えられず育つ苦しみを聴き、解放後、朝鮮学校づくりに献身した情熱の背景と意味を知ることができました。その民族学校設立の運動は朝鮮人男女一致した運動だったと理解しました。
しかし、この書に登場するのは女性。家業、家族の世話、生活苦を一身に担って、家から出ることなく、駅で切符を買えず、病院で医者の診断の意味が分からず、公衆トイレの男女別が分からず、厳しい差別と無知のなかにおかれた女性です。その彼女らが、子の独立父母の介護卒業を経て、自らの学校へと向かい始めた情熱の強さをこの書で知って圧倒されました。
この研究の魅力は、半世紀にわたる犠牲にも損なわれないハルモニたちの個性、熱意、強い意志が描かれているから、夫の理解を得るねばり強い「交渉」「方法」がむしろユーモラスに描かれているからです。
ハルモニたちの個性は学校の教師を呑み込むばかりです。はじめて本名を呼ばれて、ためらうハルモニに「あんたの名前やがな」と呼びかける教師。それは自己回復の貴重な一歩であったのです:が「あんたの名前やがなって、まいにーち言われました、先生に。あんとき教えてくれはった先生は、そういうことに情熱があったんです。授業よりもね」個性が躍るようなハルモニの記憶です。
二十年を超える運動の記録と評価は、同族である筆者の強い愛情と広い見識に裏打ちされて提供されました。運動の参加者のみならず、私たちもこの労作を感謝とともに受け取りたいと思います。
(しげとうみやこ 山川菊栄記念会選考委員)
2013年2月13日水曜日
2012年度山川菊栄賞授賞式報告
*資料室理事の中村ひろ子さんから授賞式報告が届きましたので、掲載します。
徐阿貴(そ・あき)さんは、ご本の内容がもつ重さからは想像できない華奢な方でした。その印象のごとく、優しい語り口で、ときには笑いを誘いながら、なぜこういう研究をするに至ったかを話されました。しかし、オモニたちが教育委員会と交渉している場面(受賞を喜ぶオモニたちだが皆高齢なので東京には来られず、何かないかと探したところ1週間前にようやく見つけ出した記録のDVD)を見せられた頃から、会場はすすり泣きが途絶えることはありませんでした。
徐さんは、在日3世ですが、祖母や母親の生き方から示唆をうけて、このテーマに取り組まれたとのことです(だから、著書はお三方に捧げられている)。男たちは移住を強いられても、仕事を通じて移住先に根付くものだが、女たちは私的領域にとどまるため(専業主婦)二重差別のなかで生き続けざるをえない。そういう認識だったところに、東大阪の夜間中学に学ぶオモニたちが、母や妻としてではなく、自らの学ぶ権利獲得、自治体に学びの場を保障させ、地域で人としての主体確立に動いたことを知ったのでした。それから徐さんは、夜間中学を訪問され続け、オモニたちの活動を追い続け、博士論文としてまとめあげられたのです。それをもとに本に仕上げられたのでした。時にはお子さんを連れて一ヵ月近く滞在しての取材であったとは、当時の中学校の先生からお祝いの言葉の中にありました。なお、徐さんの受賞スピーチの全文は、夏ごろの『社会主義』に掲載の予定です。
今年の授賞式は、偶然も重なり、日本の植民地支配の歴史を反省させられるエピソードに満ちたものでした。まず、会場の韓国YMCAは、95年前、朝鮮人留学生たちが3・1独立宣言起草し発表をしたところでした(会館内には歴史資料室あり)。またホールでは「建国記念日」反対集会が開かれ、終了後デモ行進があるというので、「右翼がくる」という名目で、機動隊に囲まれての開催でした。そして授賞作が対象にしたのは、植民地被害そのもの、在日1世、2世のオモニたちの識字運動、夜間中学の増設運動だったのです。
2012年12月16日日曜日
本年度(2012年度)山川菊栄賞
昨日、山川菊栄賞選考委員会が開かれ、下記の書籍に受賞が決まったとのことです。本体に書き込みますが、ここでも紹介します。
徐阿貴『在日朝鮮人女性による「下位の対抗的な公共圏」の形成 大阪の夜間中学を核とした運動』
御茶の水書房
2012年2月刊行
定価:5670円(本体5400円+税)
ISBN:978-4-275-00968-5
内容(御茶の水書房HPより)
民族差別が空気のごとく存続している日本社会で、教育機会からの疎外にとどまらないさまざまな抑圧を、生き抜いてきた在日朝鮮人女性たちが果たした夜間中学入学と独立運動。そこから生まれた主体的言説と新たな公共圏を描く。
http://www.ochanomizushobo.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=978-4-275-00968-5
贈呈式
日時 2013年2月11日
場所:在日本韓国YMCA アジア青少年センター(304・305会議室)
〒101-0064 東京都千代田区猿楽町 2 - 5 - 5
http://www.ymcajapan.org/ayc/hotel/jp/#
徐阿貴『在日朝鮮人女性による「下位の対抗的な公共圏」の形成 大阪の夜間中学を核とした運動』
御茶の水書房
2012年2月刊行
定価:5670円(本体5400円+税)
ISBN:978-4-275-00968-5
内容(御茶の水書房HPより)
民族差別が空気のごとく存続している日本社会で、教育機会からの疎外にとどまらないさまざまな抑圧を、生き抜いてきた在日朝鮮人女性たちが果たした夜間中学入学と独立運動。そこから生まれた主体的言説と新たな公共圏を描く。
http://www.ochanomizushobo.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=978-4-275-00968-5
贈呈式
日時 2013年2月11日
場所:在日本韓国YMCA アジア青少年センター(304・305会議室)
〒101-0064 東京都千代田区猿楽町 2 - 5 - 5
http://www.ymcajapan.org/ayc/hotel/jp/#
2012年3月27日火曜日
2011年度山川菊栄賞
●授賞式報告
3月24日(土)、午前中は昨年を思い出させる雨模様でしたが、午後からは青空が広がるなかで、第31回山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の贈呈式がありました。対象者は大橋史恵さん、著書は『現代中国の移住家事労働者―農村・都市関係と再生産労働のジェンダー・ポリティックス』でした。
…………………・・・…………………
大橋さんは団塊第2世代の若き研究者である。東京外大で中国語を習得され、大学院で中国地域研究を始めるが、ジェンダーの視点を取り入れたいとお茶大に転校。2005年9月から1年間北京の清華大に留学し、北京に生きる農村出身女性たちにインタビューを試みた。外国人のインタビューはとても困難だったようだ。外部の人間がどうまとめるかに2年間思い悩んだ後まとめられた博士論文とその後の研究2編も加えての本書である。
……・・・・・・・・・・・・
記念スピーチは、「北京からフェミニズムを再考する」というテーマで行われました。大橋さんは、2年前から山川菊栄賞第24回受賞作である『黄土の村の性暴力―ダーニャンたちの戦争は終わらない』を書いたメンバーたちの活動に協力していると言います。WAM(女たちの戦争と平和資料館―第21回特別賞対象関係者が設立)のつくったパネルを展示する活動ですが、最初は大学の構内から始まり少しずつ外に広がっているなかにジェンダーの視点の広がりを感じるそうです。1995年世界女性年北京会議で打ち出された「ジェンダー平等」は中国国内ではなかなか浸透しなかったが、この17年間には大きな社会変革が起き、そのなかでジェンダーの視点が広がってきている様子を語られました。
著書の内容には触れられませんでしたが、大都市の女性は「家政サービス」を受けることで働きつづけ、農村女性は生き残りをかけて都市への「移住家事労働」に従事するようになったなかで、双方が目覚め始めている実態が描かれているので、そうした社会変化の一環としての、ジェンダー視点の広がりに希望を持ち、お話しいただいたのかなと受け止めました。
スピーチの前に井上輝子さんが選考対象作品の紹介をされたが、大橋秀子さんの『金子喜一とジョセフィン・コンガー―社会主義フェミニズムの先駆的試み』の説明に私は「思い入れがあるなあ」と感じていたら、結びが「今日の受賞者大橋史恵さんのお母さまです」となったので参加者一同もちょっとした興奮状態になったことを付け加えておきたいと思います。(資料室会員 中村ひろ子)
●推薦のことば
加納実紀代
かつて人民中国は女性解放の先進国だった。人民公社の共同食堂や託児所によって再生産労働から解放され、いきいきと生産労働で働く女性の姿が伝えられ、文革時代にはスローガン「女性は天の半分を支える」が日本の女性の羨望を誘った。しかし80年代、「改革・開放」とともに聞こえてきたのは「婦女回家」、「女は家庭に帰れ」だった。いったいどうなっているのか? 女性たちはそれをどう受け止めているのか?
