連合春闘が始まった90年代というのは、ソ連が崩壊して、資本主義内部の競争が残った時代であった。当時はそういうことはあまり意識しては考えなかったが、資本主義内の競争ということは、コスト削減をめぐる競争が厳しくなるということであった。したがって、賃金闘、争は非常に取り組みにくくなるということであった。
連合、各産別、というよりその実権を握る個別大企業の労資は、賃金闘争をやりたくないのは当然である一一企業としては、他の企業の労働者が賃上げをして、製品を買ってくれるのは歓迎だが、自分のところはその分だけコスト削減をしたいのがホンネだー-だから春闘を継続しようとする人たちは、様々に工夫しながら、単産、単組に働きかけていたようだ。ところが、この章に、ていねいに書かれているように、そうやって苦労しても、獲得できた賃上げは、その前の時代に比べると、額も率も小さい。だから実際に現場で苦労していない人は、「だから連合はだめだ!」と批判したがっていた。
私(山峙)も、最近になってとくに強く感じるようになったのだが、60年代、70年代のように、企業も高度成長するが労働者も大幅賃上げが当たり前というのは、資本主義のなかでも条件の整ったところでだけ実現するのだ、ということである。そのなかで誰が偉いとか、立派だということではなく、そういう特殊な条件にある資本主義で起こる現象なのである。現在、「成長政策」というようなことを言っている人たちは、みんな「うまくやれば60年代、70年代と同じような高度成長をできる」と、本人が思うか、そう思っている人たちに圧力をかけられて、四苦八苦しているのである。
そういう条件を再現できれば良いが、そうならないときは、毎年わずかづつでも賃上げが出来るのなら、それを長期間継続することを考えた方が良いのである。90年代、2000年代と、労組幹部が賃上げに努力して、ささやかな要求でも値切られてしまうようだが、それを継続して、少しでも正当な賃金獲得に近づいてほしい、と考える他ない。
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