「国民統一の基本綱領」の本文を学習しました。当時の社会党の過渡的政権から社会主義政権までの展望を、一番まともに成文化したものだと思います。中央でも地方でも、われわれは熱心に討議に参加しました。
93年にできた細川政権は、この統一綱領に書かれているものとは違いますが、その[応用」として理解できます。しかしその後にできた、村山内閣は社会党のどんな綱領的文書にも書かれていないような、変則的な出来かたでした。それなのに細川内閣においては、社会党(とくに左派)は、しょっちゅう邪魔者扱いされていました。村山内閣においては、自民党におだてられ、うまくのせられて、けっこう良い気分でした。敗戦50年の年の「村山談話」など、歴史的な置き土産も残すことができました。こういうところが、現実政治の難しいところの一つではないかと思います。綱領的な次元で「近い」勢力と、感情的にはうまく付き合えず、「遠い」人だちとは(無理に一致させようとしないので)、案外、うまくやれる面があるのです。
ただ、そうはいっても、レポートにあるように、村山内閣への参加が正しい選択であったかどうか、きちんと総括をしておくことは、大事だと思います。
次回は[社公合意]を学習します。これは1980年に、飛鳥田委員長のもとで、社会党が公明党と合意して確認した文書です。共産党系の人だちと話していると、この「社公合意」が目本の政治を反動化させた、というような見方をしていることが多いので、驚きます。たしかに「日本共産党は、この政権協議の対象にしない」と明記してあるので「反共」という評価になるのでしょう。しかし社会党内では、飛鳥田委員長は、もっと右傾化せよという圧力に対して、「この程度にとどめた」のです。上記の部分以外は、悪くはないと記憶しています。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_008.htm
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