大橋さんのこの本は、「改革・開放」からグローバル化経済への接合という大変動期における再生産労働再編を大きなスケールで描き出しており、この疑問に十分に答えてくれる。超大国中国は国内に都市と農村という「南北問題」を抱えているが、大橋さんは北京の移動家事労働者に着目することから、「婦女回家」という再生産労働の再編は、女性だけでなく農村というもう一つの労働力の<貯水池>を巻き込みつつなされていることを発見する。そこには都市女性の「婦女回家」回避の願いと、都市への移動に「生き残り」をかける農村女性の切実な思いがある。両者は家事労働者リクルートの<回路>によってつながれるが、それは都市女性による農村女性収奪の<回路>でもある。しかし農村女性たちはたんにそれに回収される客体ではない。<回路>を利用しつつそれをすり抜ける行為体でもある。大橋さんはそうした動きを<水路>というオリジナルな言葉でとらえ、彼女たちのオーラルヒストリーを位置づけている。
こうした成果を生み出した背景には、10年以上にわたる緻密な理論研究とフィールドワークの積み重ねがあり、マクロ、メゾ、ミクロの水準における分析の重層的組み合わせがある。それを可能にしたのは、まずは硬直した二項対立的視点ではなく、有機的相互的に物事を見るジェンダー分析の基本姿勢だろう。しかしそれ以上に大きいのは移動家事労働者に対する共感ではないか。大橋さんにとって彼女たちは、単なる他国の研究対象ではなく、日本の高度成長期に地方から都市に移動した母世代と二重写しになる。あとがきによれば、フェミニスト仲間でもある母上とはそうした会話がかわされたという。その意味ではこの本は中国の現在であるだけでなく過去の日本を照射するものでもある。さらにいえば、いっそうの少子化で移動家事労働者増大が予想されるが、その<回路>において日本の女性たちが収奪者にならないためにはどうあればいいだろうか。そうした未来を考える上でも意味を持つ。
とは言うものの、あまりにもこの本は大部であり、内容も値段も高すぎる。この研究成果を踏まえ、ぜひとも一般読者にも読みやすい形での刊行を望みたい。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/yamakawakikue.htm
2011年11月25日金曜日
本年の山川菊栄賞決定
11月23日に選考委員会が開かれ、大橋史恵『現代中国の移住家事労働者-農村・都市関係と再生産労働のジェンダー・ポリティクス』(お茶の水書房)に決定したとのことです。近く本体にも書き込みますが、とりあえずここでお知らせします。贈呈式は三月で調整中とのことです。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/yamakawakikue.htm
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/yamakawakikue.htm
2011年5月30日月曜日
第25回山川菊栄賞
●2005年度山川菊栄賞贈呈式報告
山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の2005年度対象作品は、森ます美さんの『日本の性差別賃金―同一価値労働同一賃金原則の可能性』(有斐閣、05年6月刊)に決まり、贈呈式が2月11日東京都内で行われた。
今回の受賞作となった『日本の性差別賃金』を森さん自身の記念スピーチから紹介すれば、「九〇年代に大企業女性労働者が始めた男女差別賃金裁判に触発され、彼女たちと一緒にペイ・エクイティ(同一価値労働同一賃金原則)研究を行う中で、九五-七年に商社・営業職における職務評価を実際にこころみ、その成果をまとめたもの」となる。
もう少し内容的に紹介すれば、日本の性差別賃金構造を、大企業の人事・賃金制度の視角から実に丹念に洗い出し、実証的に分析し、明らかにされている。その手法は、京ガス男女賃金差別裁判における<積算・検収>事務職と<ガス工事>監督職の職務比較にも活かされ、地裁での勝利判決となった(控訴審では勝利的和解)ことから、終章では「日本における同一価値労働同一賃金原則の可能性」を示唆されている。
森ます美さんは、昭和女子大学人間社会学部教授として、労働とジェンダー、社会政策を講じておられるが、贈呈式には、学生さんは少なく、ペイ・エクイティの研究を共にすすめてきた商社の女性たち、男女賃金差別裁判を闘う女性たち、「均等待遇アクション」に関わる女性たちが、遠くは関西からも大勢かけつけていた。賞の選考委員である浅倉むつ子さんが「研究室に閉じこもるのではなく、企業の現場で働く女性たちの運動のただ中に身を置き、彼女たちによる性差別への怒りに共感しつつ、その権利主張に寄り添って、専門家としての理論構築をしている」と推薦の弁を述べられたが、まさにそれが実感できる参加者であった。
贈呈式の後半は、京ガスの屋嘉比ふみ子さん、労働法学者としての浅倉さんを交えてのシンポジュームになり、日本において同一価値労働同一賃金原則を確立するための今後の課題が話し合われた。会場からの要望も含めて、「少し展望が見えてきた感じ」がした。 中村ひろ子(労働者運動資料室理事)
●推薦の言葉―浅倉むつ子
2005年度の山川菊栄記念婦人問題研究奨励金を、森ます美さんの『日本の性差別賃金』に贈呈できることは、私ども選考委員にとって、本当に嬉しく誇らしいことです。それはまさに本書が、当奨励金の趣旨にとってもっともふさわしい著作だからなのですが、その理由を二つだけ申し上げましょう。
一つは、森ます美さんの研究への姿勢です。森さんは本書の中で、実に膨大な時間をかけて、多くの資料を丹念に読みこなし、統計を加工し、作図し、自分なりの結論を導き、自分の言葉で語っています。このような、本書を貫いている研究への限りなく誠実で粘り強い姿勢こそ、本書の信頼性をおおいに高めているものだといえるでしょう。
そしてもう一つは、森さんが、研究室に閉じこもるのではなく、企業の現場で働く女性たちの運動のただ中に身を置き、彼女たちによる性差別への怒りに共感しつつ、その権利主張に寄り添って、専門家としての理論構築をしているということです。このように運動との架橋をはかることによって、女性問題研究は、狭い空間に閉じこもりがちな学術の世界にいる人々にも、新たな風を吹き込む役割を果たしているのだと思います。
本書は、このような尊敬すべき森ます美さんによる初の単著です。そして、職種や職務の概念が希薄な日本では「実現不可能」とすら言われてきた「同一価値労働同一賃金原則」に正面から取り組んだ、初めての研究書です。
本書は、日本の男女の大きな賃金格差は、労働市場構造の特殊性や労働者の属性の差からのみ生まれるのではなく、個別企業の人事・賃金制度そのものからも生み出されているものだと主張しています。また、具体的な実践例を示すことによって、日本における同一価値労働同一賃金原則の適用可能性を提起しています。
本書は、まさに労働問題に関心をもつあらゆる人々にとって、「必読の書」であり、女性たちにとっては「待望の書」であるといってよいでしょう。本書が多くの人たちによって読まれていくことを期待します。
山川菊栄賞のページへ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/yamakawakikue.htm
山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の2005年度対象作品は、森ます美さんの『日本の性差別賃金―同一価値労働同一賃金原則の可能性』(有斐閣、05年6月刊)に決まり、贈呈式が2月11日東京都内で行われた。
今回の受賞作となった『日本の性差別賃金』を森さん自身の記念スピーチから紹介すれば、「九〇年代に大企業女性労働者が始めた男女差別賃金裁判に触発され、彼女たちと一緒にペイ・エクイティ(同一価値労働同一賃金原則)研究を行う中で、九五-七年に商社・営業職における職務評価を実際にこころみ、その成果をまとめたもの」となる。
もう少し内容的に紹介すれば、日本の性差別賃金構造を、大企業の人事・賃金制度の視角から実に丹念に洗い出し、実証的に分析し、明らかにされている。その手法は、京ガス男女賃金差別裁判における<積算・検収>事務職と<ガス工事>監督職の職務比較にも活かされ、地裁での勝利判決となった(控訴審では勝利的和解)ことから、終章では「日本における同一価値労働同一賃金原則の可能性」を示唆されている。
森ます美さんは、昭和女子大学人間社会学部教授として、労働とジェンダー、社会政策を講じておられるが、贈呈式には、学生さんは少なく、ペイ・エクイティの研究を共にすすめてきた商社の女性たち、男女賃金差別裁判を闘う女性たち、「均等待遇アクション」に関わる女性たちが、遠くは関西からも大勢かけつけていた。賞の選考委員である浅倉むつ子さんが「研究室に閉じこもるのではなく、企業の現場で働く女性たちの運動のただ中に身を置き、彼女たちによる性差別への怒りに共感しつつ、その権利主張に寄り添って、専門家としての理論構築をしている」と推薦の弁を述べられたが、まさにそれが実感できる参加者であった。
贈呈式の後半は、京ガスの屋嘉比ふみ子さん、労働法学者としての浅倉さんを交えてのシンポジュームになり、日本において同一価値労働同一賃金原則を確立するための今後の課題が話し合われた。会場からの要望も含めて、「少し展望が見えてきた感じ」がした。 中村ひろ子(労働者運動資料室理事)
●推薦の言葉―浅倉むつ子
2005年度の山川菊栄記念婦人問題研究奨励金を、森ます美さんの『日本の性差別賃金』に贈呈できることは、私ども選考委員にとって、本当に嬉しく誇らしいことです。それはまさに本書が、当奨励金の趣旨にとってもっともふさわしい著作だからなのですが、その理由を二つだけ申し上げましょう。
一つは、森ます美さんの研究への姿勢です。森さんは本書の中で、実に膨大な時間をかけて、多くの資料を丹念に読みこなし、統計を加工し、作図し、自分なりの結論を導き、自分の言葉で語っています。このような、本書を貫いている研究への限りなく誠実で粘り強い姿勢こそ、本書の信頼性をおおいに高めているものだといえるでしょう。
そしてもう一つは、森さんが、研究室に閉じこもるのではなく、企業の現場で働く女性たちの運動のただ中に身を置き、彼女たちによる性差別への怒りに共感しつつ、その権利主張に寄り添って、専門家としての理論構築をしているということです。このように運動との架橋をはかることによって、女性問題研究は、狭い空間に閉じこもりがちな学術の世界にいる人々にも、新たな風を吹き込む役割を果たしているのだと思います。
本書は、このような尊敬すべき森ます美さんによる初の単著です。そして、職種や職務の概念が希薄な日本では「実現不可能」とすら言われてきた「同一価値労働同一賃金原則」に正面から取り組んだ、初めての研究書です。
本書は、日本の男女の大きな賃金格差は、労働市場構造の特殊性や労働者の属性の差からのみ生まれるのではなく、個別企業の人事・賃金制度そのものからも生み出されているものだと主張しています。また、具体的な実践例を示すことによって、日本における同一価値労働同一賃金原則の適用可能性を提起しています。
本書は、まさに労働問題に関心をもつあらゆる人々にとって、「必読の書」であり、女性たちにとっては「待望の書」であるといってよいでしょう。本書が多くの人たちによって読まれていくことを期待します。
山川菊栄賞のページへ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/yamakawakikue.htm
第26回山川菊栄賞
●第26回山川菊栄賞授賞式報告
山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の2006年度対象作品は、糠塚康江さんの『パリテの論理―男女共同参画の技法』(信山社、05年11月刊)に決まり、3月4日(日)都内で贈呈式が行われました。今年は男性の姿がめだちました。受賞者のゼミの学生さんと憲法研究者だったのですが、今回の受賞作品のもつ普遍性、影響力が感じられ、頼もしく思いました。
「パリテの論理」と言われても、多くの方には「何のこと」と思われるでしょう。フランス憲法院が「パリテ(男女同数制)はクォータ(割当)制の一種で女性に特別の権利を与えるものであるから、フランス共和国憲法が規定する男女の平等、個人=市民以外に権利の主体を認めない理念に違反する」としたために、逆に憲法に第3条5項「法律は選挙によって選出される議員職と公職への男女の均等なアクセスを促進する」、第4条2項「政党は、法律によって定められた条件で、第3条5項に表明された原則の実施に貢献する」という項目を入れ(99年)、2000年に「パリテ法」が制定されました。
