2011年5月30日月曜日

第25回山川菊栄賞

●2005年度山川菊栄賞贈呈式報告
 山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の2005年度対象作品は、森ます美さんの『日本の性差別賃金―同一価値労働同一賃金原則の可能性』(有斐閣、05年6月刊)に決まり、贈呈式が2月11日東京都内で行われた。
今回の受賞作となった『日本の性差別賃金』を森さん自身の記念スピーチから紹介すれば、「九〇年代に大企業女性労働者が始めた男女差別賃金裁判に触発され、彼女たちと一緒にペイ・エクイティ(同一価値労働同一賃金原則)研究を行う中で、九五-七年に商社・営業職における職務評価を実際にこころみ、その成果をまとめたもの」となる。
もう少し内容的に紹介すれば、日本の性差別賃金構造を、大企業の人事・賃金制度の視角から実に丹念に洗い出し、実証的に分析し、明らかにされている。その手法は、京ガス男女賃金差別裁判における<積算・検収>事務職と<ガス工事>監督職の職務比較にも活かされ、地裁での勝利判決となった(控訴審では勝利的和解)ことから、終章では「日本における同一価値労働同一賃金原則の可能性」を示唆されている。
 森ます美さんは、昭和女子大学人間社会学部教授として、労働とジェンダー、社会政策を講じておられるが、贈呈式には、学生さんは少なく、ペイ・エクイティの研究を共にすすめてきた商社の女性たち、男女賃金差別裁判を闘う女性たち、「均等待遇アクション」に関わる女性たちが、遠くは関西からも大勢かけつけていた。賞の選考委員である浅倉むつ子さんが「研究室に閉じこもるのではなく、企業の現場で働く女性たちの運動のただ中に身を置き、彼女たちによる性差別への怒りに共感しつつ、その権利主張に寄り添って、専門家としての理論構築をしている」と推薦の弁を述べられたが、まさにそれが実感できる参加者であった。
 贈呈式の後半は、京ガスの屋嘉比ふみ子さん、労働法学者としての浅倉さんを交えてのシンポジュームになり、日本において同一価値労働同一賃金原則を確立するための今後の課題が話し合われた。会場からの要望も含めて、「少し展望が見えてきた感じ」がした。  中村ひろ子(労働者運動資料室理事)


●推薦の言葉―浅倉むつ子
2005年度の山川菊栄記念婦人問題研究奨励金を、森ます美さんの『日本の性差別賃金』に贈呈できることは、私ども選考委員にとって、本当に嬉しく誇らしいことです。それはまさに本書が、当奨励金の趣旨にとってもっともふさわしい著作だからなのですが、その理由を二つだけ申し上げましょう。
 一つは、森ます美さんの研究への姿勢です。森さんは本書の中で、実に膨大な時間をかけて、多くの資料を丹念に読みこなし、統計を加工し、作図し、自分なりの結論を導き、自分の言葉で語っています。このような、本書を貫いている研究への限りなく誠実で粘り強い姿勢こそ、本書の信頼性をおおいに高めているものだといえるでしょう。
そしてもう一つは、森さんが、研究室に閉じこもるのではなく、企業の現場で働く女性たちの運動のただ中に身を置き、彼女たちによる性差別への怒りに共感しつつ、その権利主張に寄り添って、専門家としての理論構築をしているということです。このように運動との架橋をはかることによって、女性問題研究は、狭い空間に閉じこもりがちな学術の世界にいる人々にも、新たな風を吹き込む役割を果たしているのだと思います。
本書は、このような尊敬すべき森ます美さんによる初の単著です。そして、職種や職務の概念が希薄な日本では「実現不可能」とすら言われてきた「同一価値労働同一賃金原則」に正面から取り組んだ、初めての研究書です。
本書は、日本の男女の大きな賃金格差は、労働市場構造の特殊性や労働者の属性の差からのみ生まれるのではなく、個別企業の人事・賃金制度そのものからも生み出されているものだと主張しています。また、具体的な実践例を示すことによって、日本における同一価値労働同一賃金原則の適用可能性を提起しています。
本書は、まさに労働問題に関心をもつあらゆる人々にとって、「必読の書」であり、女性たちにとっては「待望の書」であるといってよいでしょう。本書が多くの人たちによって読まれていくことを期待します。

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第26回山川菊栄賞

●第26回山川菊栄賞授賞式報告
山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の2006年度対象作品は、糠塚康江さんの『パリテの論理―男女共同参画の技法』(信山社、05年11月刊)に決まり、3月4日(日)都内で贈呈式が行われました。今年は男性の姿がめだちました。受賞者のゼミの学生さんと憲法研究者だったのですが、今回の受賞作品のもつ普遍性、影響力が感じられ、頼もしく思いました。
「パリテの論理」と言われても、多くの方には「何のこと」と思われるでしょう。フランス憲法院が「パリテ(男女同数制)はクォータ(割当)制の一種で女性に特別の権利を与えるものであるから、フランス共和国憲法が規定する男女の平等、個人=市民以外に権利の主体を認めない理念に違反する」としたために、逆に憲法に第3条5項「法律は選挙によって選出される議員職と公職への男女の均等なアクセスを促進する」、第4条2項「政党は、法律によって定められた条件で、第3条5項に表明された原則の実施に貢献する」という項目を入れ(99年)、2000年に「パリテ法」が制定されました。
糠塚さんは、「憲法学の立場から、フランスの共和主義における普遍的市民像を抽出し」、「パリテの論理を、精緻にかつ丹念に分析しながら」、「パリテとクォータの違いを論じています」(推薦の言葉より)。つまり「性差は生まれついたら変わらず、二つの区別はほぼ量的に等しく、女性はマイノリティではない。女性は常に男性とともにあり、女性だけで集団を形成しているわけではない」と明快に論破されているのです。スピーチを伺って、男女平等を主張するとき「使えるな」と思いましたから、これはきちんと読まねばと思っているところです。
受賞式の冒頭で、受賞者へ詫びながら、記念会代表の菅谷直子さんが06年12月17日に逝去されていた報告がありましたこと付け加えておきます。7月14日に偲ぶ会が計画されていますので、詳細が決まり次第報告します。


