この「社会民主党を愛する青年議員・党員からの再建に向けた真剣な提案」(以下、「真剣な提案」と略記)は発表時に一読していましたが、今回再読して社民党の現状を憂う青年議員・党員の心情に改めて強い印象を受けました。私と問題意識を共有する部分も多々あります。たとえば、「まずは離党した現職の議員に対し、「再結集」を呼びかける必要があると強く考えます。もちろんかつての党内抗争や民主党・新社会党への分裂など、過去の経過があるということを青年は承知しています。・・・過去のわだかまりを捨て、対話を通じて連帯していくというのは、まさに平和外交を信奉する社民党員の使命であると考えます。」という部分は、社民・新社が今日別の党である理由は消滅していると考えている私にとって、我が意を得た思いがしました。
青年議員、党員は社民党の現在と未来を担うものであり、私は、この「真剣な提案」は、もっと社民党の内外で注目され議論されるべきだと思いました。そのため、どれだけ効果があるかはわかりませんが、労働者運動資料室に「真剣な提案」を転載した次第です。
しかしながら、私は「真剣な提案」からかなり違和感をも感じました。デジャ・ビュ(既視感、どこかで見たなぁという気持ち)に襲われさえしました。この点を中心に、「真剣な提案」についての私の感想を書いてみたいと思います。私は、現在は各種の事情で社民党にはおりませんが、積極的な支持者であることは間違いありません。なお、この文章は私個人の見解であり、労働者運動資料室はじめいかなる団体をも代表しません。この点を明確にするために、文末に署名をつけておきます。
1.社民党には具体的な政策がないか
「「護憲平和」ばかりを訴えることは、自ら支持を減らす行為であると党全体で認識する必要があると考えます。・・・なによりも人々の生活の不安を取り除く具体的な政策体系をつくり、社民主義政党としてのイメージを確立する必要があります。」
今回「真剣な提案」を再読して、一番デジャ・ビュを感じたのがこの部分です。
社民党には具体的な政策体系がないのでしょうか。そんなことはないと思います。
社民党の最も新しい政策集は、「真剣な提案」の数ヶ月前に出された2010年参院選公約(マニフェスト)です。ダイジェスト版、総合版とも、現在も社民党HPからダウンロードできます。生活再建のための政策が相当に体系的に提起されているという印象を受けます。
特に今回マニフェストを通読して再発見したのは、このマニフェストは決して「護憲平和」ばかり訴えてはいない、ということです。一般有権者向けダイジェスト版マニフェストは、A4版7ページの分量ですが、憲法に関する部分は01平和・人権の「平和憲法の理念を政治にいかします。「憲法審査会」を動かしません。」という一行半だけなのです。護憲という字句は、ダイジェスト版、総合版を通して一回も出てきません。平和についてはかなりの字数が割かれていますが、これはこの参院選の焦点の一つだったから当然でしょう。しかし、平和に関する部分も、全体の一割にも達しません。マニフェストには、しごと、社会保障、子ども・若者・女性、教育、地方分権、農林水産業、グリーン(環境)、公平な税制、クリーン(政治倫理)の各項目にわたって、具体的政策が列挙されています。マニフェストをみる限り、社民党は「護憲平和ばかりを訴える」、というのはまったく的外れなのです。
このマニフェストは良いがそれが党内に定着していないから問題なのか、それともこのマニフェストには致命的な欠陥があるのか、「真剣な提案」は何も触れていません。
思い返せば、「政策がない」というのは社会党時代から繰り返し投げかけられてきた批判でした。しかし、たとえば1954年決定の「左社綱領」をみましょう。この綱領は「恐慌待望論」を定式化したとして評判の悪いものですが、実際には第二部で綱領全体の三分の一を使って当時の日本の情勢にみあった政策が提起されています。(左社綱領が恐慌待望論というのは間違いだと私は考えていますが、この点は今は触れません)
