近着の「青年の声」によれば、社青同(日本社会主義青年同盟)第34回全国大会が10月6日-8日東京・全林野会館で開催されました。大会では29本の発言があり、同盟員の職場での働きか方、職場・労組・地域での仲間への働きかけ、組織活動の強化や組織建設に向けた討論が行われたといいます。
大会では、柏原孝行委員長ほかの役員が再選されました。また、又市征治社民党副党首、宮川敏一新社会党労働委員長、金チャドル在日朝鮮青年同盟委員長が来賓として出席、福島みずほ社民党党首、松枝佳宏新社会党委員長らが祝電・メッセージを送りました。
当資料室でも、社青同本部の同意を得た上で、大会宣言などを掲載していきます。
2012年10月24日水曜日
2012年10月1日月曜日
『社会主義』2012年10月号目次
田山英次◇東日本大震災から一年半
特集 産別大会から今後の課題を探る
松浦健二◇賃下げには大衆闘争の配置を
石崎浩◇「教育改革」で現場はどうなっているのか
江川省吾◇組織拡大を軸にJR内に国労運動を
山川藪沢◇誰が、どう支える三千万人超高齢者
角田政志◇福島の教育現場からの告発
近江守◇二〇一二人勧と退職手当引き下げ
伊藤修◇二〇一二年度『経済財政白書』評注
大槻重信◇中朝ロ三国を敵視する『防衛白書』
平地一郎◇欧州の財政・金融危機と政治・社会
村上武◇原発事故から「市民生活の再建」を求めて
多田雄平◇地域から新自由主義に対抗する砦を
東北ブロック原水禁◇国家補償で、「復興」と「脱原発」の実現を
瀬戸宏◇批評 尖閣諸島問題を巡る日中間の軋轢
西沢清◇思い出すことども 私と社会主義協会(七)
中村譲◇シリーズ 古典を読む⑱
2012年9月17日月曜日
労農派の歴史研究会第142回例会報告
「Ⅲ 社会党的政治勢力の組織的性格」のなかに労農派マルクス主義について、「革命に行かに接近していくかという移行過程の組織論と政策体系に乏しく、革命の客観的条件が熟するまで学習会を組織し、労働組合を組織し、政治的には当面の改良的政策要求を闘うことが主張されているだけである。」(110頁)という記述があり、報告者も引用していて、若干話題になりました。たしかに、われわれは学習会には熱心で、移行過程の組織論と政策体系の議論には不熱心でした。
社会党や総評の基礎的な組織(支部、総支部、労組の分会、支部など)を強くするには、学習会の継続が一番効果的でした。「移行過程の組織論と政策体系」などに熱心であると、どうしてもメンバーが偏り、広がりませんでした。清水慎三の批判に当たっているところもあったのですが、他方で、社会主義協会員が中心にいる組織が、今でも(かなり小さくはなったが)残り、清水理論の信奉者が、優秀なメンバーをそろえていたのに分解してしまったという事実を、見ておくことも必要です。
もちろん問題は二者択一ではなく、基礎的な学習や組織作りを継続しながら、移行過程の研究・検討もこなすことは必要です。現在の運動では、どちらもきわめて細くなってしまっているので、大事に育てないといけません。このあたりは、次回のテーマでもあります。
清水慎三という人は、50年代に、鉄鋼労連、総評、社会党の役員をし、その後は理論・評論活動に移ったのですが、社会主義協会、労働大学、社青同などとは「近いが、ちょっと違う」という関係でした。80年代以降にどういう考えであったかは、『社会的左翼の可能性』(発行・新地平社、発売・れんが書房新社)で、いろいろ語っています。そのなかで 「中衛(前衛でなく後衛まで後退しない)機能をもった『社会的左翼』を」と言っているので、いろいろと総括したのではないかと思われます。
労農派の歴史研究会に戻る
http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/rounouha.htm
社会党や総評の基礎的な組織(支部、総支部、労組の分会、支部など)を強くするには、学習会の継続が一番効果的でした。「移行過程の組織論と政策体系」などに熱心であると、どうしてもメンバーが偏り、広がりませんでした。清水慎三の批判に当たっているところもあったのですが、他方で、社会主義協会員が中心にいる組織が、今でも(かなり小さくはなったが)残り、清水理論の信奉者が、優秀なメンバーをそろえていたのに分解してしまったという事実を、見ておくことも必要です。
もちろん問題は二者択一ではなく、基礎的な学習や組織作りを継続しながら、移行過程の研究・検討もこなすことは必要です。現在の運動では、どちらもきわめて細くなってしまっているので、大事に育てないといけません。このあたりは、次回のテーマでもあります。
清水慎三という人は、50年代に、鉄鋼労連、総評、社会党の役員をし、その後は理論・評論活動に移ったのですが、社会主義協会、労働大学、社青同などとは「近いが、ちょっと違う」という関係でした。80年代以降にどういう考えであったかは、『社会的左翼の可能性』(発行・新地平社、発売・れんが書房新社)で、いろいろ語っています。そのなかで 「中衛(前衛でなく後衛まで後退しない)機能をもった『社会的左翼』を」と言っているので、いろいろと総括したのではないかと思われます。
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2012年9月15日土曜日
2012年9月15日HP(本体)更新
●文献・資料に、座談会・階級的学生運動の歩んだ道(1975 PDF)を掲載しました。
●労農派の歴史研究会に136回~141回研究会報告を追加しました。
約五ヶ月ぶりの更新になってしまいました。管理人パソコンの不調によるものです。お詫びします。
まだ本調子ではなく、更新も部分的になっています。労農派の歴史研究会報告も不十分です。これは後日補います。これから、またこれまで通り一ヶ月に一回のペースでの更新をめざしますので、よろしくお願いします。
「座談会・階級的学生運動の歩んだ道」は、『組織者』10号掲載のもので、35ページにも達する長いものです。1966年社青同東京地本学生班協再建から、1975年頃までの社青同学生運動の歩みを、歴代都学協書記長が座談会形式で語っています。これで社青同学生運動の歴史、理論はだいたい理解できると思います。
この座談会を全部入力・電子化してhtmlファィル化するのは、今は時間の関係で困難です。そのため、『組織者』から直接PDFファィル化しました。お見苦しいところがあると思いますが、お許しください。これで社青同学生運動の基本的文献は、転載が終わったと思います。1980年前後の筑波大学闘争関係の文献は、公開文献として残されているかどうかわかりません。保存されているか、関係者に問い合わせてみます。
2012年9月1日土曜日
『社会主義』2012年9月号目次
特集 「一体改革」は三党合意でどう変わったか
仲田信雄◇「社会保障・税一体改革」と消費税増税の問題
横田 昌三◇消費税増税と社会保障の一体改悪
内山一幸◇年金制度への安心・信頼は取り戻せるのか?