●山川菊栄賞推薦の言葉
推薦の言葉―浅倉むつ子
2006年度の山川菊栄記念婦人問題研究奨励金は、糠塚康江さんの『パリテの論理』に決定しました。私ども選考委員会が、数多くの候補の中から、もっとも優れた著作として本書を選んだ理由は、以下の通りです。
男女間格差を解消するための「積極的是正措置」であるアファーマティブ・アクションやポジティブ・アクションは、今や多くの国で実施されています。しかし、とりわけクォータ(割当)制については、男女平等原則に照らして、果たして合法なのか違法なのかという熾烈な議論が繰り広げられています。フランスではこの問題をめぐって、1982年に政治分野のクォータ制が違憲判決を受けながらも、99年には憲法改正を通じてその違憲性は克服され、さらに2000年には、性の偏在を克服するための技法として、「パリテ法」が制定されました。以来、フランスでは、さまざまなレベルの選挙を通じて、女性の議席が劇的に増加しています。
糠塚さんは、この著作において、ご専門の憲法学の立場から、フランスの共和主義における普遍的市民像を抽出し、特色のある男女平等原則に照らして、クォータ制が違憲判決を受けなければならなかった論拠を、見事に解明しています。そして1990年代に論壇に登場したパリテの論理を、精緻にかつ丹念に分析しながら、「パリテは50%クォータ制にすぎない」という見解を批判して、両者の違いを論じています。本書に一貫して流れている知的で深い洞察と誠実な研究への姿勢は、敬服に値します。
なぜフランスでは、いったんクォータ制が否定されながらも、憲法改正を行ったのか、そしてパリテ法を実現することができたのか。その論理とはどういうものなのか。私たちは、このような疑問に対する説得力のある回答を、糠塚さんの著作を通じて、初めて、得ることができるのです。このことは、日本で政治分野の男女共同参画を推進しようとしている私たちの実践にも、必ずや重要な手がかりを与えてくれるでしょう。その意味では、女性の権利に関心をもつすべての人にとって、本書は、必読の書といってよいのではないでしょうか。

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第27回山川菊栄賞

●第27回山川菊栄賞授賞式報告
第27回(2007年度)山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の贈呈式が、1月27日(日)午後、東京都港区にある「女性と仕事の未来館」で行なわれました。
今年の贈呈対象が中村桃子さんの『「女ことば」はつくられる』(ひつじ書房)であることは既報の通りですが、中村さんは、関東学院大学経済学部教授として英語を教える一方で、言語学者として、「ことばとフェミニズム」、近年は「ことばとジェンダー」を研究されています。それを和光大学で講じておられる関係で、女性学の研究者や女性運動の活動家とともに、中村さんの薫陶を受けている若い学生さんたちが参加しました。
 贈呈式は、いつものように選考委員のみなさんで分担して進められました。浅倉むつ子さんの司会で始まった式は、最初に重藤都さんから、奨励金の経緯と趣旨が山川菊栄の人となりとともに説明されました。(この式に何度も参加している人は、研究会のなりたちや山川菊栄の人柄を語られていた菅谷直子さんの姿が無いこと―06年暮れ逝去―に歴史を痛感されたことと思います。)
 次に選考委員長の井上輝子さんから、2007年度の対象となった著作には歴史分野のものが多く、しかも占領期の政策を取り扱った若い研究者の著作が目に付いたとの講評がありました。最終選考に残ったのは今田絵里香さんの『「少女」の社会史』と乾淑子さんの『図説 着物の柄に見る戦争』と中村桃子さんの作品であり、全員一致で中村さんの著作が選ばれたと経緯が話されました。
 そして有賀夏紀さんから「女ことばの生成過程を明らかにするに止まらず、国家とジェンダーの関係を明らかにしたスケールの大きい国家論になっています」との推薦の言葉がありました(別に掲載)。
受賞者中村さんのスピーチは、参加者の中には対象作品を読んでいない人たちも多かったと思われますが、話術の巧みさもあって、全員を「桃子ワールド」に引き込んでしまった感がありました。ご自身が研究を深められてきた経緯を次のようにまとめられました。
時と場合によってことばは違う。変わることが前提ならば、言語は創造的に変えられるのではないかと考えた。すると、「女ことば」が自然にできたものなら、使えとのしつけはいらないはずだが言われ続けていることからすれば、一つは<規範の役割>を果たしているのではないか。二つ目に、ここ150年ずっと「女ことば」の乱れが嘆かれているが「それはなぜか」と考えると、背景に「使われていたはず」との思い<信念>があるのではないかと思い至った。三つ目に、地域語いわゆる方言を話す人たちも「女ことば」を知っているのはなぜかと考えたら、メディアから学んだ<知識>だ、という構図が見えてきた。つまり、「女ことば」は、意図的にジェンダーと結びつけて使われ、維持されてきたものである。
スピーチ後の質疑の冒頭では、鈴木裕子さんから「山川菊栄は1920年代にキミとボク問題を書いている。また戦中から誰に読んでもらうかということを念頭において平明なことばで書くことに努めた。漢語を使うのは男の特権とも書いている」と話されました。
 続いて参加者から、教科書に見る「女ことば」の事例、方言のなかに混じる不自然さが話されるなど、中村桃子さんの説を共有し、より深めることができた気がしました。


