はじめに、お詫び。前回、案内状を出すのを忘れたまま、予定していた1 1月1日の研
究会の直前になってしまい、あわてて電話連絡をして済ませてしまいました。そのために
第14 4回学習会の案内状は出されず(学習会は無事終了)、これが次の第14 5回学習会
の案内状ということになります。
幡野さんの報告は、都立高校の職場での、教育労働問題研究会と結びついた日教組運動
の報告でした。勤評に象徴される権力側の日教組つぶしの攻撃に耐え抜いて運動を継続さ
せてきた強さの一面を学ぶことができました。
私自身の記憶では、勤評闘争が始まったとき、小・中・高校で教えを受けた先生だちと
あの激しい闘争とが、なかなか結び付かなかったのですが、組織内部の苦労はたいへん大
きかったのではないかと思われます。勤務評定が始まった5 0年代後半は、労働運動全体
が大きな力をもっていたし、その中で日教組が果たした役割も大きかったのですが、それ
だけに政府・資本の側の攻撃も烈しく、組織の切り崩しも強烈であったと思います。
都高教においては、教育労働運動研究会による学習活動を組織内に浸透させながら闘っ
たという特徴があったことが、良く判りました。組織の中枢にいる幹部が、学習活動にも
熱心であったところが、成功の大きな要因であったと思われます。
以前に、国労や全逓の運動についての話を聞いたときにも、仕事の上でも周囲の人から
一目置かれるような人が権利を主張すれば、当局側も認めざるを得なかったと言われまし
た。仕事の面で中心になるような人たちが権利意識をしっかり持つようになることで、労
働者の権利が定着したわけです。昭和50年代、60年代の労働運動においては、そうい
う人たちが、分会長、支部長をしていたので、強い力を発揮できたと言えます。今は、労
務管理や、コスト削減の圧力が強いので、職場で権利を主張するのも大変だと思いますが、
頑張ってほしいと思います。
労働運動が立ち直るには、まだ前途遼遠でしょうが・・・。
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http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/rounouha.htm
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