糠塚さんは、「憲法学の立場から、フランスの共和主義における普遍的市民像を抽出し」、「パリテの論理を、精緻にかつ丹念に分析しながら」、「パリテとクォータの違いを論じています」(推薦の言葉より)。つまり「性差は生まれついたら変わらず、二つの区別はほぼ量的に等しく、女性はマイノリティではない。女性は常に男性とともにあり、女性だけで集団を形成しているわけではない」と明快に論破されているのです。スピーチを伺って、男女平等を主張するとき「使えるな」と思いましたから、これはきちんと読まねばと思っているところです。
受賞式の冒頭で、受賞者へ詫びながら、記念会代表の菅谷直子さんが06年12月17日に逝去されていた報告がありましたこと付け加えておきます。7月14日に偲ぶ会が計画されていますので、詳細が決まり次第報告します。
●山川菊栄賞推薦の言葉
推薦の言葉―浅倉むつ子
2006年度の山川菊栄記念婦人問題研究奨励金は、糠塚康江さんの『パリテの論理』に決定しました。私ども選考委員会が、数多くの候補の中から、もっとも優れた著作として本書を選んだ理由は、以下の通りです。
男女間格差を解消するための「積極的是正措置」であるアファーマティブ・アクションやポジティブ・アクションは、今や多くの国で実施されています。しかし、とりわけクォータ(割当)制については、男女平等原則に照らして、果たして合法なのか違法なのかという熾烈な議論が繰り広げられています。フランスではこの問題をめぐって、1982年に政治分野のクォータ制が違憲判決を受けながらも、99年には憲法改正を通じてその違憲性は克服され、さらに2000年には、性の偏在を克服するための技法として、「パリテ法」が制定されました。以来、フランスでは、さまざまなレベルの選挙を通じて、女性の議席が劇的に増加しています。
糠塚さんは、この著作において、ご専門の憲法学の立場から、フランスの共和主義における普遍的市民像を抽出し、特色のある男女平等原則に照らして、クォータ制が違憲判決を受けなければならなかった論拠を、見事に解明しています。そして1990年代に論壇に登場したパリテの論理を、精緻にかつ丹念に分析しながら、「パリテは50%クォータ制にすぎない」という見解を批判して、両者の違いを論じています。本書に一貫して流れている知的で深い洞察と誠実な研究への姿勢は、敬服に値します。
なぜフランスでは、いったんクォータ制が否定されながらも、憲法改正を行ったのか、そしてパリテ法を実現することができたのか。その論理とはどういうものなのか。私たちは、このような疑問に対する説得力のある回答を、糠塚さんの著作を通じて、初めて、得ることができるのです。このことは、日本で政治分野の男女共同参画を推進しようとしている私たちの実践にも、必ずや重要な手がかりを与えてくれるでしょう。その意味では、女性の権利に関心をもつすべての人にとって、本書は、必読の書といってよいのではないでしょうか。
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山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の2006年度対象作品は、糠塚康江さんの『パリテの論理―男女共同参画の技法』(信山社、05年11月刊)に決まり、3月4日(日)都内で贈呈式が行われました。今年は男性の姿がめだちました。受賞者のゼミの学生さんと憲法研究者だったのですが、今回の受賞作品のもつ普遍性、影響力が感じられ、頼もしく思いました。
「パリテの論理」と言われても、多くの方には「何のこと」と思われるでしょう。フランス憲法院が「パリテ(男女同数制)はクォータ(割当)制の一種で女性に特別の権利を与えるものであるから、フランス共和国憲法が規定する男女の平等、個人=市民以外に権利の主体を認めない理念に違反する」としたために、逆に憲法に第3条5項「法律は選挙によって選出される議員職と公職への男女の均等なアクセスを促進する」、第4条2項「政党は、法律によって定められた条件で、第3条5項に表明された原則の実施に貢献する」という項目を入れ(99年)、2000年に「パリテ法」が制定されました。
糠塚さんは、「憲法学の立場から、フランスの共和主義における普遍的市民像を抽出し」、「パリテの論理を、精緻にかつ丹念に分析しながら」、「パリテとクォータの違いを論じています」(推薦の言葉より)。つまり「性差は生まれついたら変わらず、二つの区別はほぼ量的に等しく、女性はマイノリティではない。女性は常に男性とともにあり、女性だけで集団を形成しているわけではない」と明快に論破されているのです。スピーチを伺って、男女平等を主張するとき「使えるな」と思いましたから、これはきちんと読まねばと思っているところです。
受賞式の冒頭で、受賞者へ詫びながら、記念会代表の菅谷直子さんが06年12月17日に逝去されていた報告がありましたこと付け加えておきます。7月14日に偲ぶ会が計画されていますので、詳細が決まり次第報告します。
●山川菊栄賞推薦の言葉
推薦の言葉―浅倉むつ子
2006年度の山川菊栄記念婦人問題研究奨励金は、糠塚康江さんの『パリテの論理』に決定しました。私ども選考委員会が、数多くの候補の中から、もっとも優れた著作として本書を選んだ理由は、以下の通りです。
男女間格差を解消するための「積極的是正措置」であるアファーマティブ・アクションやポジティブ・アクションは、今や多くの国で実施されています。しかし、とりわけクォータ(割当)制については、男女平等原則に照らして、果たして合法なのか違法なのかという熾烈な議論が繰り広げられています。フランスではこの問題をめぐって、1982年に政治分野のクォータ制が違憲判決を受けながらも、99年には憲法改正を通じてその違憲性は克服され、さらに2000年には、性の偏在を克服するための技法として、「パリテ法」が制定されました。以来、フランスでは、さまざまなレベルの選挙を通じて、女性の議席が劇的に増加しています。
糠塚さんは、この著作において、ご専門の憲法学の立場から、フランスの共和主義における普遍的市民像を抽出し、特色のある男女平等原則に照らして、クォータ制が違憲判決を受けなければならなかった論拠を、見事に解明しています。そして1990年代に論壇に登場したパリテの論理を、精緻にかつ丹念に分析しながら、「パリテは50%クォータ制にすぎない」という見解を批判して、両者の違いを論じています。本書に一貫して流れている知的で深い洞察と誠実な研究への姿勢は、敬服に値します。
なぜフランスでは、いったんクォータ制が否定されながらも、憲法改正を行ったのか、そしてパリテ法を実現することができたのか。その論理とはどういうものなのか。私たちは、このような疑問に対する説得力のある回答を、糠塚さんの著作を通じて、初めて、得ることができるのです。このことは、日本で政治分野の男女共同参画を推進しようとしている私たちの実践にも、必ずや重要な手がかりを与えてくれるでしょう。その意味では、女性の権利に関心をもつすべての人にとって、本書は、必読の書といってよいのではないでしょうか。
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第27回山川菊栄賞
●第27回山川菊栄賞授賞式報告
第27回(2007年度)山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の贈呈式が、1月27日(日)午後、東京都港区にある「女性と仕事の未来館」で行なわれました。
今年の贈呈対象が中村桃子さんの『「女ことば」はつくられる』(ひつじ書房)であることは既報の通りですが、中村さんは、関東学院大学経済学部教授として英語を教える一方で、言語学者として、「ことばとフェミニズム」、近年は「ことばとジェンダー」を研究されています。それを和光大学で講じておられる関係で、女性学の研究者や女性運動の活動家とともに、中村さんの薫陶を受けている若い学生さんたちが参加しました。
贈呈式は、いつものように選考委員のみなさんで分担して進められました。浅倉むつ子さんの司会で始まった式は、最初に重藤都さんから、奨励金の経緯と趣旨が山川菊栄の人となりとともに説明されました。(この式に何度も参加している人は、研究会のなりたちや山川菊栄の人柄を語られていた菅谷直子さんの姿が無いこと―06年暮れ逝去―に歴史を痛感されたことと思います。)
次に選考委員長の井上輝子さんから、2007年度の対象となった著作には歴史分野のものが多く、しかも占領期の政策を取り扱った若い研究者の著作が目に付いたとの講評がありました。最終選考に残ったのは今田絵里香さんの『「少女」の社会史』と乾淑子さんの『図説 着物の柄に見る戦争』と中村桃子さんの作品であり、全員一致で中村さんの著作が選ばれたと経緯が話されました。
そして有賀夏紀さんから「女ことばの生成過程を明らかにするに止まらず、国家とジェンダーの関係を明らかにしたスケールの大きい国家論になっています」との推薦の言葉がありました(別に掲載)。
受賞者中村さんのスピーチは、参加者の中には対象作品を読んでいない人たちも多かったと思われますが、話術の巧みさもあって、全員を「桃子ワールド」に引き込んでしまった感がありました。ご自身が研究を深められてきた経緯を次のようにまとめられました。
時と場合によってことばは違う。変わることが前提ならば、言語は創造的に変えられるのではないかと考えた。すると、「女ことば」が自然にできたものなら、使えとのしつけはいらないはずだが言われ続けていることからすれば、一つは<規範の役割>を果たしているのではないか。二つ目に、ここ150年ずっと「女ことば」の乱れが嘆かれているが「それはなぜか」と考えると、背景に「使われていたはず」との思い<信念>があるのではないかと思い至った。三つ目に、地域語いわゆる方言を話す人たちも「女ことば」を知っているのはなぜかと考えたら、メディアから学んだ<知識>だ、という構図が見えてきた。つまり、「女ことば」は、意図的にジェンダーと結びつけて使われ、維持されてきたものである。
スピーチ後の質疑の冒頭では、鈴木裕子さんから「山川菊栄は1920年代にキミとボク問題を書いている。また戦中から誰に読んでもらうかということを念頭において平明なことばで書くことに努めた。漢語を使うのは男の特権とも書いている」と話されました。
続いて参加者から、教科書に見る「女ことば」の事例、方言のなかに混じる不自然さが話されるなど、中村桃子さんの説を共有し、より深めることができた気がしました。
●推薦の言葉―有賀夏紀
中村桃子さんの『「女ことば」はつくられる』は、構築主義の立場から日本における「女ことば」の生成、普及の過程を、鎌倉・室町・江戸時代から現代に至るまで示した研究ですが、それにとどまらず、国家とジェンダーの関係を明らかにしたスケールの大きい国家論になっています。日常使っていることばのあり方が国家のあり方によって規定され広められ、また逆にことばのあり方が国家のあり方をつくるという言語と国家論の相互作用について、なかむらさんは国内外の膨大な資料を駆使して議論を展開します。議論はオリジナリティや意外さも含み、ものの見事というほかありません。ここではその議論をごくかんたんに紹介します。
国家が言語をつくること。近代国家の統一のために言語の統一がはかられてきましたが、日本においても明治期に国語の確立がなされました。本書は天皇制家父長国家の下で男性の言葉が国語としてつくられ、その際女ことばが国語から排除され、第二次大戦中の女の国民化とともに女ことばが国語に取り込まれていったことなど、つまり、ジェンダー化された国家がジェンダーかされた言語をつくり出すことを解き明かしています。
言語が国家のあり方をつくること。中村さんはここでオリジナルな議論を展開します。それは特に、日本帝国主義の植民地支配における女ことばの役割に関して見られます。この問題提起はとてもしんせんで、どのような論が展開されるのか私は非常に興味深く読みましたが、資料で根拠づけられた説得力のある説明は衝撃的でした。日本の優位を示すとされるようになった女ことばの存在が、「優秀な日本」による植民地支配を正当化したことがよくわかります。
そしてこの本は、グローバル化の下で多民族の平等な関係を主張する多文化主義が広がる今日の国家と言語の関係を考える上でも重要と思います。必ずしも単一の言語を国家ないし地域共同体統一の必要条件とはしない動きも出ているなかで、ジェンダーの視点無視されているように見えます。日本語と国家の関係がジェンダーによって規定されてきたことを示した中村さんの研究は、現在、そして今後の国家のあり方を考える上での大きな示唆を、特にジェンダーの視点から与えてくれます。
以上の理由から、中村桃子さんの著書『「女ことば」はつくられる』を山川菊栄記念婦人問題研究奨励金受賞作品として推薦できることを嬉しく思います。
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第27回(2007年度)山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の贈呈式が、1月27日(日)午後、東京都港区にある「女性と仕事の未来館」で行なわれました。