●推薦の言葉―有賀夏紀
中村桃子さんの『「女ことば」はつくられる』は、構築主義の立場から日本における「女ことば」の生成、普及の過程を、鎌倉・室町・江戸時代から現代に至るまで示した研究ですが、それにとどまらず、国家とジェンダーの関係を明らかにしたスケールの大きい国家論になっています。日常使っていることばのあり方が国家のあり方によって規定され広められ、また逆にことばのあり方が国家のあり方をつくるという言語と国家論の相互作用について、なかむらさんは国内外の膨大な資料を駆使して議論を展開します。議論はオリジナリティや意外さも含み、ものの見事というほかありません。ここではその議論をごくかんたんに紹介します。
 国家が言語をつくること。近代国家の統一のために言語の統一がはかられてきましたが、日本においても明治期に国語の確立がなされました。本書は天皇制家父長国家の下で男性の言葉が国語としてつくられ、その際女ことばが国語から排除され、第二次大戦中の女の国民化とともに女ことばが国語に取り込まれていったことなど、つまり、ジェンダー化された国家がジェンダーかされた言語をつくり出すことを解き明かしています。
 言語が国家のあり方をつくること。中村さんはここでオリジナルな議論を展開します。それは特に、日本帝国主義の植民地支配における女ことばの役割に関して見られます。この問題提起はとてもしんせんで、どのような論が展開されるのか私は非常に興味深く読みましたが、資料で根拠づけられた説得力のある説明は衝撃的でした。日本の優位を示すとされるようになった女ことばの存在が、「優秀な日本」による植民地支配を正当化したことがよくわかります。
そしてこの本は、グローバル化の下で多民族の平等な関係を主張する多文化主義が広がる今日の国家と言語の関係を考える上でも重要と思います。必ずしも単一の言語を国家ないし地域共同体統一の必要条件とはしない動きも出ているなかで、ジェンダーの視点無視されているように見えます。日本語と国家の関係がジェンダーによって規定されてきたことを示した中村さんの研究は、現在、そして今後の国家のあり方を考える上での大きな示唆を、特にジェンダーの視点から与えてくれます。
以上の理由から、中村桃子さんの著書『「女ことば」はつくられる』を山川菊栄記念婦人問題研究奨励金受賞作品として推薦できることを嬉しく思います。

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第29回山川菊栄賞

● 第29回山川菊栄賞贈呈式報告
山川菊栄を記念して創設された婦人問題研究奨励金の第二九回贈呈式が、二月二七日(土)午後、東京・一ッ橋の日本教育会館で行われました。
 第二八回は対象作なしで心配されましたが、第二九回(二〇〇九年度)の対象作には、西倉実季さんの『顔にあざのある女性たち―「問題経験の語り」の社会学』と堀江節子さんの『人間であって人間でなかった―ハンセン病と玉城しげ』の二点が選ばれました。
 今回の対象作はいずれもライフストーリー研究の成果を本にまとめられたものでしたが、第一オーサー(固有の経験を語ってくれた人)と第二オーサーである筆者との相互依存が見事に花開いたと言えるものでした。選考委員の一人、有賀夏紀さんが、「歴史をやる人間は、第一オーサーを記録することで終わってしまいがちだが、西倉さんは個人の経験を社会的問題にしている」と高く評価されましたが、それは堀江さんの書き方にも当てはまることでした。
当日は受賞者による記念スピーチも行われました。
西倉実季さんは、研究過程を紹介するなかで、「顔にあざがあることは美醜の問題と想定したことで、語り手との間で齟齬が生じ、行き詰ってしまった。二年おいて、彼女たちが<普通でない顔>に問題経験を抱いているのだと想定を変えたら見えてきた。調査する私も研究対象であることがわかった」と語られました。
堀江節子さんもまた、「最初一人語りで簡単にまとめてしまったが、寝かせているうちに、しげさんの個人史でいいのかと思うようになった。しげさんの、強制堕胎で殺されてしまった娘への思い、平和で差別のない社会にしたいとの思いを書きこまねばならないと思った」と語られました。
堀江さんのスピーチは、隣に玉城しげさんが座って行なわれ、後半はしげさんへの質問の形をとりましたが、まさにライフストーリーが語り手と聞き手の相互依存の賜物であることを彷彿とさせるものでした。
玉城しげさんの話から、本に書かれていないことを二、三紹介します。
◇敬愛園に来て、だまされた思いに悲しくて、園にあった小さな図書室に通い、本を手にした。その中に山川菊栄さんの本もあった。内容は覚えていないが、あの大変な時代に、女の方が男を尻目に女性活動をされたということで、山川菊栄さんの名前だけは覚えている。文学の先生だけれど、普通の方とは違うと思った。
◇裁判が終わるころから、九州全県の学校や公的な場、お寺に誘われるようになった。ほんとうに思いがけないくらいのたくさんの人との出会いによって、世の中のたくさんのことを知った。韓国朝鮮問題とか被差別部落のことを知った。ほんとうに日本もひどいことをしましたね。日本のこの悲しい歴史を子どもたちに教育で教えていかなければとの思いです。
◇私はこの(動かなくなった)手を子どもたちに見せながら、「治療せずに働かせられたからこうなった。厚生省の金鵄勲章だ」と言う。子どもたちは「金鵄勲章ってなんですか」と聞く。「痛くないですか」とも聞いてくれる。子どもはほんとうに純真でかわいい。そんな子どもたちが、あとで手紙やクリスマスカードをくれる。手作りのいろいろな飾りも送ってくれる。嬉しい。
 なお、記念会からは「今年の一一月三日は菊栄生誕一二〇年、没後三〇年にあたるので、シンポジウムをやります。それにつながる連続学習会も企画しているので、多くの方に参加してほしい」との案内もありました。


