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2011年5月30日月曜日

第24回山川菊栄賞

●第二十四回山川菊栄賞贈呈式報告
  第二四回(2004年度)山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の対象が「性暴力の視点から見た日中戦争の歴史的性格」研究会と決定し、去る一月二三日(日)午後、文京シビックセンターで贈呈式が行われました。
 式に先立ち、高齢の菅谷直子選考委員代表に代わり、重藤都さんから、会の趣旨、山川菊栄さんの人柄についての紹介がありました。それは「上から下へ、賞をやるといった態度を非常に嫌がる人だった。この賞はあくまでも将来に期待される人にたいして、これからの研究に役立てて欲しくてさしあげるのだ」という菅谷さんの例年の挨拶を引いての紹介でした。
 贈呈式は、井上輝子選考委員長の、応募作品一九点の概要についての説明から始まりました。第一次選考で四点に絞られ、その上で、先の研究会の作品『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』が選ばれたのです。
 直接の推薦の言葉は、加納実紀代さんから、熱くあつく語られました。「女性史成立以来、『女性史とは何か』がつねに問われてきましたが、この本こそはその答えです」。そして、「自分自身も聞き書きでの女性史をつづってきた。男性史の補完であってはならないとの思いがある。文献資料が絶対視されてきたが、ヒストリーは男の歴史であって、ハーストリーは残されていないものなんだ。確かに聞き書きでは、子どもが○歳の頃と、年も定かでなく、周辺数メートルの出来事しか語れないものだが、その積み重ね、つながりで歴史が浮かび上がるものである。この本は、第一部聞き書き、第二部背景についての論文集を載せることで、歴史書になっていると言える」とまさに絶賛とも言うべき推薦の言葉でした。
 また「日本軍の手から逃げられるものとは思わないが」と前置きしつつ、「纏足が女性の自由を奪っていた事実」に、彼女達の生活空間が見えるとも語られました。そして、駒野陽子さんから、研究会代表の石田米子さん(岡山大学名誉教授、歴史学)に贈呈されました。
式後の受賞記念講演は、石田さんによる、出席された執筆メンバーの紹介から始まりました。
そして、本のもう一人の編者内田知行大東文化大学教授から、研究会は「中国における日本軍の性暴力の実態を明らかにし、賠償請求裁判を支援する会(略称:山西省を明らかにする会)」が活動を続ける中で発足したもので、いわば二人三脚での歩みだったと、その性格説明がありました。また、内田さん自身は、中国現代史が専門だが、この研究会に関わることで、文献資料に立脚して歴史を語ることの危うさを知ったと語られました。被害女性たちの話を聞き、それを裏付ける資料を探したが、そうした資料はなかった。つまり、記録というのはその当時の人々の問題意識の反映だということに思い至ったというのです。それから、文献資料では、日々食べているもの、生活がわからないとも言われた。内田さんは、黄土の村々に行く前は、とうもろこしの饅頭(マントウ)を食べているのではないかと想像していたが、現地に行ってみると、からす麦の素うどんが昼食だったように、記録されていないものがあることがよくわかったそうです。
石田さんは「山西省性暴力被害女性の尊厳回復への道と私たち」というテーマで話されました。
「本の主人公は、他の地域の被害者と同様に50年の沈黙を破って発言し始めた大娘たちです」という言葉から始められ、「10年を経た今日、本来ならもう解決のときのはずですが、かき消されそうになっている」と続けられたのでした。「私たちの責任なんですよ」という石田さんの気持ちが伝わってきて、ずしりと応えました。
執筆者は14人ですが、現地調査には計50人近い人が行っており、通訳をしてくれたり、テープを起こしてくれた人も10数人に上るということでした。女性が多いけれど、男性もおり、若い人から高齢者までいる、こうした多様な人が関わったのはなぜか。なによりも被害女性が、様々な条件下で、カミングアウトし、訴えることで生きようとしている、その存在に圧倒されたからだと言います。
最初の出会いは、92年に被害を訴えて来日した万愛花さんの話に圧倒された石田さん達が、もっと詳しく聞きたいと黄土高原の東端を96年10月に訪れたときからだそうです。当時は日本人が農村に入ること自体が難しく、中国人の協力者もなかったと言います。(山西省孟県の農村へは、関空から、北京か上海を経由して太原市に飛び、そこからマイクロバスにゆられて早くて3時間かかる)年2回2年の現地調査を繰り返すうちに、98年10月東京地裁に提訴することになり、裁判を支援する会を作り、さらに実態解明をする研究会を発足させたのだそうです。
 この裁判に関わる中では、被害者個人の問題に即してやる、個別性にこだわる、そのためにはとにかく「向き合って話を聞こう」という姿勢を通したと言います。被害者は、存在そのものが恥という認識の中で生きてきており、当時を知る村人たちも同情はしつつもそのことには触れないので、夫にも話せないまま死んだ、娘が子どもを産むときようやく話したなど、沈黙を強いられてきたわけです。「苦しみは被害であって責任はない」という認識に立つまでには相当な期間と対話が必要だったようです。今、原告10人を支えているが、その10人が互いに知らないまま生活してきて、近くにカミングアウトした人が出ると、次第に勇気付けられて増えてきた経緯も話されました。弁護士の言葉として「人生被害」という表現を紹介されましたが、50年前の被害、過酷な経験が、その後の彼女達の一生を支配したという意味で、非常に的確な表現ではないかと思われました。石田さんの「歴史の問題であると同時に今何をなすべきかが問われている」という締めくくりは、石田さんの最初の問いかけに戻るものでした。
 その後、執筆者の一人の池田恵理子さんがつくられた、同趣旨の記録ビデオを見ました。さらには参加者の一言を聞くコーナーがありましたが、鈴木裕子さんが「加害国の一員として、女性の一人として、何も成果が出ていないことに忸怩たるものがある。申し訳ない」と言われたのが、石田さんの話とも重なり、重く受け取りました。       以上


