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三池炭鉱炭じん爆発50年展~むかし炭鉱、いま原発
日時:10月25日(金)~28日(月)10時~17時
場所:ひと・まち交流館京都
京都市下京区河原町五条下る東側 tel:075-354-8719
講演:10月27日(日)10時~12時
●命を守る闘い
宮脇好光さん(炭じん爆発被害者・元三池労組員)
●福島から自主避難して
加藤祐子さん(子ども・被災者支援法を考える会・京都)
入場無料
主催:三川鉱炭じん爆発50年展実行委員会
協力:大牟田・荒尾がんばろう会
「三池の黒い煙」と「フクシマの白い煙」が問いかけるもの
1963年11月9日に起きた三井鉱山三池鉱業所三川鉱(福岡県大牟田市)の炭塵大爆発から今年は50年の節目を迎えます。社会は豊かになり発展したと言われますが、働く者の雇用と安全、そして生活は守られてきたのか、当時と比べ現在はよくなったのか。自身、派遣労働者として7年間働いてきて、いま自問することであります。
折りしも2年前の2011年3月11日、東日本大震災による地震・津波の被害を受けた福島第一原発が爆発事故を起こしたことにより、原子力発電所の安全が、単に「神話」でしかなかったことが暴露された形になってしまいました。テレビニュースで観た福島第一原子力発電所爆発の際の白い煙は、50年前の三川鉱炭重大爆発の際の黒い煙となんら変わっていないのではないか、と。
炭塵爆発で、かろうじて助かりながらも、CO(一酸化炭素)ガスで被災した炭鉱労働者に、会社や国は「さほどの影響はない」という言葉を繰り返しました。それだけでなく。その後も容態がいっこうによくならない患者に対して、会社や国は、補償ほしさの「詐病」とまで言い出す始末でした。いまだに80数人のCO患者(福岡労基監督局把握)がいるにもかかわらず、です。
それと同じようなことが今また福鳥第一原子力発電所事故で繰り返されているのではないか。「直ちに影響はない」-そう繰り返された政府発表に、逃げ遅れた多くの住民が放射能汚染にさらされることになりました。その後の補償もいまだ充分になされていません。そればかりか行政は、除染が充分でない地域に帰還させる政策を取り、これに応える住民と反対する住民とが分断している有様です。かつての炭鉱町においても、住民が分断、いがみあった歴史がありました。このように行政による分断政策が今昔繰り返されている現実。
悲惨なのは住民ばかりではない。原発で働く労働者もまたしかり、なのです。放射線被ぱくで危険だとわかっていても、そこで働かざるを待ない派遣労働者たち。そこには炭鉱から流れて行った人たちもいる。そのことは、働く者の雇用と生活がいまだ充分に保障されていないことの裏返しではないのか。「危険を承知で来るのだから、少々の被ばくぐらいで文句を言うな」。自己責任として労働者に何もかも押し付ける労務政策。それが今の雇用と安全の実態ではないのか。何も社会はよくなっていない。
石炭と核エネルギーの違いはあっても、どちらも独占資本と国が犯した罪は大きく、三池は会社責任があいまいにされ、そして再び、電力会社の責任もあいまいにされようとしていること。そのためにも、50年前九州の片隅で起きた三池炭鉱大爆発事故の出来事を伝えなければならないと思うのです。
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