社会党はよい政策文書を作るが、作ったとたんに棚上げされ忘れられてしまう、ということも、昔から言われていたことです。「真剣な提案」をみると、この社会党の“伝統”は社民党にも引き継がれているように見えます。「真剣な提案」当事者がそうなのではないでしょうか。
これでは、もし仮に「真剣な提案」起草者が社民党本部の政策作りに関与するようになり、理想的な政策文書ができても、たちまち党内で棚上げされてしまうと思われます。
政策に関しては、「真剣な提案」と同時に転載した大隅保光「社会党はなぜ解体を余儀なくされたか」6「日本社会党は独自の調査、分析で情勢に対応できなかった」をぜひ読んでください。末尾の「議員が政策づくりに使う資料はほとんど自治体側からでてくるものであった。そのために議員から関係職員への資料提出要求が激しく、それも急であったり、思いつき的であったりで、職員からは嫌われるタイプになり、仲間だからと笑ってすませない現象も少なくなかった。演説をしたり、行政側を攻撃する力はあったが、政策づくりは不得意であった。」という部分は、今日の社民党ではもう無縁になっているのでしょうか。
2.「正しさの主張」と「現実からの出発」は対立するものなのか
「社民党は自らの「正しさ」を主張する前衛党ではなく、人々の不満や不安を出発点とする政党のはずです。」と「真剣な提案」にはあります。この部分にも疑問があります。
自称前衛党は別にして革命を成功させた本物の前衛党は、少なくとも革命前は自らの「正しさ」を外部に対して一方的に宣伝などしていません。革命前のレーニンや毛沢東の論文を読めば、いかに人々の不満や不安を出発点にしなければならないか、噛んで含めるように丁寧に書いてあります。現実の目の前にいる「人々の不満や不安」を無視して「高邁な理論」を語って自己満足することは、レーニンや毛沢東が最も忌み嫌ったものです。
一方、現実を重視する西欧社会民主主義政党であっても、私の知る限り決して「正しさの主張」を否定していません。もし単に現実から出発することだけをよしとするなら、人々の不満や不安をとりあえず解消する最も手っ取り早い方法は時の政権に訴えて当座の解決策を実行させることですから、限りなく政権党に擦り寄っていくことを自己目的化するようになるからです。
「正しさの主張」と「現実からの出発」は、決して対立するものではなく、政治運動、社会運動をする者が車の両輪のように常に意識していなければならないものだと、私は思うのです。
もし、現状の社民党が「正しさの主張」のみの政党だとしたら、それは政党のあるべき姿からの逸脱です。これも社会党時代から言われていたことです。この点についても、大隅保光「社会党はなぜ解体を余儀なくされたか」がある程度の分析をしていると思います。
「真剣な提案」には、「同質で異質なものを排除する「美しい」組織は必ず衰退します。」という表現もあります。現在の私は社民党内にいないので、社民党に「異質なものを排除する」傾向があるのか、わかりません。社民党の活動家と接している限りでは、そのような傾向は認められません。逆に異質なものをできるだけ吸収しようと努めているように思います。ただし成果は残念ながら必ずしもあがっていないようですが。この点も、もっと現実に即して具体的に述べてほしいと思います。
3.「よそもの」ということ
「高齢化・過疎化した地域を活性化するのは、「よそもの・若者・ばかもの」だとよく言われます。」と「真剣な提案」は述べます。私も地域文化論を勉強したことがあり、町おこし、村おこしの中心になっている人に「よそもの」が多いのは事実だと思います。
しかし、「よそもの」で地域の中心となった人をみていると、地元本来の住人以上に地域事情を勉強し、その地域の問題について精通しています。だからこそ、その地域で信頼を集めるようになるのです。