今年の贈呈対象が中村桃子さんの『「女ことば」はつくられる』(ひつじ書房)であることは既報の通りですが、中村さんは、関東学院大学経済学部教授として英語を教える一方で、言語学者として、「ことばとフェミニズム」、近年は「ことばとジェンダー」を研究されています。それを和光大学で講じておられる関係で、女性学の研究者や女性運動の活動家とともに、中村さんの薫陶を受けている若い学生さんたちが参加しました。
贈呈式は、いつものように選考委員のみなさんで分担して進められました。浅倉むつ子さんの司会で始まった式は、最初に重藤都さんから、奨励金の経緯と趣旨が山川菊栄の人となりとともに説明されました。(この式に何度も参加している人は、研究会のなりたちや山川菊栄の人柄を語られていた菅谷直子さんの姿が無いこと―06年暮れ逝去―に歴史を痛感されたことと思います。)
次に選考委員長の井上輝子さんから、2007年度の対象となった著作には歴史分野のものが多く、しかも占領期の政策を取り扱った若い研究者の著作が目に付いたとの講評がありました。最終選考に残ったのは今田絵里香さんの『「少女」の社会史』と乾淑子さんの『図説 着物の柄に見る戦争』と中村桃子さんの作品であり、全員一致で中村さんの著作が選ばれたと経緯が話されました。
そして有賀夏紀さんから「女ことばの生成過程を明らかにするに止まらず、国家とジェンダーの関係を明らかにしたスケールの大きい国家論になっています」との推薦の言葉がありました(別に掲載)。
受賞者中村さんのスピーチは、参加者の中には対象作品を読んでいない人たちも多かったと思われますが、話術の巧みさもあって、全員を「桃子ワールド」に引き込んでしまった感がありました。ご自身が研究を深められてきた経緯を次のようにまとめられました。
時と場合によってことばは違う。変わることが前提ならば、言語は創造的に変えられるのではないかと考えた。すると、「女ことば」が自然にできたものなら、使えとのしつけはいらないはずだが言われ続けていることからすれば、一つは<規範の役割>を果たしているのではないか。二つ目に、ここ150年ずっと「女ことば」の乱れが嘆かれているが「それはなぜか」と考えると、背景に「使われていたはず」との思い<信念>があるのではないかと思い至った。三つ目に、地域語いわゆる方言を話す人たちも「女ことば」を知っているのはなぜかと考えたら、メディアから学んだ<知識>だ、という構図が見えてきた。つまり、「女ことば」は、意図的にジェンダーと結びつけて使われ、維持されてきたものである。
スピーチ後の質疑の冒頭では、鈴木裕子さんから「山川菊栄は1920年代にキミとボク問題を書いている。また戦中から誰に読んでもらうかということを念頭において平明なことばで書くことに努めた。漢語を使うのは男の特権とも書いている」と話されました。
続いて参加者から、教科書に見る「女ことば」の事例、方言のなかに混じる不自然さが話されるなど、中村桃子さんの説を共有し、より深めることができた気がしました。
●推薦の言葉―有賀夏紀
中村桃子さんの『「女ことば」はつくられる』は、構築主義の立場から日本における「女ことば」の生成、普及の過程を、鎌倉・室町・江戸時代から現代に至るまで示した研究ですが、それにとどまらず、国家とジェンダーの関係を明らかにしたスケールの大きい国家論になっています。日常使っていることばのあり方が国家のあり方によって規定され広められ、また逆にことばのあり方が国家のあり方をつくるという言語と国家論の相互作用について、なかむらさんは国内外の膨大な資料を駆使して議論を展開します。議論はオリジナリティや意外さも含み、ものの見事というほかありません。ここではその議論をごくかんたんに紹介します。
国家が言語をつくること。近代国家の統一のために言語の統一がはかられてきましたが、日本においても明治期に国語の確立がなされました。本書は天皇制家父長国家の下で男性の言葉が国語としてつくられ、その際女ことばが国語から排除され、第二次大戦中の女の国民化とともに女ことばが国語に取り込まれていったことなど、つまり、ジェンダー化された国家がジェンダーかされた言語をつくり出すことを解き明かしています。
言語が国家のあり方をつくること。中村さんはここでオリジナルな議論を展開します。それは特に、日本帝国主義の植民地支配における女ことばの役割に関して見られます。この問題提起はとてもしんせんで、どのような論が展開されるのか私は非常に興味深く読みましたが、資料で根拠づけられた説得力のある説明は衝撃的でした。日本の優位を示すとされるようになった女ことばの存在が、「優秀な日本」による植民地支配を正当化したことがよくわかります。
そしてこの本は、グローバル化の下で多民族の平等な関係を主張する多文化主義が広がる今日の国家と言語の関係を考える上でも重要と思います。必ずしも単一の言語を国家ないし地域共同体統一の必要条件とはしない動きも出ているなかで、ジェンダーの視点無視されているように見えます。日本語と国家の関係がジェンダーによって規定されてきたことを示した中村さんの研究は、現在、そして今後の国家のあり方を考える上での大きな示唆を、特にジェンダーの視点から与えてくれます。
以上の理由から、中村桃子さんの著書『「女ことば」はつくられる』を山川菊栄記念婦人問題研究奨励金受賞作品として推薦できることを嬉しく思います。
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第29回山川菊栄賞
● 第29回山川菊栄賞贈呈式報告
山川菊栄を記念して創設された婦人問題研究奨励金の第二九回贈呈式が、二月二七日(土)午後、東京・一ッ橋の日本教育会館で行われました。
第二八回は対象作なしで心配されましたが、第二九回(二〇〇九年度)の対象作には、西倉実季さんの『顔にあざのある女性たち―「問題経験の語り」の社会学』と堀江節子さんの『人間であって人間でなかった―ハンセン病と玉城しげ』の二点が選ばれました。
今回の対象作はいずれもライフストーリー研究の成果を本にまとめられたものでしたが、第一オーサー(固有の経験を語ってくれた人)と第二オーサーである筆者との相互依存が見事に花開いたと言えるものでした。選考委員の一人、有賀夏紀さんが、「歴史をやる人間は、第一オーサーを記録することで終わってしまいがちだが、西倉さんは個人の経験を社会的問題にしている」と高く評価されましたが、それは堀江さんの書き方にも当てはまることでした。
当日は受賞者による記念スピーチも行われました。
西倉実季さんは、研究過程を紹介するなかで、「顔にあざがあることは美醜の問題と想定したことで、語り手との間で齟齬が生じ、行き詰ってしまった。二年おいて、彼女たちが<普通でない顔>に問題経験を抱いているのだと想定を変えたら見えてきた。調査する私も研究対象であることがわかった」と語られました。
堀江節子さんもまた、「最初一人語りで簡単にまとめてしまったが、寝かせているうちに、しげさんの個人史でいいのかと思うようになった。しげさんの、強制堕胎で殺されてしまった娘への思い、平和で差別のない社会にしたいとの思いを書きこまねばならないと思った」と語られました。
堀江さんのスピーチは、隣に玉城しげさんが座って行なわれ、後半はしげさんへの質問の形をとりましたが、まさにライフストーリーが語り手と聞き手の相互依存の賜物であることを彷彿とさせるものでした。
玉城しげさんの話から、本に書かれていないことを二、三紹介します。
◇敬愛園に来て、だまされた思いに悲しくて、園にあった小さな図書室に通い、本を手にした。その中に山川菊栄さんの本もあった。内容は覚えていないが、あの大変な時代に、女の方が男を尻目に女性活動をされたということで、山川菊栄さんの名前だけは覚えている。文学の先生だけれど、普通の方とは違うと思った。
◇裁判が終わるころから、九州全県の学校や公的な場、お寺に誘われるようになった。ほんとうに思いがけないくらいのたくさんの人との出会いによって、世の中のたくさんのことを知った。韓国朝鮮問題とか被差別部落のことを知った。ほんとうに日本もひどいことをしましたね。日本のこの悲しい歴史を子どもたちに教育で教えていかなければとの思いです。
◇私はこの(動かなくなった)手を子どもたちに見せながら、「治療せずに働かせられたからこうなった。厚生省の金鵄勲章だ」と言う。子どもたちは「金鵄勲章ってなんですか」と聞く。「痛くないですか」とも聞いてくれる。子どもはほんとうに純真でかわいい。そんな子どもたちが、あとで手紙やクリスマスカードをくれる。手作りのいろいろな飾りも送ってくれる。嬉しい。
なお、記念会からは「今年の一一月三日は菊栄生誕一二〇年、没後三〇年にあたるので、シンポジウムをやります。それにつながる連続学習会も企画しているので、多くの方に参加してほしい」との案内もありました。
●山川菊栄賞推薦のことば 井上輝子
西倉さんの本は、顔にあざのある女性たちへの、6年以上にわたるインタビューの成果をまとめた作品である、西倉さんは、女性たちが経験してきた苦しみと、それへの対処の経験をていねいに記録し、整理・分析している。
本書の意義は、なによりもまず、顔にあざのある女性たちの内面的経験とその変化を鮮やかに描き出して、彼女たちが直面してきた(している)苦しみや悩みを、読者に伝わる形で提示したことにある。
たとえば、幼少期から受けてきたいじめの経験や、人と出会ったりする会話をするときに、相手から執拗な視線や無遠慮な言葉を投げかけられる経験。顔にあざがあるという事実だけでなく、あざを隠している自分に後ろめたさを感じてしまいがちな心理。恋愛や結婚の困難、就職の難しさ。さらに、あざについて言及することがタブーになるなど、家族の中でさえ起きる様々な対立や葛藤等々。顔にあざがある女性たちが直面してきた、このような困難な経験の歴史を、西倉さんが当事者女性たちへのインタビューをつうじて克明に描写し分析されたことに、私は敬意を表したい。
これを可能にした理由の一つは、経験の聞き手と語り手の相互作用をつうじて、物語が構成されていくという、ライフストーリーという研究方法にあるだろうが、それだけではない。当事者にできるかぎり寄り添おうとする西倉さんの姿勢と熱意が、当事者の女性たちとの信頼関係を生みだした結果であると想像される。本書の随所に、インタビュー調査の過程を反省的に振り返る個所が記されているが、ここには西倉さんが、当事者女性たちの声を最大限聞き取ろうとした努力の跡が窺える。
私が本書を推薦する理由は、これだけではない。西倉さんは、あざのある女性たちの問題経験を軽減するための方法についても言及している。異形を障害の一種と捉えるべきなのか否かについての議論を検討した上で、私たちが顔にあざのある人や傷のある人を見かけたときに、過度の関心でもなく過度の無関心でもない「好意的無関心」で接することを、提言する。異形の人たちが抱える困難が、実は異形の人たちに対する、私たち自身の接し方と連動していることを示唆し、その改善を提起した点も、本書の重要な意義といえる。
最後に指摘したいのは、本書が現在進行中の問題経験を記録した、現在進行中の研究であるということだ。本書に登場する女性たちは、現在進行形で生きている人々であるから、当然ながら数年間のインタビューの間に、それぞれの生活環境の変化に応じて、あざについての考え方や対処法も変化しているし、今後も変化し続けるにちがいない。したがって、インタビューを通じて考えた西倉さんの意見や結論も、2009年という時点での仮の見解であるといえるだろう。西倉さん自身が今後さらに研究を重ねることで、さらなる発見を積み重ねていかれることが期待される。また、美醜尺度の危うさ、ジェンダーと外見の関係、「普通」とはなにか、機能的障害と異形との関係等々、本書から読み取れるいくつかの問題提起については、現在進行中の考えるべき課題として、本書の刊行を機に、オープンな議論が展開されることを期待したい。
●山川菊栄賞推薦のことば 加納実紀代
かつて<聞き書き>は、女性史の柱だった。無名の女性たちの生の軌跡、文献資料だけでは明らかにできないからである。それによって無告のまま忘却の闇に葬られようとしていた女性たちがくっきりと歴史に刻まれることになった。しかしいまや<聞き書き>は<オーラル・ヒストリー>となり、社会的に活躍した政治家や官僚男性をも対象とするようになっている。
そうしたなかで、本書はまさに女性史の原点としての<聞き書き>といえる。著者堀江節子さんは、それまでとくにハンセン病に関心を持っていたわけではない。たまたま話を聞いた玉城しげさんへの人間的共感、堀江さん自身の言葉をつかえば「すぎてしまえばそれまでのものを、『出会い』と感じ、気持ちを通わせたいと願う心」によって、ハンセン病問題に目を開いていったのだ。そこにあるひととひととの魂の共振も女性史の原点である。
