四谷信子『あるオンナ党員の半生』
三十年以上にわたって新宿区議、東京都議を務めた著者の自伝。
目次
はじめに
一、生まれたところ
二、日本社会党結成大会まで
三、社会党が平和憲法作成にどのようにかかわったか
四、国会での憲法の審議
五、日本社会党へ入党、そして本部書記に
六、書記局の状況
七、党本部でのわたし
八、片山内閣の成立
九、片山内閣の崩壊
一〇、芦田内閣の成立と崩壊
一一、婦人の日大会
一二、森戸・稲村論争と労働者の入党
一三、講和条約をめぐる問題
一四、左右分裂
一五、左派社会党第九回大会
一六、分裂後の婦人部
一七、結核で入院
一八、血のメーデー事件
一九、左右統一
二〇、新宿区議になる
二一、砂川闘争、現地でのたたかい
二二、六〇年安保闘争
二三、浅沼委員長のこと
二四、思い出の人々
二五、都議選初当選
二六、都議会初の解散選挙
二七、都議会第一党になってからの社会党と二度の失敗
二八、革新都政の実現
あとがきに代えて--四谷と青砥が語り合う
はじめに
この生い立ちの稿を書く気持はありませんでした。
第二次世界大戦が終わってまもなく日本社会党に入党し、六〇年安保闘争の頃までの時期、党内的にはいろいろな問題を抱えつつも社会主義社会を目指して懸命にたたかった時代に、一党員として何を思い、何を考え、どう行動したかの半生を書き残すのは党員としての義務だと多くの仲間から説得され、重い腰をあげた経緯がありました。
だから個人の生い立ちを書く気はありませんでした。しかし、なぜ北海道の片田舎に生まれたオンナが、当時としては遠い遠い東京へ出てきて、なぜ社会党員となるのか、それを動かす何かあったのか、そこがないと面白くないとまたまた説得され次の一章を書くハメになりました。
労働者運動資料室刊行 定価 800円
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