翻って、「真剣な提案」はどうでしょうか。社会党、社民党の過去の歴史について充分に勉強し、問題が生じる原因を把握しようとしているでしょうか。社民党になってから党活動を担うようになった人からは、しばしば「社会党時代のことは知らない」という声を聞きます。知らないのであれば、勉強すればいいのではないでしょうか。その教材はいくらでもあります。「よそもの」「外国人」の視点でその集団の問題点を指摘するのは大事なことですが、「よそもの」に留まり続けては実効ある方針を打ち出すことはできません。「真剣な提案」は、「これまで党勢拡大・組織強化策が幾度となく立案されてきました。・・・しかしながら、成果を上げることなく今日に至っているのも事実です。その原因をさぐることが「党再建」につながると考えます。」と述べています。しかし、「真剣な提案」もその原因を探り当てていないように思われます。そのためには、「よそもの」からみて「異質」である過去の社会党・社民党の経験・苦闘をもっと研究する必要があるのではないでしょうか。「真剣な提案」が指摘している弱点の多くは、近年に始まったことではなく、社会党時代から長期にわたって存在しているものです。(この点も大隅論文が参考になると思います。)
私は「真剣な提案」を再読して、これで社会党時代からの党員にすんなりと受け入れられるのだろうか、という懸念を感じました。「真剣な提案」が提案された後の一年余りの経過をみていると、私の懸念を裏付けているようで残念です。
4.自分の足もとからの運動構築を
私が「真剣な提案」から受けたのは、青年議員たちが持っている危機感は充分に感じられますが、問題の本質に切り込めず、有効な対策を説得力を持って打ち出せていない、という印象です。
「真剣な提案」は、社民党本部の改革を盛んに主張しています。情報化社会の今日、党中央のイメージは党全体のイメージを決定しますから、このこと自体は理解できます。国会議員や社民党本部のHPは、私も改善の余地があると思います。全国レベルの青年組織設置や青年の全国連合常任幹事抜擢など組織問題は、党外の私が考える範囲外でしょうが、やってみても悪くはない、とは思います。
しかし、もっと自分の足もとからできることがあるのではないでしょうか。たとえば、「真剣な提案」が提案している「見える社民党」ですが、社民党地方組織のHPには旧態依然としているものも少なくありません。市町村連合(総支部)では、HPがないところの方が多いのです。福岡県田川市、大阪府高槻市、愛知県江南市、東京都杉並区、これらは「真剣な提案」提案者の地域で社民党市区連合組織はある筈ですが、いずれも党HPは見あたりません。まず自分の地域の党組織でHPを開設することから始めたらどうでしょうか。議員は地方組織の有力党員ですから、その気になれば出来るはずです。
提案者は議員HPは開設しており、それをみると議員活動は一生懸命されていることがよくわかりますが、地域の社民党の姿は必ずしもつかめません。私が青年の頃(1970年代)はこういう議員を「議員活動に埋没している」「党的視点がない」と批判していました。(今から思うとずいぶん生意気な批判をしていたと思いますが、事実なので書いておきます)
これは文字通り「よそもの」の意見で、まとはずれかもしれません。しかし、もし「真剣な提案」提案者がこれを読んで反発を感じたとすれば、古くからの党員は「真剣な提案」に同様の反発を感じている可能性はある、ということは頭に置いてもいいと思います。
このほか、「真剣な提案」には署名、作成日時がありません。提案者の個人議員HPで提案者であることがわかるだけです。これも、「真剣な提案」の責任の所在という点で残念なことです。
批判的な内容が多くなってしまいましたが、私は青年議員・党員が声をあげ「真剣な提案」を提起したこと自体は、たいへん良いことだと思っています。私も、誰に頼まれたわけでもないのに社会党などの資料収集HPを開設管理している「ばかもの」ですので、「ばかもの」に徹してこれまた誰に頼まれたわけでもないのに「真剣な提案」に対する私の感想を書き綴ったわけです。「真剣な提案」起草者・賛同者、さらにここを読んでいる皆様のなんらかの参考になれば幸いです。(瀬戸宏)