それはさらに堀江さんを国家・天皇制・戦争、そして人間とは何かという根本的な問題に導いてゆく。この本は、国のハンセン病政策によって「人間であって、人間でなかった」人生を強いられたしげさんの人間回復の軌跡とともに、著者自身の<問題発見>の過程をも跡付けるものとなっている。そこに本書の大きな意義がある、最後にある「人間はいくつになっても成長できるんだ」は、読者に対する力強い希望のメッセージである。
しかしハンディな体裁と読みやすい文体にも関わらず、本書の内容はずしりと重い。とりわけ「人間であって、人間でなかった」というしげさんの言葉は、人間とは何か、<人間として生きる>とはどういうことなのかを読者に問いかける。「飼い殺し」としげさんがいうように、ただ死なないように生かされているだけでは<人間>とはいえないのだ。
さらにこの本は、自分自身のなかにある差別意識への直視をも迫る。しげさんたちに非人間的生活を強いたらい予防法は廃止され、それに対する国家賠償請求訴訟にも勝利した。しかしそれで、この問題はほんとうに解決したといえるのだろうか。たとえば昨年、世界を震撼させた新型インフルエンザ対策において、日本で実施された「水際作戦」なるものは、かつての無癩県運動とどうちがうのだろうか。自己の領域の<清浄>をたもつために、<不浄>とされたものを排除隔離する、ここにはハンセン病者を強制収容したかつてと同様の発想があるのではないか? それに気付かせてくれた点でも、わたしにとっては本書の意義は限りなく大きい。
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山川菊栄を記念して創設された婦人問題研究奨励金の第二九回贈呈式が、二月二七日(土)午後、東京・一ッ橋の日本教育会館で行われました。
第二八回は対象作なしで心配されましたが、第二九回(二〇〇九年度)の対象作には、西倉実季さんの『顔にあざのある女性たち―「問題経験の語り」の社会学』と堀江節子さんの『人間であって人間でなかった―ハンセン病と玉城しげ』の二点が選ばれました。
今回の対象作はいずれもライフストーリー研究の成果を本にまとめられたものでしたが、第一オーサー(固有の経験を語ってくれた人)と第二オーサーである筆者との相互依存が見事に花開いたと言えるものでした。選考委員の一人、有賀夏紀さんが、「歴史をやる人間は、第一オーサーを記録することで終わってしまいがちだが、西倉さんは個人の経験を社会的問題にしている」と高く評価されましたが、それは堀江さんの書き方にも当てはまることでした。
当日は受賞者による記念スピーチも行われました。
西倉実季さんは、研究過程を紹介するなかで、「顔にあざがあることは美醜の問題と想定したことで、語り手との間で齟齬が生じ、行き詰ってしまった。二年おいて、彼女たちが<普通でない顔>に問題経験を抱いているのだと想定を変えたら見えてきた。調査する私も研究対象であることがわかった」と語られました。
堀江節子さんもまた、「最初一人語りで簡単にまとめてしまったが、寝かせているうちに、しげさんの個人史でいいのかと思うようになった。しげさんの、強制堕胎で殺されてしまった娘への思い、平和で差別のない社会にしたいとの思いを書きこまねばならないと思った」と語られました。
堀江さんのスピーチは、隣に玉城しげさんが座って行なわれ、後半はしげさんへの質問の形をとりましたが、まさにライフストーリーが語り手と聞き手の相互依存の賜物であることを彷彿とさせるものでした。
玉城しげさんの話から、本に書かれていないことを二、三紹介します。
◇敬愛園に来て、だまされた思いに悲しくて、園にあった小さな図書室に通い、本を手にした。その中に山川菊栄さんの本もあった。内容は覚えていないが、あの大変な時代に、女の方が男を尻目に女性活動をされたということで、山川菊栄さんの名前だけは覚えている。文学の先生だけれど、普通の方とは違うと思った。
◇裁判が終わるころから、九州全県の学校や公的な場、お寺に誘われるようになった。ほんとうに思いがけないくらいのたくさんの人との出会いによって、世の中のたくさんのことを知った。韓国朝鮮問題とか被差別部落のことを知った。ほんとうに日本もひどいことをしましたね。日本のこの悲しい歴史を子どもたちに教育で教えていかなければとの思いです。
◇私はこの(動かなくなった)手を子どもたちに見せながら、「治療せずに働かせられたからこうなった。厚生省の金鵄勲章だ」と言う。子どもたちは「金鵄勲章ってなんですか」と聞く。「痛くないですか」とも聞いてくれる。子どもはほんとうに純真でかわいい。そんな子どもたちが、あとで手紙やクリスマスカードをくれる。手作りのいろいろな飾りも送ってくれる。嬉しい。
なお、記念会からは「今年の一一月三日は菊栄生誕一二〇年、没後三〇年にあたるので、シンポジウムをやります。それにつながる連続学習会も企画しているので、多くの方に参加してほしい」との案内もありました。
●山川菊栄賞推薦のことば 井上輝子
西倉さんの本は、顔にあざのある女性たちへの、6年以上にわたるインタビューの成果をまとめた作品である、西倉さんは、女性たちが経験してきた苦しみと、それへの対処の経験をていねいに記録し、整理・分析している。
本書の意義は、なによりもまず、顔にあざのある女性たちの内面的経験とその変化を鮮やかに描き出して、彼女たちが直面してきた(している)苦しみや悩みを、読者に伝わる形で提示したことにある。
たとえば、幼少期から受けてきたいじめの経験や、人と出会ったりする会話をするときに、相手から執拗な視線や無遠慮な言葉を投げかけられる経験。顔にあざがあるという事実だけでなく、あざを隠している自分に後ろめたさを感じてしまいがちな心理。恋愛や結婚の困難、就職の難しさ。さらに、あざについて言及することがタブーになるなど、家族の中でさえ起きる様々な対立や葛藤等々。顔にあざがある女性たちが直面してきた、このような困難な経験の歴史を、西倉さんが当事者女性たちへのインタビューをつうじて克明に描写し分析されたことに、私は敬意を表したい。
これを可能にした理由の一つは、経験の聞き手と語り手の相互作用をつうじて、物語が構成されていくという、ライフストーリーという研究方法にあるだろうが、それだけではない。当事者にできるかぎり寄り添おうとする西倉さんの姿勢と熱意が、当事者の女性たちとの信頼関係を生みだした結果であると想像される。本書の随所に、インタビュー調査の過程を反省的に振り返る個所が記されているが、ここには西倉さんが、当事者女性たちの声を最大限聞き取ろうとした努力の跡が窺える。
私が本書を推薦する理由は、これだけではない。西倉さんは、あざのある女性たちの問題経験を軽減するための方法についても言及している。異形を障害の一種と捉えるべきなのか否かについての議論を検討した上で、私たちが顔にあざのある人や傷のある人を見かけたときに、過度の関心でもなく過度の無関心でもない「好意的無関心」で接することを、提言する。異形の人たちが抱える困難が、実は異形の人たちに対する、私たち自身の接し方と連動していることを示唆し、その改善を提起した点も、本書の重要な意義といえる。
最後に指摘したいのは、本書が現在進行中の問題経験を記録した、現在進行中の研究であるということだ。本書に登場する女性たちは、現在進行形で生きている人々であるから、当然ながら数年間のインタビューの間に、それぞれの生活環境の変化に応じて、あざについての考え方や対処法も変化しているし、今後も変化し続けるにちがいない。したがって、インタビューを通じて考えた西倉さんの意見や結論も、2009年という時点での仮の見解であるといえるだろう。西倉さん自身が今後さらに研究を重ねることで、さらなる発見を積み重ねていかれることが期待される。また、美醜尺度の危うさ、ジェンダーと外見の関係、「普通」とはなにか、機能的障害と異形との関係等々、本書から読み取れるいくつかの問題提起については、現在進行中の考えるべき課題として、本書の刊行を機に、オープンな議論が展開されることを期待したい。
●山川菊栄賞推薦のことば 加納実紀代
かつて<聞き書き>は、女性史の柱だった。無名の女性たちの生の軌跡、文献資料だけでは明らかにできないからである。それによって無告のまま忘却の闇に葬られようとしていた女性たちがくっきりと歴史に刻まれることになった。しかしいまや<聞き書き>は<オーラル・ヒストリー>となり、社会的に活躍した政治家や官僚男性をも対象とするようになっている。
そうしたなかで、本書はまさに女性史の原点としての<聞き書き>といえる。著者堀江節子さんは、それまでとくにハンセン病に関心を持っていたわけではない。たまたま話を聞いた玉城しげさんへの人間的共感、堀江さん自身の言葉をつかえば「すぎてしまえばそれまでのものを、『出会い』と感じ、気持ちを通わせたいと願う心」によって、ハンセン病問題に目を開いていったのだ。そこにあるひととひととの魂の共振も女性史の原点である。
それはさらに堀江さんを国家・天皇制・戦争、そして人間とは何かという根本的な問題に導いてゆく。この本は、国のハンセン病政策によって「人間であって、人間でなかった」人生を強いられたしげさんの人間回復の軌跡とともに、著者自身の<問題発見>の過程をも跡付けるものとなっている。そこに本書の大きな意義がある、最後にある「人間はいくつになっても成長できるんだ」は、読者に対する力強い希望のメッセージである。
しかしハンディな体裁と読みやすい文体にも関わらず、本書の内容はずしりと重い。とりわけ「人間であって、人間でなかった」というしげさんの言葉は、人間とは何か、<人間として生きる>とはどういうことなのかを読者に問いかける。「飼い殺し」としげさんがいうように、ただ死なないように生かされているだけでは<人間>とはいえないのだ。
さらにこの本は、自分自身のなかにある差別意識への直視をも迫る。しげさんたちに非人間的生活を強いたらい予防法は廃止され、それに対する国家賠償請求訴訟にも勝利した。しかしそれで、この問題はほんとうに解決したといえるのだろうか。たとえば昨年、世界を震撼させた新型インフルエンザ対策において、日本で実施された「水際作戦」なるものは、かつての無癩県運動とどうちがうのだろうか。自己の領域の<清浄>をたもつために、<不浄>とされたものを排除隔離する、ここにはハンセン病者を強制収容したかつてと同様の発想があるのではないか? それに気付かせてくれた点でも、わたしにとっては本書の意義は限りなく大きい。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/yamakawakikue.htm
第30回(2010年度)山川菊栄賞
●山川菊栄賞贈呈式に代わる上映会報告
3月26日(土)午後、東京ウィメンズプラザで予定されていた山川菊栄賞贈呈式と記念スピーチは、東日本大震災による電力不足で交通事情がよくないこと等から、中止になりました。ただし、『働く女性とマタニティ・ハラスメント』で受賞された杉浦浩美さんは、ドキュメント山川菊栄の思想と活動「姉妹よ、まずかく疑うことを習え」の上映会にお見えになっていたので、記念会のメンバーだけで寂しかったのですが、贈呈しました。なお準備されていた記念スピーチは富士見産婦人科病院被害者同盟の方たちのものも含めて何らかの形で、発表できるようにする予定です。
ドキュメント「山川菊栄の思想と活動『姉妹よ、まずかく疑うことを習え』」は一年をかけてようやく完成したこともあり、「少人数でも見てもらいたい」との山上千恵子監督の希望で開かれました。せいぜい50人かとの予想を越えて100人以上が見に来て下さいました。
見終わった人の感想は、「感動しました」「すごい人だったんだと改めて思いました」「これで若い人に知ってもらえたら」という素直なものが多かったのですが、「山川菊栄の経歴までであとはいらなかった」「今後に活かすことを提案していてよかった」という正反対の感想とともに、「出演者自身が山川菊栄を知らないんじゃない」「菊栄は労働に格別の思い入れがあったはずなのに、そこが描かれていない」といったひじょうに辛辣な感想もありました。
山川菊栄が論評した分野が多岐にわたっており、そのそれぞれに共感をもって今現在活動している人たちが見に来てくださっただけに、その受け止め方もさまざまだったように思われました。
なお、山川菊栄生誕120年を記念して、昨年1年間にわたって取組まれた3回の学習会、およびまとめのシンポジウムなどを収録した冊子が、当資料室から発行されています。
<当資料室会員 中村ひろ子>
<山川菊栄記念会からのお願い>
*上映会を企画して下さい。
ドキュメント「山川菊栄の思想と活動『姉妹よ、まずかく疑うことを習え』」
企画:山川菊栄記念会 上映時間:74分
制作:ワークイン<女たちの歴史プロジェクト>
構成・監督:山上千恵子 撮影・構成・編集:山上博己
貸出料:3万円(100名を越えたら5万円)
*パネル展示を企画して下さい。
山川菊栄の思想と活動をまとめたパネル
A1(縦84センチ横59・4センチ)サイズ 9枚
貸出料:5000円(送料は実費負担)―2週間程度
ドキュメント、パネルのお問い合わせは、山川菊記念会事務局までお願いします。