●山川菊栄賞推薦のことば 井上輝子
西倉さんの本は、顔にあざのある女性たちへの、6年以上にわたるインタビューの成果をまとめた作品である、西倉さんは、女性たちが経験してきた苦しみと、それへの対処の経験をていねいに記録し、整理・分析している。
本書の意義は、なによりもまず、顔にあざのある女性たちの内面的経験とその変化を鮮やかに描き出して、彼女たちが直面してきた(している)苦しみや悩みを、読者に伝わる形で提示したことにある。
たとえば、幼少期から受けてきたいじめの経験や、人と出会ったりする会話をするときに、相手から執拗な視線や無遠慮な言葉を投げかけられる経験。顔にあざがあるという事実だけでなく、あざを隠している自分に後ろめたさを感じてしまいがちな心理。恋愛や結婚の困難、就職の難しさ。さらに、あざについて言及することがタブーになるなど、家族の中でさえ起きる様々な対立や葛藤等々。顔にあざがある女性たちが直面してきた、このような困難な経験の歴史を、西倉さんが当事者女性たちへのインタビューをつうじて克明に描写し分析されたことに、私は敬意を表したい。
これを可能にした理由の一つは、経験の聞き手と語り手の相互作用をつうじて、物語が構成されていくという、ライフストーリーという研究方法にあるだろうが、それだけではない。当事者にできるかぎり寄り添おうとする西倉さんの姿勢と熱意が、当事者の女性たちとの信頼関係を生みだした結果であると想像される。本書の随所に、インタビュー調査の過程を反省的に振り返る個所が記されているが、ここには西倉さんが、当事者女性たちの声を最大限聞き取ろうとした努力の跡が窺える。
私が本書を推薦する理由は、これだけではない。西倉さんは、あざのある女性たちの問題経験を軽減するための方法についても言及している。異形を障害の一種と捉えるべきなのか否かについての議論を検討した上で、私たちが顔にあざのある人や傷のある人を見かけたときに、過度の関心でもなく過度の無関心でもない「好意的無関心」で接することを、提言する。異形の人たちが抱える困難が、実は異形の人たちに対する、私たち自身の接し方と連動していることを示唆し、その改善を提起した点も、本書の重要な意義といえる。
最後に指摘したいのは、本書が現在進行中の問題経験を記録した、現在進行中の研究であるということだ。本書に登場する女性たちは、現在進行形で生きている人々であるから、当然ながら数年間のインタビューの間に、それぞれの生活環境の変化に応じて、あざについての考え方や対処法も変化しているし、今後も変化し続けるにちがいない。したがって、インタビューを通じて考えた西倉さんの意見や結論も、2009年という時点での仮の見解であるといえるだろう。西倉さん自身が今後さらに研究を重ねることで、さらなる発見を積み重ねていかれることが期待される。また、美醜尺度の危うさ、ジェンダーと外見の関係、「普通」とはなにか、機能的障害と異形との関係等々、本書から読み取れるいくつかの問題提起については、現在進行中の考えるべき課題として、本書の刊行を機に、オープンな議論が展開されることを期待したい。


●山川菊栄賞推薦のことば 加納実紀代
かつて<聞き書き>は、女性史の柱だった。無名の女性たちの生の軌跡、文献資料だけでは明らかにできないからである。それによって無告のまま忘却の闇に葬られようとしていた女性たちがくっきりと歴史に刻まれることになった。しかしいまや<聞き書き>は<オーラル・ヒストリー>となり、社会的に活躍した政治家や官僚男性をも対象とするようになっている。
 そうしたなかで、本書はまさに女性史の原点としての<聞き書き>といえる。著者堀江節子さんは、それまでとくにハンセン病に関心を持っていたわけではない。たまたま話を聞いた玉城しげさんへの人間的共感、堀江さん自身の言葉をつかえば「すぎてしまえばそれまでのものを、『出会い』と感じ、気持ちを通わせたいと願う心」によって、ハンセン病問題に目を開いていったのだ。そこにあるひととひととの魂の共振も女性史の原点である。
 それはさらに堀江さんを国家・天皇制・戦争、そして人間とは何かという根本的な問題に導いてゆく。この本は、国のハンセン病政策によって「人間であって、人間でなかった」人生を強いられたしげさんの人間回復の軌跡とともに、著者自身の<問題発見>の過程をも跡付けるものとなっている。そこに本書の大きな意義がある、最後にある「人間はいくつになっても成長できるんだ」は、読者に対する力強い希望のメッセージである。
 しかしハンディな体裁と読みやすい文体にも関わらず、本書の内容はずしりと重い。とりわけ「人間であって、人間でなかった」というしげさんの言葉は、人間とは何か、<人間として生きる>とはどういうことなのかを読者に問いかける。「飼い殺し」としげさんがいうように、ただ死なないように生かされているだけでは<人間>とはいえないのだ。
 さらにこの本は、自分自身のなかにある差別意識への直視をも迫る。しげさんたちに非人間的生活を強いたらい予防法は廃止され、それに対する国家賠償請求訴訟にも勝利した。しかしそれで、この問題はほんとうに解決したといえるのだろうか。たとえば昨年、世界を震撼させた新型インフルエンザ対策において、日本で実施された「水際作戦」なるものは、かつての無癩県運動とどうちがうのだろうか。自己の領域の<清浄>をたもつために、<不浄>とされたものを排除隔離する、ここにはハンセン病者を強制収容したかつてと同様の発想があるのではないか? それに気付かせてくれた点でも、わたしにとっては本書の意義は限りなく大きい。