古川秀子◇子どもたちの育ちの保障は国の責任で
水沼剛◇郵政職場における「新たな人事・給与制度」
山田一郎◇NTT賃金制度の見直しについて
佐古正明◇契約社員の導入から正社員化の闘い(下)
金子哲夫◇被爆67周年原水禁大会報告
金子豊貴男◇オスプレイ沖縄配備と低空飛行訓練
大村誠◇平和友好祭中央祭典の取り組みと福島の現実
菅原修一◇『2012年度版中小企業白書』を読む
西澤清◇思い出すことども 私と社会主義協会(七)
2012年8月28日火曜日
労農派の歴史研究会第141回例会報告
レポートのなかに、64頁の「労働者階級の歴史的任務の実現・・・『構造改革論』はこ
れにこたえる理論?」となっている部分が、若干、話題になりました。清水慎三が、構造
改革論をどう評価していたかということです。
構造改革論は、最初の問題提起としては大酒運動を起こしながら国家の構造を改革して
ゆく路線として、提起されました。そして当時の社会党青年部幹部には清水理論信奉者が
多かったのですが、この人たちの多くが、「選挙に勝つには佐々木より江田が良い」という
理由で江田に傾き、同時に江田が提起した構造改革論にも扉いたという経過があります。
だから構造改革論の推進者には、「清水門下生」と称する活動家が多かったのです。清水慎
三自身も、この本を書いた61年の時点では、提起されたばかりの構造改革論を、好意的
に評価していたと思います。
ただその後、構造改革論は急速に変質してしまいました。「三池のように、立派に闘って
もつぶされるような目に会いたくないjという人たちに支持される路線になってしまった
のです。当時の日本資本主義は高度成長期でしたから、徹底抗戦しなくても、体面を保て
る程度には、労働条件と労組の立場は守れたのです。そういう路線としての評価が定着し
てしまったため、もともとの構造改革論者は、離れてしまうという傾向もありました。
社会党・総評系の運動においては、いつでも「タテマエとホンネ」の区別が難しいので
すが、この構造改革論についても、それが言えます。
炭労が三池闘争後に行なった政策転換闘争(石油への転換をせず、石炭産業の維持を主
張)については、われわれも高く評価していますが、構造改革論者も「自分たちの理論の
実践である」と評価しています。闘争の成果で、炭鉱のあった自治体では、閉山の後も国
からの支援が手厚く、労働者や地場産業が守られていました。強力に闘えば、そういう成
果が残るものだという勉強になります。
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http://www5f.biglobe.ne.jp/~rounou/rounouha.htm
れにこたえる理論?」となっている部分が、若干、話題になりました。清水慎三が、構造
改革論をどう評価していたかということです。
構造改革論は、最初の問題提起としては大酒運動を起こしながら国家の構造を改革して
ゆく路線として、提起されました。そして当時の社会党青年部幹部には清水理論信奉者が
多かったのですが、この人たちの多くが、「選挙に勝つには佐々木より江田が良い」という
理由で江田に傾き、同時に江田が提起した構造改革論にも扉いたという経過があります。
だから構造改革論の推進者には、「清水門下生」と称する活動家が多かったのです。清水慎
三自身も、この本を書いた61年の時点では、提起されたばかりの構造改革論を、好意的
に評価していたと思います。
ただその後、構造改革論は急速に変質してしまいました。「三池のように、立派に闘って
もつぶされるような目に会いたくないjという人たちに支持される路線になってしまった
のです。当時の日本資本主義は高度成長期でしたから、徹底抗戦しなくても、体面を保て
る程度には、労働条件と労組の立場は守れたのです。そういう路線としての評価が定着し
てしまったため、もともとの構造改革論者は、離れてしまうという傾向もありました。
社会党・総評系の運動においては、いつでも「タテマエとホンネ」の区別が難しいので
すが、この構造改革論についても、それが言えます。
炭労が三池闘争後に行なった政策転換闘争(石油への転換をせず、石炭産業の維持を主
張)については、われわれも高く評価していますが、構造改革論者も「自分たちの理論の
実践である」と評価しています。闘争の成果で、炭鉱のあった自治体では、閉山の後も国
からの支援が手厚く、労働者や地場産業が守られていました。強力に闘えば、そういう成
果が残るものだという勉強になります。
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2012年8月25日土曜日
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