y.kikue●shounanfujisawa,com(●を@に代えてください)
Tel 090-2165-4038 Fax 0466-26-6135
*生誕120年記念行事をまとめた冊子を購入して下さい。
『山川菊栄の現代的意義 今、女性が働くこととフェミニズム』
・シンポジウム「今、女性が働くこととフェミニズム」(2011.11.3)
・学習会第1回「アジアと日本をつなぐ」(2010.4.23)
・学習会第2回「欧米フェミニズムと菊栄」(2010.6.20)
・学習会第3回「同一価値労働同一賃金について」(2010.7.31)
・シンポジウム「21世紀フェミニズムへ」(2000.11.18)
・山川菊栄記念会メンバーのエッセイ
・展示パネルの紹介(菊栄の年譜を含む)
頒価:1500円 +送料:290円
発行:労働者運動資料室 T&F03-5226-8822
●2010年度山川菊栄賞推薦の言葉
浅倉むつ子
杉浦浩美さんの『働く女性とマタニティ・ハラスメント』は、女性の「妊娠期の働き方」に焦点をあてて、「労働する身体」の意味を問い直そうとする、とても刺激的で意欲的な本である。背景にあるのは、出産を機に7割程度の女性が仕事を辞めているという事実である。ある時期以降、日本でも平等化戦略が進み、女性たちは新たな身体性(「労働に適した身体」)を獲得したはずなのに、なぜこのようなことが起こるのか。この疑問を明らかにするために、杉浦さんは、妊娠しながら働き続ける女性たちにアンケートやインタビューを行い、丁寧な理論的分析を加えて、「女性がごくふつうに働くこと」の困難性というところに、根本的な問題を見いだしている。
妊娠期に経験する葛藤や困難を社会的な問題とするための装置として、杉浦さんは、「マタニティ・ハラスメント」という概念を提示する。その経験の中から浮き彫りになるのは、女性は「労働する身体」と「産む身体」の矛盾の中で生きている、ということであり、そこから得られる知見は、以下のように、非常に新鮮なものがある。
「労働する身体」(すなわち「男性並の有能さ」)によって敬意やメンバーシップを獲得した総合職女性も、「まぎれもない女の身体」をさらけ出す、妊娠というプロセスを経験する。それゆえ、フェミニズムの側からは、「平等幻想」を内面化した存在として批判されがちな総合職女性も、決して「勝ち組」ではなく、働く女性すべてが共有する困難さを経験している。他方、これまで「女性が働くこと」の解釈には、「優秀」か「家計が苦しい」かの二つしかなかったことに照らせば、「一般職」女性の「ごく普通に働きたい」という気負いのない両立願望こそ、新しい女性の労働観の芽生えであろう。なぜなら、女性が働くことは特別なことではない、その女性が妊娠すればこういうことも起きる、という主張は、「労働する身体」が、「男性の身体」を前提とした「ケアレス・マン」モデルにすぎないことを告発するからである。女性労働者の「身体性の主張」は、「ケアレス・マン」モデルの強制への異議申立てである。
そして、「妊娠する身体」を通じて、男性とは異なる「労働する身体」を改めて問い直す女性の試みは、「身体性の困難」を経験している障がいのある人、病気の人などに共通の問題を想起させる。すなわち女性労働者の妊娠期を問うことは、労働領域の「多様な身体」の可能性を問うことなのである。
●杉浦浩美氏略歴
1961年 東京生まれ
早稲田大学第一文学部卒業後、株式会社徳間書店に入社。編集者として16年間勤務した後、立教大学大学院社会学研究科に進学。2008年、同博士後期課程修了。博士(社会学)。
現在は、立教大学、法政大学、東京家政大学ほか兼任講師。立教大学社会福祉研究所研究員。
関心領域は、労働とジェンダー、家族社会学。
主な研究業績
「総合職・専門職型労働における妊娠期という問題-聞き取り調査の事例をもとにして-」『女性学』2004年
「母性保護要求をめぐるジレンマ」『家族研究年報』2004年
「差異化される女性労働者-出産退職をめぐる考察」『年報社会学論集』2006年
「「働く妊婦」をめぐる問題」『女性労働研究』2007年
『女性白書2010 女性の貧困』(共著)ほるぷ出版 2010年
『差別と排除の[いま]6 セクシュアリティの多様性と排除』(共著)明石書店 2010年
●2010年度山川菊栄賞特別賞推薦の言葉
丹羽雅代
山川菊栄記念婦人問題活動奨励賞・特別賞
「富士見産婦人科病院事件―私たちの30年のたたかい―」
富士見産婦人科病院被害者同盟・原告団編(出版一葉社)
正直に言うならば、740ページにも上るこの本を手にしたとき、そこに込められた思いを、私はちゃんと読み取れるだろうかと不安でした。何しろ重たいのです。いつも持って歩くリュックに詰め込んで、電車の中でつり革につかまりながら開くなどということができる代物では絶対にありません。寝転んで読むのも大変です。ちゃんとイスに座って机に向かってしっかり向き合うことを、本が要求するのです。
この事件がどんな内容で争われたのか、原告だった方々とほぼ同世代の私は、外形は知っているつもりでした。彼女たちの頑張りや、多くの協力者の良心がどのような判決を手に入れたかも知っていました。出し続けられた通信も、時々は手にしていましたし、報告集会に出たことも何度かあります。でも本当のところは分かってはいなかったんだなあ、2日がかりで読み通したときに湧きあがった気持ちでした。
事件が起きたのは今から30年前、若い世代が多く居を構え、子育てをし、地域を作っていく東京近郊の街の、おしゃれな外見の最新機器による診療が売り物の病院が舞台でした。1000人を越える女性たちが医師資格も持たない理事長による診断で、高額な費用を払って、健康な生殖器を摘出されたという被害報道は、大変な衝撃を特に女性たちに与えました。なぜそんなとんでもないことがやすやすと起きてしまったのか、加害者たちはなぜ刑事責任を問われることはなかったのか、医療関係者を告発することがなぜそんなに困難なのか、なぜ原告団は民事裁判で勝てたのか、大変困難といわれる医師免許剥奪までを実現できたのか…沢山の疑問符に対し、本書は丹念に集められた資料を示しながら明かしていきます。
それは日本全国にとどまらず地球規模の動きを要求し、しかも30年という驚くほどの歳月が必要で、多額のお金も要ったことでしょうし、多くの有名無名の人々や団体の利害を超えた協力無くしてはできなかったことでもありました。
この本は、一つの事件の発端から終結までの活動の記録にはとどまらず、女性たちが自分の心身を取り戻し、私を生きるために必要なことをしっかり手に入れていくためにどんな困難を乗り越えなければならなかったのかをわかりやすく整然と示しています。
被害者同盟の方々が、しっかりと積み上げて女性たちの手に届けてきてくれたもののすそ野、影響はとてつもなく広いものとなっています。しかしその価値をしっかり見定めて上に重ねていく次の一歩がなくなったとたんに、あっけなく消えていくこともありそうです。この本を手にすることで、おくすることなく担い手にならなくてはという気持ちが、次世代の女性たちに湧くであろうことを感じます。
歴史は動かそうとする人々の意志があって、その輪が広がることによって、確実に動くのだということを改めて確信させてくれるずっしり重い一冊です。
●2010年度山川菊栄賞特別賞受賞者
富士見産婦人科病院被害者同盟
富士見産婦人科病院被害者同盟原告団
略歴
1980年9月 富士見産婦人科病院事件が発覚。保健所に訴え出た患者
数は1138名に達した。
同月 富士見産婦人科病院被害者同盟結成。真相究明、責任追及・
再発防止を訴えて活動開始。
同月 理事長・院長・勤務医を傷害罪で刑事告訴
1981年5月 原告団を結成し民事提訴。被告は、病院・理事長・院長・勤務
医、そして国・埼玉県。
1982年5月 『乱診乱療』(晩聲社)発行
同年10月 サンフランシスコ国際産婦人科学会で被害者同盟医師団が報告
1983年8月 傷害罪告訴が全て不起訴処分になる。
1984年2月 「薬害・医療被害をなくすための厚生省交渉実行委員会」発足、参加
同月 「女のからだと医療を考える会」発足、参加
1986年4月 『所沢発なんじゃかんじゃ通信』の発行開始
1999年6月 民事裁判第一審判決(東京地裁)。「およそ医療とは言えない、
犯罪的行為」と認定。富士見病院側に全面勝訴も、国・埼
玉県には敗訴
2004年7月 勤務医らの上告が棄却となり勝訴判決が確定
2005年3月 厚労省が元院長に医師免許取消処分。勤務医たちも医業停止
等の処分に。
2010年6月 『富士見産婦人科病院事件 私たちの30年のたたかい』(一
葉社)発行
山川菊栄賞のページへ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/yamakawakikue.htm
3月26日(土)午後、東京ウィメンズプラザで予定されていた山川菊栄賞贈呈式と記念スピーチは、東日本大震災による電力不足で交通事情がよくないこと等から、中止になりました。ただし、『働く女性とマタニティ・ハラスメント』で受賞された杉浦浩美さんは、ドキュメント山川菊栄の思想と活動「姉妹よ、まずかく疑うことを習え」の上映会にお見えになっていたので、記念会のメンバーだけで寂しかったのですが、贈呈しました。なお準備されていた記念スピーチは富士見産婦人科病院被害者同盟の方たちのものも含めて何らかの形で、発表できるようにする予定です。
ドキュメント「山川菊栄の思想と活動『姉妹よ、まずかく疑うことを習え』」は一年をかけてようやく完成したこともあり、「少人数でも見てもらいたい」との山上千恵子監督の希望で開かれました。せいぜい50人かとの予想を越えて100人以上が見に来て下さいました。
見終わった人の感想は、「感動しました」「すごい人だったんだと改めて思いました」「これで若い人に知ってもらえたら」という素直なものが多かったのですが、「山川菊栄の経歴までであとはいらなかった」「今後に活かすことを提案していてよかった」という正反対の感想とともに、「出演者自身が山川菊栄を知らないんじゃない」「菊栄は労働に格別の思い入れがあったはずなのに、そこが描かれていない」といったひじょうに辛辣な感想もありました。
山川菊栄が論評した分野が多岐にわたっており、そのそれぞれに共感をもって今現在活動している人たちが見に来てくださっただけに、その受け止め方もさまざまだったように思われました。
なお、山川菊栄生誕120年を記念して、昨年1年間にわたって取組まれた3回の学習会、およびまとめのシンポジウムなどを収録した冊子が、当資料室から発行されています。
<当資料室会員 中村ひろ子>
<山川菊栄記念会からのお願い>
*上映会を企画して下さい。
ドキュメント「山川菊栄の思想と活動『姉妹よ、まずかく疑うことを習え』」
企画:山川菊栄記念会 上映時間:74分
制作:ワークイン<女たちの歴史プロジェクト>
構成・監督:山上千恵子 撮影・構成・編集:山上博己
貸出料:3万円(100名を越えたら5万円)
*パネル展示を企画して下さい。
山川菊栄の思想と活動をまとめたパネル
A1(縦84センチ横59・4センチ)サイズ 9枚
貸出料:5000円(送料は実費負担)―2週間程度
ドキュメント、パネルのお問い合わせは、山川菊記念会事務局までお願いします。
y.kikue●shounanfujisawa,com(●を@に代えてください)
Tel 090-2165-4038 Fax 0466-26-6135
*生誕120年記念行事をまとめた冊子を購入して下さい。
『山川菊栄の現代的意義 今、女性が働くこととフェミニズム』
・シンポジウム「今、女性が働くこととフェミニズム」(2011.11.3)
・学習会第1回「アジアと日本をつなぐ」(2010.4.23)
・学習会第2回「欧米フェミニズムと菊栄」(2010.6.20)
・学習会第3回「同一価値労働同一賃金について」(2010.7.31)
・シンポジウム「21世紀フェミニズムへ」(2000.11.18)
・山川菊栄記念会メンバーのエッセイ
・展示パネルの紹介(菊栄の年譜を含む)
頒価:1500円 +送料:290円
発行:労働者運動資料室 T&F03-5226-8822
●2010年度山川菊栄賞推薦の言葉
浅倉むつ子
杉浦浩美さんの『働く女性とマタニティ・ハラスメント』は、女性の「妊娠期の働き方」に焦点をあてて、「労働する身体」の意味を問い直そうとする、とても刺激的で意欲的な本である。背景にあるのは、出産を機に7割程度の女性が仕事を辞めているという事実である。ある時期以降、日本でも平等化戦略が進み、女性たちは新たな身体性(「労働に適した身体」)を獲得したはずなのに、なぜこのようなことが起こるのか。この疑問を明らかにするために、杉浦さんは、妊娠しながら働き続ける女性たちにアンケートやインタビューを行い、丁寧な理論的分析を加えて、「女性がごくふつうに働くこと」の困難性というところに、根本的な問題を見いだしている。