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第30回(2010年度)山川菊栄賞

●山川菊栄賞贈呈式に代わる上映会報告
3月26日(土)午後、東京ウィメンズプラザで予定されていた山川菊栄賞贈呈式と記念スピーチは、東日本大震災による電力不足で交通事情がよくないこと等から、中止になりました。ただし、『働く女性とマタニティ・ハラスメント』で受賞された杉浦浩美さんは、ドキュメント山川菊栄の思想と活動「姉妹よ、まずかく疑うことを習え」の上映会にお見えになっていたので、記念会のメンバーだけで寂しかったのですが、贈呈しました。なお準備されていた記念スピーチは富士見産婦人科病院被害者同盟の方たちのものも含めて何らかの形で、発表できるようにする予定です。
ドキュメント「山川菊栄の思想と活動『姉妹よ、まずかく疑うことを習え』」は一年をかけてようやく完成したこともあり、「少人数でも見てもらいたい」との山上千恵子監督の希望で開かれました。せいぜい50人かとの予想を越えて100人以上が見に来て下さいました。
見終わった人の感想は、「感動しました」「すごい人だったんだと改めて思いました」「これで若い人に知ってもらえたら」という素直なものが多かったのですが、「山川菊栄の経歴までであとはいらなかった」「今後に活かすことを提案していてよかった」という正反対の感想とともに、「出演者自身が山川菊栄を知らないんじゃない」「菊栄は労働に格別の思い入れがあったはずなのに、そこが描かれていない」といったひじょうに辛辣な感想もありました。
山川菊栄が論評した分野が多岐にわたっており、そのそれぞれに共感をもって今現在活動している人たちが見に来てくださっただけに、その受け止め方もさまざまだったように思われました。
なお、山川菊栄生誕120年を記念して、昨年1年間にわたって取組まれた3回の学習会、およびまとめのシンポジウムなどを収録した冊子が、当資料室から発行されています。
                                                    <当資料室会員 中村ひろ子>


<山川菊栄記念会からのお願い>
*上映会を企画して下さい。
ドキュメント「山川菊栄の思想と活動『姉妹よ、まずかく疑うことを習え』」
 企画:山川菊栄記念会  上映時間:74分
 制作:ワークイン<女たちの歴史プロジェクト>
 構成・監督:山上千恵子   撮影・構成・編集:山上博己
 貸出料:3万円(100名を越えたら5万円)
*パネル展示を企画して下さい。
山川菊栄の思想と活動をまとめたパネル
A1(縦84センチ横59・4センチ)サイズ 9枚
貸出料:5000円(送料は実費負担)―2週間程度
ドキュメント、パネルのお問い合わせは、山川菊記念会事務局までお願いします。
y.kikue●shounanfujisawa,com(●を@に代えてください)
Tel 090-2165-4038 Fax 0466-26-6135
*生誕120年記念行事をまとめた冊子を購入して下さい。
『山川菊栄の現代的意義 今、女性が働くこととフェミニズム』
 ・シンポジウム「今、女性が働くこととフェミニズム」(2011.11.3)
 ・学習会第1回「アジアと日本をつなぐ」(2010.4.23)
・学習会第2回「欧米フェミニズムと菊栄」(2010.6.20)
・学習会第3回「同一価値労働同一賃金について」(2010.7.31)
・シンポジウム「21世紀フェミニズムへ」(2000.11.18)
・山川菊栄記念会メンバーのエッセイ
・展示パネルの紹介(菊栄の年譜を含む)
頒価:1500円 +送料:290円  
発行:労働者運動資料室  T&F03-5226-8822


●2010年度山川菊栄賞推薦の言葉
                             浅倉むつ子
杉浦浩美さんの『働く女性とマタニティ・ハラスメント』は、女性の「妊娠期の働き方」に焦点をあてて、「労働する身体」の意味を問い直そうとする、とても刺激的で意欲的な本である。背景にあるのは、出産を機に7割程度の女性が仕事を辞めているという事実である。ある時期以降、日本でも平等化戦略が進み、女性たちは新たな身体性(「労働に適した身体」)を獲得したはずなのに、なぜこのようなことが起こるのか。この疑問を明らかにするために、杉浦さんは、妊娠しながら働き続ける女性たちにアンケートやインタビューを行い、丁寧な理論的分析を加えて、「女性がごくふつうに働くこと」の困難性というところに、根本的な問題を見いだしている。
妊娠期に経験する葛藤や困難を社会的な問題とするための装置として、杉浦さんは、「マタニティ・ハラスメント」という概念を提示する。その経験の中から浮き彫りになるのは、女性は「労働する身体」と「産む身体」の矛盾の中で生きている、ということであり、そこから得られる知見は、以下のように、非常に新鮮なものがある。
「労働する身体」(すなわち「男性並の有能さ」)によって敬意やメンバーシップを獲得した総合職女性も、「まぎれもない女の身体」をさらけ出す、妊娠というプロセスを経験する。それゆえ、フェミニズムの側からは、「平等幻想」を内面化した存在として批判されがちな総合職女性も、決して「勝ち組」ではなく、働く女性すべてが共有する困難さを経験している。他方、これまで「女性が働くこと」の解釈には、「優秀」か「家計が苦しい」かの二つしかなかったことに照らせば、「一般職」女性の「ごく普通に働きたい」という気負いのない両立願望こそ、新しい女性の労働観の芽生えであろう。なぜなら、女性が働くことは特別なことではない、その女性が妊娠すればこういうことも起きる、という主張は、「労働する身体」が、「男性の身体」を前提とした「ケアレス・マン」モデルにすぎないことを告発するからである。女性労働者の「身体性の主張」は、「ケアレス・マン」モデルの強制への異議申立てである。
そして、「妊娠する身体」を通じて、男性とは異なる「労働する身体」を改めて問い直す女性の試みは、「身体性の困難」を経験している障がいのある人、病気の人などに共通の問題を想起させる。すなわち女性労働者の妊娠期を問うことは、労働領域の「多様な身体」の可能性を問うことなのである。


