社会主義理論学会第58回研究会としておこなわれた鎌倉孝夫さんの報告「朝鮮式社会主義の思想と現実」を聞きました。私は当日の司会も担当しました。
休憩を挟んで約二時間におよぶ鎌倉さんの報告を要約するのはたいへん難しいのですが、私の理解では次のようなものです。
まず最初に、チュチェ思想はスターリニズムを乗り越えようとする志向が明確にあることが指摘されました。ただし『資本論』の理解は不十分とのことです。
続いて、金正日の論文「社会主義建設の歴史的教訓」(1992)を紹介するかたちで、北朝鮮のソ連崩壊論を分析します。
報告によれば、ソ連崩壊は社会主義そのものの崩壊ではない。また金正日論文は「ソ連社会主義崩壊」ではなく、「ソ連社会主義挫折」としてるとのこと。そして「挫折」の原因は、社会主義の本質を「人民大衆」を中心に理解していなかったこと、マルクス主義の歴史的制約-革命後の社会主義建設は示されておらず、そのため教条主義(スターリニズム)と修正主義(社会主義の「原則」放棄、思想の自由・多元主義、市場経済導入)の双方が生じたこと-にあるとしているとのことです。
次に、朝鮮社会主義-チュチェ思想に基づく社会主義-の紹介に入ります。鎌倉さんによれば、朝鮮社会主義は、人間中心-人民大衆中心の社会主義、人間の社会的本質的性格に即し、発展させる社会とのことです。また社会にはその指導者(領袖)と指導勢力(党)が必要だが、決して領袖や党の考えを押しつけるのではなく人民に自分で気づかせていく教育を重視していること、それを通して全人民のチュチェ思想化、インテリ化を計っている、人民の主体的努力が社会主義を前進させる、とのことでした。
続いて、朝鮮社会主義の現実が紹介されます。朝鮮経済は自立的民族経済(自己完結型経済)を目指し1991年まではかなりの高度成長を遂げており、ピークは1991、92年であったこと、それからソ連東欧社会主義崩壊の影響と大自然災害の中で経済が急速に落ち込み、中川雅彦『朝鮮社会主義経済の理想と現実』(JETRO アジア経済研究所 2011)の数字を引用して、90年代中期には穀物生産が91、92年の20%あまりに落ち込んでしまい、北朝鮮の言う「苦難の行軍」-深刻な食糧難、エネルギー不足が起きたこと、2000年頃から経済が再び上昇し始めるが、まだピーク時の78%程度に止まっていることなどが紹介されました。経済復興の中では軍が重要な役割を果たしており、軍はチュチェ思想が徹底しており、武装だけでなく農業・インフラ整備など生産にも積極的に関わっているとのことです。また北朝鮮の人口はこの間一貫して増加しており、マスコミの言う400万人餓死などはデマであることも指摘されました。そして、近年のグローバリゼーション、市場経済化の潮流の中で経済特別開発区、軍事技術の民間転用などが計られているとのことでした。
そのあと、参加者との間で予定時間を大幅に上回る活発な質疑応答が行われました。残念ながらさまざまな討議を詳しく紹介することはできません。私の印象に残っているものを記すと、鎌倉さんによれば、北朝鮮は決して閉鎖的ではなく日本からの観光旅行は現在も認めており、北朝鮮に閉鎖的なのは日本の方だ。指導者の世襲については、鎌倉さんは批判的だが、それが北朝鮮の現実だと認めるしかないと考えているとのこと。
私もいろいろ質問したかったのですが、司会をしていた関係で最後にごく短い発言ができただけでした。
私の発言内容は以下の通りです。
鎌倉報告を聞いているとデジャビュ感に襲われる。学生時代に見聞きした文革期の中国を思い出すのである。当時の毛沢東思想も「人民、人民だけが歴史の原動力だ」と言っていた。文革も、建前は党の押しつけではなく人民を主体的自発的に立ち上がらせるものだった。北朝鮮で軍が生産活動にも重要な役割を果たしているのは、文革期に軍が生産建設兵団を作り生産活動も行っていたのと似ている。全人民のインテリ化も、頭脳労働と肉体労働、都市と農村の区別撤廃という文革のスローガンを思い出す。
文革は、言葉だけみれば今日でも通用するような美しいものが多いが、実際に出現したのはそれとは似ても似つかない社会だった。文革期中国と北朝鮮の比較研究をやる必要がある。また、ソ連崩壊後に穀物生産が20%程度に落ち込むなどソ連崩壊の強い影響を受けたことが事実なら、北朝鮮の言う自立的民族経済は実はまったく形成できておらず、実際にはソ連東欧圏に経済的には深く組み込まれていたのではないか。
これに対する鎌倉さんの回答は、文革期中国を通して北朝鮮を理解しようというのは、一つの立場としては理解できる、また自立的民族経済がまったく形成できていなかったというのは言い過ぎで、その努力はしていた。九〇年代の経済落ち込みは自然災害の側面もあり、さらに研究しなければならない、というものでした。(瀬戸の理解による要約)
ともあれ、北朝鮮が社会主義の試行錯誤の一つであることは確かであり、北朝鮮についてのある程度まとまった情報が得られたことは有益でした。
なお、北朝鮮とは関係ありませんが、福田豊さんと今日も連絡を取り合っているのか尋ねたところ、九〇年代からすでに没交渉になっているとのことでした。(瀬戸宏)
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