*以下の追悼文は、佐藤優さんが2月18日の「山﨑耕一郎さんを偲ぶ会」に寄せられた追悼文です。当日、司会の中村ひろ子さんによって読み上げられました。佐藤優さんの同意を得て当ブログに転載します。転載を快諾された佐藤優さんに厚くお礼申し上げます。
山崎耕一郎さんを偲んで
山崎耕一郎さんがあの世に旅立たれ、とても悲しいです。
私が日本社会主義青年同盟に参加したのは、埼玉県立浦和高校2年生のときでした。当 時、高校生の社青同同盟員はひじように少なかったと思います。社青同委員長の山崎耕一郎さんは、私たちにとって「雲の上」の人でしたが、ビラを作成するときには、社青同解放派、社青同全国協と区別するために社青同(山崎耕一郎委員長)と書いていました。そ れだから、高校生時代に鉄筆で山崎耕一郎という名前を数百回書いています。
その後、私は無神論に関心を持つようになり、同志社大学神学部に進みました。この神学部は、洗礼を入学の条件にしておらず、唯物論研究も歓迎するという姿勢を取っていま した。私はプロテスタント神学に魅了され、キリスト教の洗礼を受け、世界観も唯物論から観念論に変わりました。大学2回生のときに社青同からも離れました。ただし、社青同時代の活動、学習は、人生の基盤を作りました。そのことは、外交官時代も、職業作家に なった現在も、いつも感じています。
山崎さんを私に紹介してくださったのは、元共産党のゲバルト部隊「暁行動隊」のキャップで、その後共産党を離れ、アウトロー作家となった宮崎学さんです。山崎さんと私は波長がひじょうに合い、 21世紀に労農派マルクス主義の伝統をどう活かすかという課題に共通して取り組みことで意見が一致しました。その成果の一つが、山崎さんとの共著『マルクスと日本人一社会運動から見た戦後日本』(明石書店、 2015年)です。この本を読んでいただければ、労農派マルクス主義、社会主義協会の伝統に立った革命家・山崎耕一郎の真髄がわかります。
私は、別の道を歩むことになりましたが、山崎さんの生き方を尊敬しています。山崎さ んの早すぎる死をとても残念に思います。同時に私なりに山崎さんの理念、遺志を消化して、この世界が少しでもよくなるように努力したいと思います。
山崎耕一郎さん、天国でゆっくり休んで下さい。
2018年2月18日
佐藤優(作家・元外務省主任分析官、同志社大学神学部客員教授)
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