2011年7月9日土曜日

労農派の歴史研究会第130回例会報告

 前回は、「新中期路線」の「1~3」のレポートをうけ、70年前後の社会党の運動や党
内の議論について、勉強しました。当時の社会党は、政権獲得への意欲をもって、こうい
う文書を作成した。
 60年代の諸闘争、70年闘争を総括して、70年代の政権につなげようという意欲は見え
る。当時、高度成長に伴って新たに出現した公害、物価、過密・過疎の問題なども指摘さ
れているし、アジアの情勢や中ソ論争など情勢も、だいたい特徴的なところはとらえてい
るように見える。にもかかわらず、この時期の社会党は、支持が漸減傾向であった。レポ
ートの中でも指摘されているように、労働運動が後退したからである。

 とくに民間大企業労組は、反ソ・反共的であった。 IMF・JCに組織された金属産業労組
を中軸に、社会党の影響圏外の労組が、運動上、大きな力をもってしまい、実質的に社会
党離れをしてしまっていた。そしてこの点は、この新中期路線の中で、ふれられていない。
当時の社会党本部は、労働運動の中の問題について、ものを言ってはいけなかったのであ
る。だから、労働運動のなかの反ソ・反共的傾向の問題点は、この文書だけでなく、社会
党の他の多くの公式文書の中でもふれられない。しかし労働運動の右傾化・社会党離れと
いうのは、他のどんな問題よりも大きく、社会党政権の実現を困難にしていた。

 社会主義協会や社青同は、労働運動の右傾化を批判することを、誰にも禁じられてはい
なかった。しかしその批判は、なかなか労組内部には浸透しなかった。浸透しないだけで
なく、しだいに関係が希薄になり、対立するようにもなった。今から考えても、もっと上
手な方法があったのかどうかわからないが、当時の我々としては、できるだけ効果的な方
法をとろうとはしたのだが、右傾化は進行してしまった。

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http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/myweb1_008.htm

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