●受賞者、作品紹介
贈呈対象者「性暴力の視点から見た日中戦争の歴史的性格」研究会・代表石田米子
対象作品『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』創土社
日本軍による性暴力被害者の裁判を支援する市民グループ「中国における日本軍性暴力の実態を明らかにし賠償請求裁判を支援する会」(略称「山西省・明らかにする会」)が、1996年以来重ねてきた現地聞き取り調査をより広い観点から深めるために、専門研究者の協力を得てつくった研究会。1999年に発足。定期的な研究会活動を積み重ね、その成果として『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』を分担執筆により作成、出版した。
 研究会を構成するメンバーは、大学に籍を置く専門研究者も含めてそれぞれ本業はさまざまであり、性別・年齢・居住地も幅広い。重層する視点から性暴力の実態と構造を明らかにし、日中戦争の見方に新たな問題提起をしえたとすれば、それはこのような会の構成と協力に由来する。
 なお、この研究会は、財団法人日中友好会館日中平和友好交流計画歴史研究支援事業から3年度にわたる研究助成と出版助成を受けた。
●推薦の言葉  加納実紀代
ああ、やっと…。『黄土の村の性暴力』を読み終わったとき、私は感動をもってそう思いました。女性史成立以来、「女性史とは何か」がつねに問われてきましたが、この本こそはその答えです。女性史は男性史の補完ではない、女性の痛覚に根ざし、歴史学の知のシステムそのものを問い直すものだ―とはいうものの、それを具体化するのは非常に難しい。しかしこの本の著者たちは、日本軍による性暴力被害中国女性の痛覚に向き合い、よりそい、その声に真摯に耳を傾けるなかから、これまでとはまったく違う日中戦争史を描き出しました。それは日本側の歴史学はもちろん、中国側の輝かしい抗日戦争正史の欠落をも明らかにするものです。
この本は、中国山西省の黄土の村を襲った日本軍の性暴力について、被害女性や周辺の人びとの証言を集めた第1部と、その背景についての論文集からなっています。それのよってこの問題を、主観と客観、個別と全体を総合する重層的・構造的なものとして明らかにしていますが、とりわけ興味深いのは、被害は日本軍占領当時に限られるものではなく、のちのちまでも個々の被害女性はもちろんその家族や地域社会全体にまで根深い影響を及ぼすものであることを明らかにしたことです。これはこれまでのいわゆる「従軍慰安婦」研究にはないあらたな視点です。
 そのために著者たちは交通不便な黄土の村に18回も足を運び、被害女性との交流を深める中で「出口気」(長い間の胸の中のわだかまりを吐き出す)を促しますが、その過程で著者たち自身も研究者としてのみずからを問い直し、既成の歴史学のの限界を突破していきます。その意味でこの本は、現時点における女性史の到達点であると同時に、歴史学総体に対する鋭い問題提起の書といえるでしょう。あらためて著者たちの労苦に感謝するとともに、男性研究者にも広く読まれることを願ってやみません。

山川菊栄賞へ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/yamakawakikue.htm

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