2012年8月28日火曜日

労農派の歴史研究会第141回例会報告

レポートのなかに、64頁の「労働者階級の歴史的任務の実現・・・『構造改革論』はこ
れにこたえる理論?」となっている部分が、若干、話題になりました。清水慎三が、構造
改革論をどう評価していたかということです。

 構造改革論は、最初の問題提起としては大酒運動を起こしながら国家の構造を改革して
ゆく路線として、提起されました。そして当時の社会党青年部幹部には清水理論信奉者が
多かったのですが、この人たちの多くが、「選挙に勝つには佐々木より江田が良い」という
理由で江田に傾き、同時に江田が提起した構造改革論にも扉いたという経過があります。
だから構造改革論の推進者には、「清水門下生」と称する活動家が多かったのです。清水慎
三自身も、この本を書いた61年の時点では、提起されたばかりの構造改革論を、好意的
に評価していたと思います。

 ただその後、構造改革論は急速に変質してしまいました。「三池のように、立派に闘って
もつぶされるような目に会いたくないjという人たちに支持される路線になってしまった
のです。当時の日本資本主義は高度成長期でしたから、徹底抗戦しなくても、体面を保て
る程度には、労働条件と労組の立場は守れたのです。そういう路線としての評価が定着し
てしまったため、もともとの構造改革論者は、離れてしまうという傾向もありました。
 社会党・総評系の運動においては、いつでも「タテマエとホンネ」の区別が難しいので
すが、この構造改革論についても、それが言えます。

 炭労が三池闘争後に行なった政策転換闘争(石油への転換をせず、石炭産業の維持を主
張)については、われわれも高く評価していますが、構造改革論者も「自分たちの理論の
実践である」と評価しています。闘争の成果で、炭鉱のあった自治体では、閉山の後も国
からの支援が手厚く、労働者や地場産業が守られていました。強力に闘えば、そういう成
果が残るものだという勉強になります。

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http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/rounouha.htm

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