●杉浦浩美氏略歴
1961年 東京生まれ
早稲田大学第一文学部卒業後、株式会社徳間書店に入社。編集者として16年間勤務した後、立教大学大学院社会学研究科に進学。2008年、同博士後期課程修了。博士(社会学)。
現在は、立教大学、法政大学、東京家政大学ほか兼任講師。立教大学社会福祉研究所研究員。
関心領域は、労働とジェンダー、家族社会学。
主な研究業績
「総合職・専門職型労働における妊娠期という問題-聞き取り調査の事例をもとにして-」『女性学』2004年
「母性保護要求をめぐるジレンマ」『家族研究年報』2004年
「差異化される女性労働者-出産退職をめぐる考察」『年報社会学論集』2006年
「「働く妊婦」をめぐる問題」『女性労働研究』2007年
『女性白書2010 女性の貧困』(共著)ほるぷ出版 2010年
『差別と排除の[いま]6 セクシュアリティの多様性と排除』(共著)明石書店 2010年


●2010年度山川菊栄賞特別賞推薦の言葉
                                                                        丹羽雅代
山川菊栄記念婦人問題活動奨励賞・特別賞
「富士見産婦人科病院事件―私たちの30年のたたかい―」  
             富士見産婦人科病院被害者同盟・原告団編(出版一葉社)
正直に言うならば、740ページにも上るこの本を手にしたとき、そこに込められた思いを、私はちゃんと読み取れるだろうかと不安でした。何しろ重たいのです。いつも持って歩くリュックに詰め込んで、電車の中でつり革につかまりながら開くなどということができる代物では絶対にありません。寝転んで読むのも大変です。ちゃんとイスに座って机に向かってしっかり向き合うことを、本が要求するのです。
この事件がどんな内容で争われたのか、原告だった方々とほぼ同世代の私は、外形は知っているつもりでした。彼女たちの頑張りや、多くの協力者の良心がどのような判決を手に入れたかも知っていました。出し続けられた通信も、時々は手にしていましたし、報告集会に出たことも何度かあります。でも本当のところは分かってはいなかったんだなあ、2日がかりで読み通したときに湧きあがった気持ちでした。
事件が起きたのは今から30年前、若い世代が多く居を構え、子育てをし、地域を作っていく東京近郊の街の、おしゃれな外見の最新機器による診療が売り物の病院が舞台でした。1000人を越える女性たちが医師資格も持たない理事長による診断で、高額な費用を払って、健康な生殖器を摘出されたという被害報道は、大変な衝撃を特に女性たちに与えました。なぜそんなとんでもないことがやすやすと起きてしまったのか、加害者たちはなぜ刑事責任を問われることはなかったのか、医療関係者を告発することがなぜそんなに困難なのか、なぜ原告団は民事裁判で勝てたのか、大変困難といわれる医師免許剥奪までを実現できたのか…沢山の疑問符に対し、本書は丹念に集められた資料を示しながら明かしていきます。
それは日本全国にとどまらず地球規模の動きを要求し、しかも30年という驚くほどの歳月が必要で、多額のお金も要ったことでしょうし、多くの有名無名の人々や団体の利害を超えた協力無くしてはできなかったことでもありました。
 この本は、一つの事件の発端から終結までの活動の記録にはとどまらず、女性たちが自分の心身を取り戻し、私を生きるために必要なことをしっかり手に入れていくためにどんな困難を乗り越えなければならなかったのかをわかりやすく整然と示しています。
 被害者同盟の方々が、しっかりと積み上げて女性たちの手に届けてきてくれたもののすそ野、影響はとてつもなく広いものとなっています。しかしその価値をしっかり見定めて上に重ねていく次の一歩がなくなったとたんに、あっけなく消えていくこともありそうです。この本を手にすることで、おくすることなく担い手にならなくてはという気持ちが、次世代の女性たちに湧くであろうことを感じます。
 歴史は動かそうとする人々の意志があって、その輪が広がることによって、確実に動くのだということを改めて確信させてくれるずっしり重い一冊です。   

●2010年度山川菊栄賞特別賞受賞者
富士見産婦人科病院被害者同盟
富士見産婦人科病院被害者同盟原告団  
略歴
 
1980年9月   富士見産婦人科病院事件が発覚。保健所に訴え出た患者
        数は1138名に達した。
同月      富士見産婦人科病院被害者同盟結成。真相究明、責任追及・
        再発防止を訴えて活動開始。
同月      理事長・院長・勤務医を傷害罪で刑事告訴
1981年5月  原告団を結成し民事提訴。被告は、病院・理事長・院長・勤務
        医、そして国・埼玉県。
1982年5月  『乱診乱療』(晩聲社)発行
同年10月   サンフランシスコ国際産婦人科学会で被害者同盟医師団が報告
1983年8月  傷害罪告訴が全て不起訴処分になる。
1984年2月  「薬害・医療被害をなくすための厚生省交渉実行委員会」発足、参加
同月      「女のからだと医療を考える会」発足、参加
1986年4月  『所沢発なんじゃかんじゃ通信』の発行開始
1999年6月   民事裁判第一審判決(東京地裁)。「およそ医療とは言えない、
        犯罪的行為」と認定。富士見病院側に全面勝訴も、国・埼
        玉県には敗訴
2004年7月   勤務医らの上告が棄却となり勝訴判決が確定
2005年3月   厚労省が元院長に医師免許取消処分。勤務医たちも医業停止
         等の処分に。
2010年6月   『富士見産婦人科病院事件 私たちの30年のたたかい』(一
         葉社)発行  

