*本年3月1日に行われた山川菊栄賞授賞式報告が、当資料室中村ひろ子理事より届きました。また推薦の言葉も届きましたので、併せて掲載します。中村理事の報告はもっと早く届いていたのですが、管理人が中国に行っていたため(中国では当ブログは読めない)、掲載が遅れました。 早々に原稿を寄せていただいた中村理事にお詫びいたします。
第33回山川菊栄記念婦人問題研究奨励金の贈呈式が、3月1日、江の島にある神奈川県立かながわ女性センターで行われました。
まず選考委員長の井上輝子さんから、今回は41冊が推薦され、その中から3冊に絞られ、丸山里美さんの『女性ホームレスとして生きる―貧困と排除の社会学』に決まった経過が説明されました。そして、この本が選ばれた理由を次のように話されました。
野宿者を問題にするとき、かつては福祉の対象者として扱い、近年は主体的存在として扱うようになってきたが、丸山さんは「女性のホームレスが少ないのはなぜ?」と掘り下げていき、簡易宿泊所等に入っているのも、住み込みで働くのもホームレスと定義した。多くの対象者に接する中で、野宿か施設かを決めるのは「自立した存在」とする男性の視点では女性ホームレスが見えてこない。人は、特に女性は最初から自立した存在ではなく、他者との関係で主体形成ができる、のだと気づき、女性ホームレスの実態を描き出すことに成功した。
こうした評価は、有賀夏紀さんの「推薦の言葉」に詳しいので参照してください。
その後、丸山里美さんが「貧困女性の声を聞く」というテーマで記念スピーチをされましたが、その訥々とした話口は誠意が籠ったものであり、当事者の声を聞く際に、警戒心を持たせることなく、心の内を吐露させるのに力があったんだろうなと感じられました。
大学時代、西成を訪れ、週1の炊き出しボランティアをしながら卒論をまとめた。一方的に好意を示す人がいて、恐怖から西成に行けなくなった。女性であることを痛感するとともに、救済対象者だからということで躊躇した面もあったのだが、とにかく「研究は失敗」と自分を責めた。やがて、私は行かないことで済むが、そこから逃げられない人はどうするのだろうという問題意識を持った。野宿者の3%しか女性がいないというが、なぜか、というのも疑問だった。さらに、研究者が社会病理から見て「改善する客体」と見ていたり、逆に「ホームレスだって一所懸命働いている」としたりすることにも違和感があった。「働くことが期待されていない」女性はどうしているの?女性野宿者に聞いてみたい、と再び路上生活者に接点を持ち始めた。最初の一年は、何も聞けないまま、ボランティアをした。次の一年はいろいろ聞いてみたものの、よくわからなかった。…ホームレスが生まれる社会構造、どう生きているのかの事例、なぜ女性が排除されているのか、をまとめた。アメリカのエスニック研究者が「男性は可愛そうと思われず街頭に残されるが、女性は施設に入れる。反抗的な女性だけが路上に」と分析しているが、ジェンダーを実践としてとらえないと、間違える。「女性ホームレスはこういう人たちです」というのも間違いだ。
この後、事例にあげた女性との関わりにふれて、話はおわりましたが、研究にたどり着いた経過をこのように赤裸々に語った人を始めてみたので、びっくりしました。
推薦の言葉 有賀夏紀
丸山里美『女性ホームレスとして生きる』はユニークかつ重要な研究であり、三つの点で大きな成果を上げている。第一は女性ホームレスという、社会でも研究の上でも無視されてきた人々の実態を明らかにしていること、第二は女性ホームレスに焦点を当てることで、従来のホームレス研究の男性中心の枠組みを問い直していること、さらに第三に、これまでの研究の前提となってきた人間の「主体」の概念を覆していることである。極言すれば私たちがこれまで考えてきたような「主体」の否定は、ホームレス研究だけでなく、私たちの生き方、研究にも大きな影響を及ぼすだろう。非常にスケールの大きい研究である。
女性ホームレスの実態は、学生時代から14年もの間ボランティアとして、また研究者としてホームレスないしその周辺の人々と共に過ごした丸山さんにしかつかみ取れなかっただろう。彼女たちの話や丸山さんの観察・経験をまとめ、一人一人の心の中にまで入り込んで描き出す記録は貴重であると同時に、感動的で読み応えのある物語になっている。
本書はなぜ女性ホームレスが日本では少ないのだろうという問いから発し、ホームレス研究にメスを入れていく。まず「ホームレスの定義」。野宿だけでなく施設や簡易宿泊所居住、住み込みなど野宿との行き来が行われる形態も含め広義にとらえ直すことによって女性ホームレスが見えてくる。また、日本の労働市場や近代家族が女性世帯形成を難しくし、家なし女性を少なくすることを指摘する。そのとき、福祉制度の再検討も行っている。
女性ホームレス研究の不在の重要な要因となってきた、男性中心のホームレス研究の「自立した主体」を前提とする枠組をとりあげ、この枠組が女性ホームレスを不可視化してきたと論じる。この主体性の議論が本書の核心と言えるだろう。
ジュディス・バトラーのジェンダー論やキャロル・ギリガンの「ケアの論理」をホームレス研究に適用し、主体性に関する議論を鮮やかに展開している。野宿か否かを選択するに際して個人としての自立した主体を前提にするのでは女性ホームレスをりかいすることはできないと、丸山さんは言う。選択は主体的な個人が行うのではなく、他者との関係や次官の中で変化していくプロセスとして存在し、朱値はこのプロセスにおける実践を通して現れるというのである。このことはホームレス女性たちの生々しい事例によって検証される。
ホームレスを客体としての人間ではなく主体としての人間としてその抵抗や自立に注目する近年のホームレス研究は一定の評価はできるものの、男性の視点からの研究であり女性ホームレスの存在を隠すか、あるいは実態の把握を阻むことになる。この視点が、また売春婦が自立したセックス・ワーカーと規定する議論につながるとも指摘する。本書における、他者との関係において形成されるとする主体、自立、選択の論理は広く他の問題にも有効に使うことができるのではないだろうか。
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