2011年5月30日月曜日

第27回山川菊栄賞

●第27回山川菊栄賞授賞式報告
第27回(2007年度)山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の贈呈式が、1月27日(日)午後、東京都港区にある「女性と仕事の未来館」で行なわれました。
今年の贈呈対象が中村桃子さんの『「女ことば」はつくられる』(ひつじ書房)であることは既報の通りですが、中村さんは、関東学院大学経済学部教授として英語を教える一方で、言語学者として、「ことばとフェミニズム」、近年は「ことばとジェンダー」を研究されています。それを和光大学で講じておられる関係で、女性学の研究者や女性運動の活動家とともに、中村さんの薫陶を受けている若い学生さんたちが参加しました。
 贈呈式は、いつものように選考委員のみなさんで分担して進められました。浅倉むつ子さんの司会で始まった式は、最初に重藤都さんから、奨励金の経緯と趣旨が山川菊栄の人となりとともに説明されました。(この式に何度も参加している人は、研究会のなりたちや山川菊栄の人柄を語られていた菅谷直子さんの姿が無いこと―06年暮れ逝去―に歴史を痛感されたことと思います。)
 次に選考委員長の井上輝子さんから、2007年度の対象となった著作には歴史分野のものが多く、しかも占領期の政策を取り扱った若い研究者の著作が目に付いたとの講評がありました。最終選考に残ったのは今田絵里香さんの『「少女」の社会史』と乾淑子さんの『図説 着物の柄に見る戦争』と中村桃子さんの作品であり、全員一致で中村さんの著作が選ばれたと経緯が話されました。
 そして有賀夏紀さんから「女ことばの生成過程を明らかにするに止まらず、国家とジェンダーの関係を明らかにしたスケールの大きい国家論になっています」との推薦の言葉がありました(別に掲載)。
受賞者中村さんのスピーチは、参加者の中には対象作品を読んでいない人たちも多かったと思われますが、話術の巧みさもあって、全員を「桃子ワールド」に引き込んでしまった感がありました。ご自身が研究を深められてきた経緯を次のようにまとめられました。
時と場合によってことばは違う。変わることが前提ならば、言語は創造的に変えられるのではないかと考えた。すると、「女ことば」が自然にできたものなら、使えとのしつけはいらないはずだが言われ続けていることからすれば、一つは<規範の役割>を果たしているのではないか。二つ目に、ここ150年ずっと「女ことば」の乱れが嘆かれているが「それはなぜか」と考えると、背景に「使われていたはず」との思い<信念>があるのではないかと思い至った。三つ目に、地域語いわゆる方言を話す人たちも「女ことば」を知っているのはなぜかと考えたら、メディアから学んだ<知識>だ、という構図が見えてきた。つまり、「女ことば」は、意図的にジェンダーと結びつけて使われ、維持されてきたものである。
スピーチ後の質疑の冒頭では、鈴木裕子さんから「山川菊栄は1920年代にキミとボク問題を書いている。また戦中から誰に読んでもらうかということを念頭において平明なことばで書くことに努めた。漢語を使うのは男の特権とも書いている」と話されました。
 続いて参加者から、教科書に見る「女ことば」の事例、方言のなかに混じる不自然さが話されるなど、中村桃子さんの説を共有し、より深めることができた気がしました。


●推薦の言葉―有賀夏紀
中村桃子さんの『「女ことば」はつくられる』は、構築主義の立場から日本における「女ことば」の生成、普及の過程を、鎌倉・室町・江戸時代から現代に至るまで示した研究ですが、それにとどまらず、国家とジェンダーの関係を明らかにしたスケールの大きい国家論になっています。日常使っていることばのあり方が国家のあり方によって規定され広められ、また逆にことばのあり方が国家のあり方をつくるという言語と国家論の相互作用について、なかむらさんは国内外の膨大な資料を駆使して議論を展開します。議論はオリジナリティや意外さも含み、ものの見事というほかありません。ここではその議論をごくかんたんに紹介します。
 国家が言語をつくること。近代国家の統一のために言語の統一がはかられてきましたが、日本においても明治期に国語の確立がなされました。本書は天皇制家父長国家の下で男性の言葉が国語としてつくられ、その際女ことばが国語から排除され、第二次大戦中の女の国民化とともに女ことばが国語に取り込まれていったことなど、つまり、ジェンダー化された国家がジェンダーかされた言語をつくり出すことを解き明かしています。
 言語が国家のあり方をつくること。中村さんはここでオリジナルな議論を展開します。それは特に、日本帝国主義の植民地支配における女ことばの役割に関して見られます。この問題提起はとてもしんせんで、どのような論が展開されるのか私は非常に興味深く読みましたが、資料で根拠づけられた説得力のある説明は衝撃的でした。日本の優位を示すとされるようになった女ことばの存在が、「優秀な日本」による植民地支配を正当化したことがよくわかります。
そしてこの本は、グローバル化の下で多民族の平等な関係を主張する多文化主義が広がる今日の国家と言語の関係を考える上でも重要と思います。必ずしも単一の言語を国家ないし地域共同体統一の必要条件とはしない動きも出ているなかで、ジェンダーの視点無視されているように見えます。日本語と国家の関係がジェンダーによって規定されてきたことを示した中村さんの研究は、現在、そして今後の国家のあり方を考える上での大きな示唆を、特にジェンダーの視点から与えてくれます。
以上の理由から、中村桃子さんの著書『「女ことば」はつくられる』を山川菊栄記念婦人問題研究奨励金受賞作品として推薦できることを嬉しく思います。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/yamakawakikue.htm

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