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第24回山川菊栄賞

●第二十四回山川菊栄賞贈呈式報告
  第二四回(2004年度)山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の対象が「性暴力の視点から見た日中戦争の歴史的性格」研究会と決定し、去る一月二三日(日)午後、文京シビックセンターで贈呈式が行われました。
 式に先立ち、高齢の菅谷直子選考委員代表に代わり、重藤都さんから、会の趣旨、山川菊栄さんの人柄についての紹介がありました。それは「上から下へ、賞をやるといった態度を非常に嫌がる人だった。この賞はあくまでも将来に期待される人にたいして、これからの研究に役立てて欲しくてさしあげるのだ」という菅谷さんの例年の挨拶を引いての紹介でした。
 贈呈式は、井上輝子選考委員長の、応募作品一九点の概要についての説明から始まりました。第一次選考で四点に絞られ、その上で、先の研究会の作品『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』が選ばれたのです。
 直接の推薦の言葉は、加納実紀代さんから、熱くあつく語られました。「女性史成立以来、『女性史とは何か』がつねに問われてきましたが、この本こそはその答えです」。そして、「自分自身も聞き書きでの女性史をつづってきた。男性史の補完であってはならないとの思いがある。文献資料が絶対視されてきたが、ヒストリーは男の歴史であって、ハーストリーは残されていないものなんだ。確かに聞き書きでは、子どもが○歳の頃と、年も定かでなく、周辺数メートルの出来事しか語れないものだが、その積み重ね、つながりで歴史が浮かび上がるものである。この本は、第一部聞き書き、第二部背景についての論文集を載せることで、歴史書になっていると言える」とまさに絶賛とも言うべき推薦の言葉でした。
 また「日本軍の手から逃げられるものとは思わないが」と前置きしつつ、「纏足が女性の自由を奪っていた事実」に、彼女達の生活空間が見えるとも語られました。そして、駒野陽子さんから、研究会代表の石田米子さん(岡山大学名誉教授、歴史学)に贈呈されました。
式後の受賞記念講演は、石田さんによる、出席された執筆メンバーの紹介から始まりました。
そして、本のもう一人の編者内田知行大東文化大学教授から、研究会は「中国における日本軍の性暴力の実態を明らかにし、賠償請求裁判を支援する会(略称:山西省を明らかにする会)」が活動を続ける中で発足したもので、いわば二人三脚での歩みだったと、その性格説明がありました。また、内田さん自身は、中国現代史が専門だが、この研究会に関わることで、文献資料に立脚して歴史を語ることの危うさを知ったと語られました。被害女性たちの話を聞き、それを裏付ける資料を探したが、そうした資料はなかった。つまり、記録というのはその当時の人々の問題意識の反映だということに思い至ったというのです。それから、文献資料では、日々食べているもの、生活がわからないとも言われた。内田さんは、黄土の村々に行く前は、とうもろこしの饅頭(マントウ)を食べているのではないかと想像していたが、現地に行ってみると、からす麦の素うどんが昼食だったように、記録されていないものがあることがよくわかったそうです。
石田さんは「山西省性暴力被害女性の尊厳回復への道と私たち」というテーマで話されました。
「本の主人公は、他の地域の被害者と同様に50年の沈黙を破って発言し始めた大娘たちです」という言葉から始められ、「10年を経た今日、本来ならもう解決のときのはずですが、かき消されそうになっている」と続けられたのでした。「私たちの責任なんですよ」という石田さんの気持ちが伝わってきて、ずしりと応えました。
執筆者は14人ですが、現地調査には計50人近い人が行っており、通訳をしてくれたり、テープを起こしてくれた人も10数人に上るということでした。女性が多いけれど、男性もおり、若い人から高齢者までいる、こうした多様な人が関わったのはなぜか。なによりも被害女性が、様々な条件下で、カミングアウトし、訴えることで生きようとしている、その存在に圧倒されたからだと言います。
最初の出会いは、92年に被害を訴えて来日した万愛花さんの話に圧倒された石田さん達が、もっと詳しく聞きたいと黄土高原の東端を96年10月に訪れたときからだそうです。当時は日本人が農村に入ること自体が難しく、中国人の協力者もなかったと言います。(山西省孟県の農村へは、関空から、北京か上海を経由して太原市に飛び、そこからマイクロバスにゆられて早くて3時間かかる)年2回2年の現地調査を繰り返すうちに、98年10月東京地裁に提訴することになり、裁判を支援する会を作り、さらに実態解明をする研究会を発足させたのだそうです。
 この裁判に関わる中では、被害者個人の問題に即してやる、個別性にこだわる、そのためにはとにかく「向き合って話を聞こう」という姿勢を通したと言います。被害者は、存在そのものが恥という認識の中で生きてきており、当時を知る村人たちも同情はしつつもそのことには触れないので、夫にも話せないまま死んだ、娘が子どもを産むときようやく話したなど、沈黙を強いられてきたわけです。「苦しみは被害であって責任はない」という認識に立つまでには相当な期間と対話が必要だったようです。今、原告10人を支えているが、その10人が互いに知らないまま生活してきて、近くにカミングアウトした人が出ると、次第に勇気付けられて増えてきた経緯も話されました。弁護士の言葉として「人生被害」という表現を紹介されましたが、50年前の被害、過酷な経験が、その後の彼女達の一生を支配したという意味で、非常に的確な表現ではないかと思われました。石田さんの「歴史の問題であると同時に今何をなすべきかが問われている」という締めくくりは、石田さんの最初の問いかけに戻るものでした。
 その後、執筆者の一人の池田恵理子さんがつくられた、同趣旨の記録ビデオを見ました。さらには参加者の一言を聞くコーナーがありましたが、鈴木裕子さんが「加害国の一員として、女性の一人として、何も成果が出ていないことに忸怩たるものがある。申し訳ない」と言われたのが、石田さんの話とも重なり、重く受け取りました。       以上