妊娠期に経験する葛藤や困難を社会的な問題とするための装置として、杉浦さんは、「マタニティ・ハラスメント」という概念を提示する。その経験の中から浮き彫りになるのは、女性は「労働する身体」と「産む身体」の矛盾の中で生きている、ということであり、そこから得られる知見は、以下のように、非常に新鮮なものがある。
「労働する身体」(すなわち「男性並の有能さ」)によって敬意やメンバーシップを獲得した総合職女性も、「まぎれもない女の身体」をさらけ出す、妊娠というプロセスを経験する。それゆえ、フェミニズムの側からは、「平等幻想」を内面化した存在として批判されがちな総合職女性も、決して「勝ち組」ではなく、働く女性すべてが共有する困難さを経験している。他方、これまで「女性が働くこと」の解釈には、「優秀」か「家計が苦しい」かの二つしかなかったことに照らせば、「一般職」女性の「ごく普通に働きたい」という気負いのない両立願望こそ、新しい女性の労働観の芽生えであろう。なぜなら、女性が働くことは特別なことではない、その女性が妊娠すればこういうことも起きる、という主張は、「労働する身体」が、「男性の身体」を前提とした「ケアレス・マン」モデルにすぎないことを告発するからである。女性労働者の「身体性の主張」は、「ケアレス・マン」モデルの強制への異議申立てである。
そして、「妊娠する身体」を通じて、男性とは異なる「労働する身体」を改めて問い直す女性の試みは、「身体性の困難」を経験している障がいのある人、病気の人などに共通の問題を想起させる。すなわち女性労働者の妊娠期を問うことは、労働領域の「多様な身体」の可能性を問うことなのである。
●杉浦浩美氏略歴
1961年 東京生まれ
早稲田大学第一文学部卒業後、株式会社徳間書店に入社。編集者として16年間勤務した後、立教大学大学院社会学研究科に進学。2008年、同博士後期課程修了。博士(社会学)。
現在は、立教大学、法政大学、東京家政大学ほか兼任講師。立教大学社会福祉研究所研究員。
関心領域は、労働とジェンダー、家族社会学。
主な研究業績
「総合職・専門職型労働における妊娠期という問題-聞き取り調査の事例をもとにして-」『女性学』2004年
「母性保護要求をめぐるジレンマ」『家族研究年報』2004年
「差異化される女性労働者-出産退職をめぐる考察」『年報社会学論集』2006年
「「働く妊婦」をめぐる問題」『女性労働研究』2007年
『女性白書2010 女性の貧困』(共著)ほるぷ出版 2010年
『差別と排除の[いま]6 セクシュアリティの多様性と排除』(共著)明石書店 2010年
●2010年度山川菊栄賞特別賞推薦の言葉
丹羽雅代
山川菊栄記念婦人問題活動奨励賞・特別賞
「富士見産婦人科病院事件―私たちの30年のたたかい―」
富士見産婦人科病院被害者同盟・原告団編(出版一葉社)
正直に言うならば、740ページにも上るこの本を手にしたとき、そこに込められた思いを、私はちゃんと読み取れるだろうかと不安でした。何しろ重たいのです。いつも持って歩くリュックに詰め込んで、電車の中でつり革につかまりながら開くなどということができる代物では絶対にありません。寝転んで読むのも大変です。ちゃんとイスに座って机に向かってしっかり向き合うことを、本が要求するのです。
この事件がどんな内容で争われたのか、原告だった方々とほぼ同世代の私は、外形は知っているつもりでした。彼女たちの頑張りや、多くの協力者の良心がどのような判決を手に入れたかも知っていました。出し続けられた通信も、時々は手にしていましたし、報告集会に出たことも何度かあります。でも本当のところは分かってはいなかったんだなあ、2日がかりで読み通したときに湧きあがった気持ちでした。
事件が起きたのは今から30年前、若い世代が多く居を構え、子育てをし、地域を作っていく東京近郊の街の、おしゃれな外見の最新機器による診療が売り物の病院が舞台でした。1000人を越える女性たちが医師資格も持たない理事長による診断で、高額な費用を払って、健康な生殖器を摘出されたという被害報道は、大変な衝撃を特に女性たちに与えました。なぜそんなとんでもないことがやすやすと起きてしまったのか、加害者たちはなぜ刑事責任を問われることはなかったのか、医療関係者を告発することがなぜそんなに困難なのか、なぜ原告団は民事裁判で勝てたのか、大変困難といわれる医師免許剥奪までを実現できたのか…沢山の疑問符に対し、本書は丹念に集められた資料を示しながら明かしていきます。
それは日本全国にとどまらず地球規模の動きを要求し、しかも30年という驚くほどの歳月が必要で、多額のお金も要ったことでしょうし、多くの有名無名の人々や団体の利害を超えた協力無くしてはできなかったことでもありました。
この本は、一つの事件の発端から終結までの活動の記録にはとどまらず、女性たちが自分の心身を取り戻し、私を生きるために必要なことをしっかり手に入れていくためにどんな困難を乗り越えなければならなかったのかをわかりやすく整然と示しています。
被害者同盟の方々が、しっかりと積み上げて女性たちの手に届けてきてくれたもののすそ野、影響はとてつもなく広いものとなっています。しかしその価値をしっかり見定めて上に重ねていく次の一歩がなくなったとたんに、あっけなく消えていくこともありそうです。この本を手にすることで、おくすることなく担い手にならなくてはという気持ちが、次世代の女性たちに湧くであろうことを感じます。
歴史は動かそうとする人々の意志があって、その輪が広がることによって、確実に動くのだということを改めて確信させてくれるずっしり重い一冊です。
●2010年度山川菊栄賞特別賞受賞者
富士見産婦人科病院被害者同盟
富士見産婦人科病院被害者同盟原告団
略歴
1980年9月 富士見産婦人科病院事件が発覚。保健所に訴え出た患者
数は1138名に達した。
同月 富士見産婦人科病院被害者同盟結成。真相究明、責任追及・
再発防止を訴えて活動開始。
同月 理事長・院長・勤務医を傷害罪で刑事告訴
1981年5月 原告団を結成し民事提訴。被告は、病院・理事長・院長・勤務
医、そして国・埼玉県。
1982年5月 『乱診乱療』(晩聲社)発行
同年10月 サンフランシスコ国際産婦人科学会で被害者同盟医師団が報告
1983年8月 傷害罪告訴が全て不起訴処分になる。
1984年2月 「薬害・医療被害をなくすための厚生省交渉実行委員会」発足、参加
同月 「女のからだと医療を考える会」発足、参加
1986年4月 『所沢発なんじゃかんじゃ通信』の発行開始
1999年6月 民事裁判第一審判決(東京地裁)。「およそ医療とは言えない、
犯罪的行為」と認定。富士見病院側に全面勝訴も、国・埼
玉県には敗訴
2004年7月 勤務医らの上告が棄却となり勝訴判決が確定
2005年3月 厚労省が元院長に医師免許取消処分。勤務医たちも医業停止
等の処分に。
2010年6月 『富士見産婦人科病院事件 私たちの30年のたたかい』(一
葉社)発行
山川菊栄賞のページへ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/yamakawakikue.htm
第24回山川菊栄賞
●第二十四回山川菊栄賞贈呈式報告
第二四回(2004年度)山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の対象が「性暴力の視点から見た日中戦争の歴史的性格」研究会と決定し、去る一月二三日(日)午後、文京シビックセンターで贈呈式が行われました。
式に先立ち、高齢の菅谷直子選考委員代表に代わり、重藤都さんから、会の趣旨、山川菊栄さんの人柄についての紹介がありました。それは「上から下へ、賞をやるといった態度を非常に嫌がる人だった。この賞はあくまでも将来に期待される人にたいして、これからの研究に役立てて欲しくてさしあげるのだ」という菅谷さんの例年の挨拶を引いての紹介でした。
贈呈式は、井上輝子選考委員長の、応募作品一九点の概要についての説明から始まりました。第一次選考で四点に絞られ、その上で、先の研究会の作品『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』が選ばれたのです。
直接の推薦の言葉は、加納実紀代さんから、熱くあつく語られました。「女性史成立以来、『女性史とは何か』がつねに問われてきましたが、この本こそはその答えです」。そして、「自分自身も聞き書きでの女性史をつづってきた。男性史の補完であってはならないとの思いがある。文献資料が絶対視されてきたが、ヒストリーは男の歴史であって、ハーストリーは残されていないものなんだ。確かに聞き書きでは、子どもが○歳の頃と、年も定かでなく、周辺数メートルの出来事しか語れないものだが、その積み重ね、つながりで歴史が浮かび上がるものである。この本は、第一部聞き書き、第二部背景についての論文集を載せることで、歴史書になっていると言える」とまさに絶賛とも言うべき推薦の言葉でした。
また「日本軍の手から逃げられるものとは思わないが」と前置きしつつ、「纏足が女性の自由を奪っていた事実」に、彼女達の生活空間が見えるとも語られました。そして、駒野陽子さんから、研究会代表の石田米子さん(岡山大学名誉教授、歴史学)に贈呈されました。
式後の受賞記念講演は、石田さんによる、出席された執筆メンバーの紹介から始まりました。
そして、本のもう一人の編者内田知行大東文化大学教授から、研究会は「中国における日本軍の性暴力の実態を明らかにし、賠償請求裁判を支援する会(略称:山西省を明らかにする会)」が活動を続ける中で発足したもので、いわば二人三脚での歩みだったと、その性格説明がありました。また、内田さん自身は、中国現代史が専門だが、この研究会に関わることで、文献資料に立脚して歴史を語ることの危うさを知ったと語られました。被害女性たちの話を聞き、それを裏付ける資料を探したが、そうした資料はなかった。つまり、記録というのはその当時の人々の問題意識の反映だということに思い至ったというのです。それから、文献資料では、日々食べているもの、生活がわからないとも言われた。内田さんは、黄土の村々に行く前は、とうもろこしの饅頭(マントウ)を食べているのではないかと想像していたが、現地に行ってみると、からす麦の素うどんが昼食だったように、記録されていないものがあることがよくわかったそうです。
石田さんは「山西省性暴力被害女性の尊厳回復への道と私たち」というテーマで話されました。
「本の主人公は、他の地域の被害者と同様に50年の沈黙を破って発言し始めた大娘たちです」という言葉から始められ、「10年を経た今日、本来ならもう解決のときのはずですが、かき消されそうになっている」と続けられたのでした。「私たちの責任なんですよ」という石田さんの気持ちが伝わってきて、ずしりと応えました。
執筆者は14人ですが、現地調査には計50人近い人が行っており、通訳をしてくれたり、テープを起こしてくれた人も10数人に上るということでした。女性が多いけれど、男性もおり、若い人から高齢者までいる、こうした多様な人が関わったのはなぜか。なによりも被害女性が、様々な条件下で、カミングアウトし、訴えることで生きようとしている、その存在に圧倒されたからだと言います。
最初の出会いは、92年に被害を訴えて来日した万愛花さんの話に圧倒された石田さん達が、もっと詳しく聞きたいと黄土高原の東端を96年10月に訪れたときからだそうです。当時は日本人が農村に入ること自体が難しく、中国人の協力者もなかったと言います。(山西省孟県の農村へは、関空から、北京か上海を経由して太原市に飛び、そこからマイクロバスにゆられて早くて3時間かかる)年2回2年の現地調査を繰り返すうちに、98年10月東京地裁に提訴することになり、裁判を支援する会を作り、さらに実態解明をする研究会を発足させたのだそうです。
この裁判に関わる中では、被害者個人の問題に即してやる、個別性にこだわる、そのためにはとにかく「向き合って話を聞こう」という姿勢を通したと言います。被害者は、存在そのものが恥という認識の中で生きてきており、当時を知る村人たちも同情はしつつもそのことには触れないので、夫にも話せないまま死んだ、娘が子どもを産むときようやく話したなど、沈黙を強いられてきたわけです。「苦しみは被害であって責任はない」という認識に立つまでには相当な期間と対話が必要だったようです。今、原告10人を支えているが、その10人が互いに知らないまま生活してきて、近くにカミングアウトした人が出ると、次第に勇気付けられて増えてきた経緯も話されました。弁護士の言葉として「人生被害」という表現を紹介されましたが、50年前の被害、過酷な経験が、その後の彼女達の一生を支配したという意味で、非常に的確な表現ではないかと思われました。石田さんの「歴史の問題であると同時に今何をなすべきかが問われている」という締めくくりは、石田さんの最初の問いかけに戻るものでした。
