2011年6月9日木曜日

労農派の歴史研究会第129回例会報告

前回は、「新中期路線」の中身には入らず、当時の社会党について、いろいろと経過や
問題点を話して、終わりました。
 そのときに、あまり整理して言わなかったことを、ちょっと補足します。当時の社会党本部では、経済安定本部(現在の経済企画庁)の職員、その周辺の学者グループがかなり議論に参加、あるいは協力していました。官僚としては、和田博雄の影響下にある人たちが多くいたし、学者は有沢広巳と向坂逸郎の弟子筋の人々が多くいました。党内の勢力としては、和田派(後の勝開田派)、また社会主義協会員が中心でした。この両者は、55年の左右合同反対で一一致しており、その後も緊密な関係にありました。 したがって、官僚たちが持っている統計的な情報についても、最新のものを入手できる位置にいました。
 1960年に、『社会主義日本の設計』(社会主義政策研究会発行、A 5版290頁)という本がでています。有沢広巳。「現代日本資本主義の特質」、高橋正雄・「社会主義政権の課題と準備」、稲葉秀三・「社会主義政権下の財政」、大河内一一男・「労働組合はいかにあるべきか」、大内力・「日本農業をどう変革してゆくか」、の5つの報告をめぐって、いろいろな人が発言するという内容です。参加者にも「大物」がずらりと並んでいます。
 もちろんこの内容は、「社会主義日本」ではなく「社会党政権下の日本」の政策についての議論です。 しかし、優れた学者、政治家が、報告・討論をしています。もしこの時に政権を取っていたら、現在の民主党よりも、うまくやったのではないかという気がします。 (ただし、当時の私は、この本を読んだら「これは改良主義日本の設計」ではないかと、文句をいったかもしれません。)
 しかし当時の社会党が、こういうメンバーで政権構想についての議論をできたというのは、重要な歴史の断面であると思います。

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