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2011年12月8日木曜日

労農派の歴史研究会第134回例会報告

「社公合意」を学習しました。19 8 0年に決定されたこの文書の内容の大枠は、前回みた『国民統一綱領』が反映されているので、とくに悪いわけではないのですが、「日本共産党は、この政権協議の対象としない」ということを明記してあるので、「社共共闘をやめることを内外に宣言した文書」として、繰り返し共産党からの批判を受けたものです。

 当時はずっと右傾化の波が続いていたのですが、6月の衆参同日選挙で自民党が大勝し、社会党が1 0 7議席に転落した後だったので、右からの圧力がより強かったのです7 9年にサッチャーがイギリス首相に就任し、8 1年1月にレーガンがアメリカ大統領に就任して、国際的にも東西対立が激化していて、新自由主義の風が吹き始めた時期でありました。社公合意を推進した人たちは「社公民協力で政権へ」という構想をえがいていたのですが、そう簡単ではありませんでした。8 3年の選挙では、社会党の議席は回復しましたが、ごくわずか(10 7から112へ)でした。

 この点に関連して、社公民路線推進の人々を批判することもできますが、それよりも大事なのは、左派の側もパラパラであったことでしょう。社会党の左派も団結が乱れていたし、総評も力量が低下していました。左派内部の「犯人探し」になってはまずいのですが、やはり弱さを率直に指摘し、これからの運動の参考にすることは必要でしょう。

 大衆運動全体が停滞しており、どの左翼組織も、伸び悩んでいました。われわれにも反省点はあるのですが、それでも8 0年代に新しい仲間を獲得できた党派は他にはあまりなく、その結果が現在の全左翼組織の高齢化という現実になっているわけです。高度経済成長の波の中で総評が年、々かなりの賃上げを獲得し、われわれは幹部を突き上げながら新しい仲間を獲得していたわけですが、今から振り返れば、もう少しいろいろなことが出来だのではないかという気がします。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_008.htm

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