その後、執筆者の一人の池田恵理子さんがつくられた、同趣旨の記録ビデオを見ました。さらには参加者の一言を聞くコーナーがありましたが、鈴木裕子さんが「加害国の一員として、女性の一人として、何も成果が出ていないことに忸怩たるものがある。申し訳ない」と言われたのが、石田さんの話とも重なり、重く受け取りました。 以上
●受賞者、作品紹介
贈呈対象者「性暴力の視点から見た日中戦争の歴史的性格」研究会・代表石田米子
対象作品『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』創土社
日本軍による性暴力被害者の裁判を支援する市民グループ「中国における日本軍性暴力の実態を明らかにし賠償請求裁判を支援する会」(略称「山西省・明らかにする会」)が、1996年以来重ねてきた現地聞き取り調査をより広い観点から深めるために、専門研究者の協力を得てつくった研究会。1999年に発足。定期的な研究会活動を積み重ね、その成果として『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』を分担執筆により作成、出版した。
研究会を構成するメンバーは、大学に籍を置く専門研究者も含めてそれぞれ本業はさまざまであり、性別・年齢・居住地も幅広い。重層する視点から性暴力の実態と構造を明らかにし、日中戦争の見方に新たな問題提起をしえたとすれば、それはこのような会の構成と協力に由来する。
なお、この研究会は、財団法人日中友好会館日中平和友好交流計画歴史研究支援事業から3年度にわたる研究助成と出版助成を受けた。
●推薦の言葉 加納実紀代
ああ、やっと…。『黄土の村の性暴力』を読み終わったとき、私は感動をもってそう思いました。女性史成立以来、「女性史とは何か」がつねに問われてきましたが、この本こそはその答えです。女性史は男性史の補完ではない、女性の痛覚に根ざし、歴史学の知のシステムそのものを問い直すものだ―とはいうものの、それを具体化するのは非常に難しい。しかしこの本の著者たちは、日本軍による性暴力被害中国女性の痛覚に向き合い、よりそい、その声に真摯に耳を傾けるなかから、これまでとはまったく違う日中戦争史を描き出しました。それは日本側の歴史学はもちろん、中国側の輝かしい抗日戦争正史の欠落をも明らかにするものです。
この本は、中国山西省の黄土の村を襲った日本軍の性暴力について、被害女性や周辺の人びとの証言を集めた第1部と、その背景についての論文集からなっています。それのよってこの問題を、主観と客観、個別と全体を総合する重層的・構造的なものとして明らかにしていますが、とりわけ興味深いのは、被害は日本軍占領当時に限られるものではなく、のちのちまでも個々の被害女性はもちろんその家族や地域社会全体にまで根深い影響を及ぼすものであることを明らかにしたことです。これはこれまでのいわゆる「従軍慰安婦」研究にはないあらたな視点です。
そのために著者たちは交通不便な黄土の村に18回も足を運び、被害女性との交流を深める中で「出口気」(長い間の胸の中のわだかまりを吐き出す)を促しますが、その過程で著者たち自身も研究者としてのみずからを問い直し、既成の歴史学のの限界を突破していきます。その意味でこの本は、現時点における女性史の到達点であると同時に、歴史学総体に対する鋭い問題提起の書といえるでしょう。あらためて著者たちの労苦に感謝するとともに、男性研究者にも広く読まれることを願ってやみません。
山川菊栄賞へ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/yamakawakikue.htm
第二四回(2004年度)山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の対象が「性暴力の視点から見た日中戦争の歴史的性格」研究会と決定し、去る一月二三日(日)午後、文京シビックセンターで贈呈式が行われました。
式に先立ち、高齢の菅谷直子選考委員代表に代わり、重藤都さんから、会の趣旨、山川菊栄さんの人柄についての紹介がありました。それは「上から下へ、賞をやるといった態度を非常に嫌がる人だった。この賞はあくまでも将来に期待される人にたいして、これからの研究に役立てて欲しくてさしあげるのだ」という菅谷さんの例年の挨拶を引いての紹介でした。
贈呈式は、井上輝子選考委員長の、応募作品一九点の概要についての説明から始まりました。第一次選考で四点に絞られ、その上で、先の研究会の作品『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』が選ばれたのです。
直接の推薦の言葉は、加納実紀代さんから、熱くあつく語られました。「女性史成立以来、『女性史とは何か』がつねに問われてきましたが、この本こそはその答えです」。そして、「自分自身も聞き書きでの女性史をつづってきた。男性史の補完であってはならないとの思いがある。文献資料が絶対視されてきたが、ヒストリーは男の歴史であって、ハーストリーは残されていないものなんだ。確かに聞き書きでは、子どもが○歳の頃と、年も定かでなく、周辺数メートルの出来事しか語れないものだが、その積み重ね、つながりで歴史が浮かび上がるものである。この本は、第一部聞き書き、第二部背景についての論文集を載せることで、歴史書になっていると言える」とまさに絶賛とも言うべき推薦の言葉でした。
また「日本軍の手から逃げられるものとは思わないが」と前置きしつつ、「纏足が女性の自由を奪っていた事実」に、彼女達の生活空間が見えるとも語られました。そして、駒野陽子さんから、研究会代表の石田米子さん(岡山大学名誉教授、歴史学)に贈呈されました。
式後の受賞記念講演は、石田さんによる、出席された執筆メンバーの紹介から始まりました。
そして、本のもう一人の編者内田知行大東文化大学教授から、研究会は「中国における日本軍の性暴力の実態を明らかにし、賠償請求裁判を支援する会(略称:山西省を明らかにする会)」が活動を続ける中で発足したもので、いわば二人三脚での歩みだったと、その性格説明がありました。また、内田さん自身は、中国現代史が専門だが、この研究会に関わることで、文献資料に立脚して歴史を語ることの危うさを知ったと語られました。被害女性たちの話を聞き、それを裏付ける資料を探したが、そうした資料はなかった。つまり、記録というのはその当時の人々の問題意識の反映だということに思い至ったというのです。それから、文献資料では、日々食べているもの、生活がわからないとも言われた。内田さんは、黄土の村々に行く前は、とうもろこしの饅頭(マントウ)を食べているのではないかと想像していたが、現地に行ってみると、からす麦の素うどんが昼食だったように、記録されていないものがあることがよくわかったそうです。
石田さんは「山西省性暴力被害女性の尊厳回復への道と私たち」というテーマで話されました。
「本の主人公は、他の地域の被害者と同様に50年の沈黙を破って発言し始めた大娘たちです」という言葉から始められ、「10年を経た今日、本来ならもう解決のときのはずですが、かき消されそうになっている」と続けられたのでした。「私たちの責任なんですよ」という石田さんの気持ちが伝わってきて、ずしりと応えました。
執筆者は14人ですが、現地調査には計50人近い人が行っており、通訳をしてくれたり、テープを起こしてくれた人も10数人に上るということでした。女性が多いけれど、男性もおり、若い人から高齢者までいる、こうした多様な人が関わったのはなぜか。なによりも被害女性が、様々な条件下で、カミングアウトし、訴えることで生きようとしている、その存在に圧倒されたからだと言います。
最初の出会いは、92年に被害を訴えて来日した万愛花さんの話に圧倒された石田さん達が、もっと詳しく聞きたいと黄土高原の東端を96年10月に訪れたときからだそうです。当時は日本人が農村に入ること自体が難しく、中国人の協力者もなかったと言います。(山西省孟県の農村へは、関空から、北京か上海を経由して太原市に飛び、そこからマイクロバスにゆられて早くて3時間かかる)年2回2年の現地調査を繰り返すうちに、98年10月東京地裁に提訴することになり、裁判を支援する会を作り、さらに実態解明をする研究会を発足させたのだそうです。
この裁判に関わる中では、被害者個人の問題に即してやる、個別性にこだわる、そのためにはとにかく「向き合って話を聞こう」という姿勢を通したと言います。被害者は、存在そのものが恥という認識の中で生きてきており、当時を知る村人たちも同情はしつつもそのことには触れないので、夫にも話せないまま死んだ、娘が子どもを産むときようやく話したなど、沈黙を強いられてきたわけです。「苦しみは被害であって責任はない」という認識に立つまでには相当な期間と対話が必要だったようです。今、原告10人を支えているが、その10人が互いに知らないまま生活してきて、近くにカミングアウトした人が出ると、次第に勇気付けられて増えてきた経緯も話されました。弁護士の言葉として「人生被害」という表現を紹介されましたが、50年前の被害、過酷な経験が、その後の彼女達の一生を支配したという意味で、非常に的確な表現ではないかと思われました。石田さんの「歴史の問題であると同時に今何をなすべきかが問われている」という締めくくりは、石田さんの最初の問いかけに戻るものでした。
その後、執筆者の一人の池田恵理子さんがつくられた、同趣旨の記録ビデオを見ました。さらには参加者の一言を聞くコーナーがありましたが、鈴木裕子さんが「加害国の一員として、女性の一人として、何も成果が出ていないことに忸怩たるものがある。申し訳ない」と言われたのが、石田さんの話とも重なり、重く受け取りました。 以上
●受賞者、作品紹介
贈呈対象者「性暴力の視点から見た日中戦争の歴史的性格」研究会・代表石田米子
対象作品『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』創土社
日本軍による性暴力被害者の裁判を支援する市民グループ「中国における日本軍性暴力の実態を明らかにし賠償請求裁判を支援する会」(略称「山西省・明らかにする会」)が、1996年以来重ねてきた現地聞き取り調査をより広い観点から深めるために、専門研究者の協力を得てつくった研究会。1999年に発足。定期的な研究会活動を積み重ね、その成果として『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』を分担執筆により作成、出版した。
研究会を構成するメンバーは、大学に籍を置く専門研究者も含めてそれぞれ本業はさまざまであり、性別・年齢・居住地も幅広い。重層する視点から性暴力の実態と構造を明らかにし、日中戦争の見方に新たな問題提起をしえたとすれば、それはこのような会の構成と協力に由来する。
なお、この研究会は、財団法人日中友好会館日中平和友好交流計画歴史研究支援事業から3年度にわたる研究助成と出版助成を受けた。
●推薦の言葉 加納実紀代
ああ、やっと…。『黄土の村の性暴力』を読み終わったとき、私は感動をもってそう思いました。女性史成立以来、「女性史とは何か」がつねに問われてきましたが、この本こそはその答えです。女性史は男性史の補完ではない、女性の痛覚に根ざし、歴史学の知のシステムそのものを問い直すものだ―とはいうものの、それを具体化するのは非常に難しい。しかしこの本の著者たちは、日本軍による性暴力被害中国女性の痛覚に向き合い、よりそい、その声に真摯に耳を傾けるなかから、これまでとはまったく違う日中戦争史を描き出しました。それは日本側の歴史学はもちろん、中国側の輝かしい抗日戦争正史の欠落をも明らかにするものです。
この本は、中国山西省の黄土の村を襲った日本軍の性暴力について、被害女性や周辺の人びとの証言を集めた第1部と、その背景についての論文集からなっています。それのよってこの問題を、主観と客観、個別と全体を総合する重層的・構造的なものとして明らかにしていますが、とりわけ興味深いのは、被害は日本軍占領当時に限られるものではなく、のちのちまでも個々の被害女性はもちろんその家族や地域社会全体にまで根深い影響を及ぼすものであることを明らかにしたことです。これはこれまでのいわゆる「従軍慰安婦」研究にはないあらたな視点です。
そのために著者たちは交通不便な黄土の村に18回も足を運び、被害女性との交流を深める中で「出口気」(長い間の胸の中のわだかまりを吐き出す)を促しますが、その過程で著者たち自身も研究者としてのみずからを問い直し、既成の歴史学のの限界を突破していきます。その意味でこの本は、現時点における女性史の到達点であると同時に、歴史学総体に対する鋭い問題提起の書といえるでしょう。あらためて著者たちの労苦に感謝するとともに、男性研究者にも広く読まれることを願ってやみません。
山川菊栄賞へ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/yamakawakikue.htm
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