●受賞者、作品紹介
贈呈対象者「性暴力の視点から見た日中戦争の歴史的性格」研究会・代表石田米子
対象作品『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』創土社
日本軍による性暴力被害者の裁判を支援する市民グループ「中国における日本軍性暴力の実態を明らかにし賠償請求裁判を支援する会」(略称「山西省・明らかにする会」)が、1996年以来重ねてきた現地聞き取り調査をより広い観点から深めるために、専門研究者の協力を得てつくった研究会。1999年に発足。定期的な研究会活動を積み重ね、その成果として『黄土の村の性暴力―大娘(ダーニャン)たちの戦争は終わらない』を分担執筆により作成、出版した。
 研究会を構成するメンバーは、大学に籍を置く専門研究者も含めてそれぞれ本業はさまざまであり、性別・年齢・居住地も幅広い。重層する視点から性暴力の実態と構造を明らかにし、日中戦争の見方に新たな問題提起をしえたとすれば、それはこのような会の構成と協力に由来する。
 なお、この研究会は、財団法人日中友好会館日中平和友好交流計画歴史研究支援事業から3年度にわたる研究助成と出版助成を受けた。
●推薦の言葉  加納実紀代
ああ、やっと…。『黄土の村の性暴力』を読み終わったとき、私は感動をもってそう思いました。女性史成立以来、「女性史とは何か」がつねに問われてきましたが、この本こそはその答えです。女性史は男性史の補完ではない、女性の痛覚に根ざし、歴史学の知のシステムそのものを問い直すものだ―とはいうものの、それを具体化するのは非常に難しい。しかしこの本の著者たちは、日本軍による性暴力被害中国女性の痛覚に向き合い、よりそい、その声に真摯に耳を傾けるなかから、これまでとはまったく違う日中戦争史を描き出しました。それは日本側の歴史学はもちろん、中国側の輝かしい抗日戦争正史の欠落をも明らかにするものです。
この本は、中国山西省の黄土の村を襲った日本軍の性暴力について、被害女性や周辺の人びとの証言を集めた第1部と、その背景についての論文集からなっています。それのよってこの問題を、主観と客観、個別と全体を総合する重層的・構造的なものとして明らかにしていますが、とりわけ興味深いのは、被害は日本軍占領当時に限られるものではなく、のちのちまでも個々の被害女性はもちろんその家族や地域社会全体にまで根深い影響を及ぼすものであることを明らかにしたことです。これはこれまでのいわゆる「従軍慰安婦」研究にはないあらたな視点です。
 そのために著者たちは交通不便な黄土の村に18回も足を運び、被害女性との交流を深める中で「出口気」(長い間の胸の中のわだかまりを吐き出す)を促しますが、その過程で著者たち自身も研究者としてのみずからを問い直し、既成の歴史学のの限界を突破していきます。その意味でこの本は、現時点における女性史の到達点であると同時に、歴史学総体に対する鋭い問題提起の書といえるでしょう。あらためて著者たちの労苦に感謝するとともに、男性研究者にも広く読まれることを願ってやみません。

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2011年5月12日木曜日

労農派の歴史研究会再開のお知らせ

日時 5月18日
会場 労働者運動資料室
テキスト 新中期路線
レポート 善明建一

<再開のご挨拶> 山崎耕一郎
 思いがけぬ事故で、学習会が中断してしまいました。雨上がりの下り坂の道路を自転車で走っている途中で転倒し、頭を打ったので、2週間ばかり、順天堂医院に入院してしまいました。おまけに、心臓弁膜症の手術をした後、ワーファリン(血液サラサラにする薬)を飲んでいるので、脳内に出血した血液がなかなか消えません。2 7日にも入院して、脳内に残っていた血液をぬいて、やっと終わりましたが、また血液がたまる可能性も残っているそうですが、一応は、元通りになりました。
 テキストに選んだ資料は、70年代の社会党では、よく使われた文書です。70年の闘争を背景にして議論されたこの文書は、社会党の国会闘争ではよく話題になり、政権構想を議論するときにも使われました。文書の作成には、社会党本部の社会主義協会員が熱心にかかわり、思い入れが強かったものです。私(山崎)は、当時は社青同運動で頭がいっぱいだったので、あまり熱心には読まなかったのですが、党本部の人たちとの議論では、よく話題になりました。
 当時の社会党は、総評と連携して、政権の獲得に意欲的であったし、力量もありました。この頃の総評は、左派の影響力が強かったし、国会議員が出身の労組や所属県本部よりも右この思想の人が多かったので、主張も政策も、なかなか筋が通っていました。90年代以降の、労組出身議員の雰囲気とは、かなり違っていたと思います。「55年体制」を象徴する文書と言っても良いと思います。
 冷戦が終わり、新自由主義が世界を蔽った時代とは、まったく雰囲気の違う時代でした。90年代には「階級闘争のあった時代」は過去のものとされていましたが、その新自山主義 (市場原理主義)も勢いを失っていて、また新たな時代に入りつっあります。どういう時代になるか、期待を持ちながら、歴史と現代との比較を行いたいと思います。

*山崎耕一郎さんは文中にあるように事故で2月下旬から入院されていましたが、現在は退院し活動に復帰されておられます。(管理人)

2011年5月11日水曜日

移転のご挨拶

労働者運動資料室HP管理人です。これまでの「管理人より」が母体の「さるさる日記」の廃止決定により維持できなくなるため、新たにブログ形式で移転、新規開始することにしました。 基本的な内容はこれまでと変わりませんが、ブログでは千字という字数制限はなくなります。また画像も掲載することができます。
 コメントもつけられるのですが、現在の状況を考え、当分の間コメント不可にします。 今後ともよろしくお願いいたします。

これまでの「管理人より」
http://www4.diary.ne.jp/user/447206/